コウいとが亡くなり、遺された娘をヒロが引き取る話。コウヒロのつもりで書きました。恋愛関係にあるのはコウいとのみです。明るい死後。ユウとカヅキも少し。死亡描写やオリキャラに抵抗のない方向け
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2032/12/29
ヒロ35 紡12
気丈なところは彼女の両親にそっくりだった。
親友とその伴侶の葬儀で喪主をつとめる少女は目元を赤くしながらも背筋を伸ばし、通夜へ訪れた弔問客一人ひとりに丁寧に挨拶をしていた。俺は受付の手前に突っ立って、まるで禁忌を口にしているかのように小声で会話を交わす人々の声を聞き流しながら、その様子をぼんやりと眺める。
次々とやって来る弔問客の中には俺も一緒に仕事をしたことのあるひとも多かったが、そうでないひとももちろんいた。親友といえど彼らのすべてを知っているわけでは当然ない。
受付の対応をしているユウがこちらへちらちらと視線を寄越すのを無視し続け、人波がようやく落ち着いた頃にそっと少女へ歩み寄る。
「こんばんは」
声をかけると少女──神浜紡はすぐに俺へ向いた。
翡翠色のまるい大きな瞳は母親に似ている。ゆるく癖のかかった髪は父親譲りだ。十二歳の女の子にしては背は高いほうだろう、これは両親ともに長身だったからどちらに似たかはわからない。
同世代の中にいたら落ち着いて見える子でも、小学校の制服に身を包んで喪服の大人たちに囲まれているせいか、いつもより幼く見えた。
最後に会ったのは二ヶ月前のライブの楽屋で、公演直後の汗だくの俺たちを手放しで褒めてくれた。褒めるのが上手いのは、彼女自身がたくさん褒められてきた証だ。
あのときはきらきらと輝いていた瞳に、今はうすらと涙の膜が張っている。それだけで心臓がぎゅうと押し潰されたような心地がした。
「……ヒロ」
小さな唇が俺の名前を呼んで、言うべき言葉を探すように震える。
「……えっと……」
「いいよ、なにも言わなくて」
遮るようにそう言うと紡ちゃんは一度瞬きをしてから、うん、と小さく頷いた。頭のてっぺんに双葉が揺れる。
子供を気遣う大人の振る舞いは、紡ちゃんと接するようになってから覚えた。聡い子だからずるい大人だと気づかれているかもしれない。今のはただ、俺がこういうときになんと言えばいいのか正解がわからなかっただけだ。
「……仕事は?」
こんなときすら大人の仕事の心配をするのはワーカホリック気味の父親を見ていたからだろうか。こんなことを言ったら本人からはヒロには言われたくないと否定されてしまうかもしれないが、コウジが俺やファンの目の届かないところで手がけていた仕事の量はたぶん俺よりも紡ちゃんのほうがよく知っている。
「ここより大事なことなんてないよ」
今日の昼間に入っていたソロの仕事は必要最低限だけで終わらせてもらってここへ来た。きっとコウジは自分のせいで俺たちが仕事を休むのは望まないだろうと、これはカヅキと話し合って決めたことだ。
オーバーザレインボーとして大晦日に出演が決まっていた番組はクリスマスすぎに事情を公表し出演辞退した。当然だ、コウジがいないのにステージに立てるはずがない。
紡ちゃんは堪えるように唇を引き結んで俯いた。俺は相変わらずなんと言えばいいかわからずに、首を下へ曲げて目の前のつむじを見下ろす。彼女は何拍かの呼吸のあとに顔を上げて、つむじは見えなくなった。
「受付した?」
「ううん、まだ」
「じゃあ、あっち。ユウがいるから」
「ありがとう。行ってくるね」
示されたほうへと振り返ればすぐにユウと目が合った。普段は無造作に下ろしている肩より長い髪を後ろで結って、相対的に低い受付台で窮屈そうに作業をしている。
「やあ」
「おせーよ」
ユウは小言を装った口調で言いながら芳名帳を俺のほうへ差し出した。正面に立てばほんの少しだけユウのほうが目線が高く、それでもコウジよりは近い。
「ごめん、混んでたからさ」
「カヅキは?」
「仕事。でも来るよ」
ふうん、とユウは独り言のように相槌を打った。
俺もカヅキも、ふたりが亡くなった日の夜にユウに会っている。顔を合わせるのはその日以来だ。
なにかもっと話すべきことがあるはずなのに上手いせりふが出てこなくて、俺は黙って芳名帳にボールペンのペン先を滑らせた。ユウも特になにも言わず、俺が記入を終えるのをただ待っている。
通夜の開始時刻が近づいているからほとんどのひとはもう会場内に入っていて、受付の周りは静かだ。雑談をするのははばかられるような、他のどんな場所にもない特異な空気が足元に停滞してまとわりついている。
そこに床を蹴る革靴の音が響いて、見知った顔が現れた。
「悪い、遅くなった」
「遅いよ。お疲れ」
カヅキが受付に駆け込んできた。だいぶ前から今日の出演が決まっていたストリート系イベントを終えて、ここへ来る途中で着替えてきたのだろう、脱色した髪はいつものセットを崩して下ろしている。
「外、しつこいな」
呆れるようにそう漏らされて俺は小さく苦笑した。
この会場へ入って来られるのはふたりの身内や友人と、仕事で親交の深かったひとに限られる。ファンに向けては年明けに悼む場を用意する予定になっていた。状況が状況なだけに報道も断っているからマスコミも当然入れない。
それでも入り口ではカメラやフラッシュを向けられた。俺が着いたときにはすでに待ち構えていたのが、カヅキがこう言うということはまだ粘っているのだろう。
「これでいいか?」
「おう。ありがとな、忙しいのに」
「ユウもな。……つらいよな、こんな」
記入を終えた芳名帳をカヅキから受け取り、ユウが乾いた溜息をついた。声になり損ねた頷きだった。
「ヒロ、入ろう」
カヅキが振り返り、そう言って入り口を示す。視界のあちこちに飾られた白い花がやけに目についた。
考えてみれば喪服を着たカヅキを見るのは初めてで、心のふちがざわりと不快な音を立てて震える。
この会場にいるひとはみな喪服を着ているのに、俺だって黒いタイを締めているのに、喪服姿のカヅキを見た瞬間に急に事実が現実感を帯びて俺の全身にのしかかってきた。五日前からわかっているはずのことを俺はどこか夢を見ているようなつもりで感じていたのだと、これは決して悪い夢ではないのだと、現実が刃のかたちになって喉元に突きつけられたようだった。
コウジが死んだ。
なんの前触れもなく、あまりにもあっけなく、三十四歳という若さで、コウジは引き返せないほど遠い場所へ行ってしまった。
通夜はただただ淡々と進んだ。弔問客の多さに比例して長くなる焼香のあいだ、俺はカヅキと並んでその光景を見るともなしにじっと眺める。視線を少しさまよわせれば離れたところで紡ちゃんとユウが隣同士に座って、俺たちと同じようにしているのが見えた。
生涯で一番といっていい親友のこんな場で、俺は紡ちゃんにもユウにもカヅキにもろくな言葉をかけられないままでいる。話そうと口を開いても、喉が潰されてしまったかのようで呼吸が音にならなかった。
見知ったひとは俺を見つけると目を合わせて、俺が黙って会釈をするとなにかを察したのかそれ以上話しかけてはこなかった。あるいはカヅキが隣で険しい顔をしていたからかもしれない。誰と向き合ったってきっとまともな会話にはならない。
コウジの早逝を公表すると同時に俺とカヅキはメディア向けにありふれた言葉を並べたコメントを出して、それ以上のことはマイクを向けられても答えなかった。発言するのが嫌なわけではなく、ほんとうになにも言えなかったのだ。五日も経てば言語野も働くだろうという根拠のない希望は簡単に絶たれて俺は今もこうして沈黙している。
焼香が済むと葬儀場のスタッフが白百合の花を大量に運び込み、弔問客へ配って回った。俺もふたりへ捧げるために二輪を受け取り、カヅキと一緒にゆっくりと、ふたつ並んだ棺へ向かう。十九年前に三人でデビューするステージに立ったときと同じくらい心臓がうるさく鳴っていた。
「……コウジ」
若干サイズが合っていなさそうな棺の中でコウジは静かに眠っている。
俺たちの中では一番肌の白いコウジが、生きているときよりももっと白く透き通って見えた。化粧師が最期を美しく飾ろうと腕をふるったからだ。顔に傷や輪郭の歪みはなく、暗い色の結っていない髪も洗いたてのように艶やかだ。首元にはいつもの、Over The Rainbowと刻まれたネックレスがかけられている──これは無事だったのか。
白い着物を着せられている肩から下がどうなっているのかは、わからない。
「コウジ」
百合に埋もれて眠る彼の胸元に花を置く。もう動いていない心臓の、それでも近くに置きたかった。
次の日、葬儀は午前から始まった。もともとオバレのミーティングとリハーサルをやる予定の日だったから俺もカヅキも他の仕事を入れておらず、それすら因果があるのだろうかとどうしようもないことを考えてしまう。
葬儀後にマイクロバスで移動した火葬場は絵に描いたような晴天の下、低い煙突から誰かの遺体を焼いた煙を細くしずかに立ちのぼらせていた。火葬場の外壁は曇天のような色をしているから、空との境界線がくっきりと分かれて見える。
一旦こちらへ、とスタッフに案内された待合用の部屋、大きな窓は火葬場の中にしつらえられた庭園に面していて、よく手入れされた草木や飛石が配置されているのが見えた。
集まっているのは通夜の半分以下の人数で、まったくの沈黙ではなく、けれど大声で朗々と話すのでもない、周囲からぽつりぽつりと無秩序に声が聞こえてくるのはライブの直前の音出しに似ていた。
なんとなく見渡せば部屋の入り口そばで紡ちゃんと奈津子さんがなにかを話していて、ふと皇さんの葬儀のときのことを思い出した。亡くなったひとは帰ってこないが、生きている人間には生活がある。俺だっておよそ一般の子供の暮らしはしてこなかったけれど、紡ちゃんの置かれた環境もまた特殊だった。
三人が暮らしていたマンションには俺もよく遊びに行っていた。あの家に今は紡ちゃんがひとりきりでいるのかと思うと、俺は彼らの家族でもないのにどうしようもなく目を背けたくなるような衝動に駆られる。
「神浜家の皆様」
小さな話し声がさざ波になって漂っていた部屋の中へ小石を打つように、葬儀場のスタッフが呼びに来た。
このまま一生呼びに来なければよかったのに、そうすれば、
「ヒロ」
カヅキが俺の背中をそっと叩く。歌の直前、リズムを取るように。
「行こう」
「……ああ」
先に進んだカヅキを追いかけて、重たい足取りで列をなすひとたちに紛れてついてゆく。
ふたつの棺が並べられた火葬炉の前室は肌寒く、すでに稼働している他の炉のごうごうと低く唸る音が天井の高い空間に響いていた。正直あまり長くいたい場所ではない。
必要十分な読経の声が、そのときが近づいていることを言外に告げる。これが終わったら、今は開けられている棺の蓋が閉じられたら、もうほんとうにお別れだ。
いつも俺たちのことを考えてくれて、どんな感情も歌にしてみせて、ギターを弾いてプリズムショーをして、よく笑って、料理が得意で、家族を大事にしたコウジはもういない。姿かたちすら消えてなってしまう。
棺を写していた視界が歪んで涙が頬を滑り落ちる。目線だけを横へ向ければカヅキも同じだった。周りもみんな、声を詰まらせて泣いている。ここにいるのは彼らを愛した者ばかりだ。
ふたつ並んだ火葬炉にコウジといとちゃんが吸い込まれて、ふたりの肉体だったものがどんどん消えていこうとしている。次にあの扉が開いたら、現れるのは骨と灰だけだ。こんな場所にいて亡くなった実感がないはずがないのに、焼かれたばかりの温かい骨を拾う自分の姿はうまく想像できなかった。
炉の扉からふと視線を逸らすと彼らの親族が身を寄せ合っているのが見えた。奈津子さんと、いとちゃんの両親とユウに囲まれて、紡ちゃんは誰に縋ることもなく二本の細い脚で立ち、ぼろぼろと泣いていた。
遺体が焼けるのを待つあいだ──こんなに心のすり潰されるような待ち時間もそうそうない──俺たちは元の部屋にいるようにと言われぞろぞろと戻った。部屋の窓の向こうはやはり雲ひとつない晴天で、冬の澄んだ空気の下に色数の少ない庭園の草木がきらめき、その中に制服姿の少女がいる。
考えるより先に足が動いた。
「ヒロ?」
「ちょっと、トイレ」
背中に投げられたカヅキの呼びかけを受け流して部屋を出る。
中庭へ出る扉は探すまでもなく廊下の途中にあった。扉を開ければ庭園には風の冷たさと陽光のあたたかさが混じり合わずに降り注ぎ、さらさらと吹く風が紡ちゃんの柔らかい髪を揺らしている。都内にいるはずなのにあたりは怖くなるほどに静かで、ゆっくり近づいた俺の気配に気づいた紡ちゃんがぴくりと肩で反応し振り返る。
いつもは涼しげな目元も今は赤く、疲れているようにも見えた。無理もない。
「寒くない?」
「……平気」
答えながら、彼女はどこかばつの悪そうな顔で目を伏せた。別に俺は部屋にいないことを咎めに来たわけじゃない。だからといってなにをしに来たかというと自分でも定かではなかった。
「きみは……」
言いかけた言葉が不自然に切れる。紡ちゃんの少し腫れた瞼の下、大きな瞳が俺へ向いた。
これからどうするの? なんて残酷なことを訊けるはずがない。それでもどうしても無関心ではいられなかった。血の関わりはなくても生まれたときから知っている、大切な親友の大切なひとり娘。
「紡ちゃん」
ざあっと大きな風が俺たちのあいだを通り抜けた。上を向けば、コウジといとちゃんを焼いている煙が空の高いところでゆらりと立ちのぼりながら薄れ消えてゆくのが見える。
なんと声をかけるべきかずっと考えていた。両親を亡くした子供の負担にならず、傷つけず、できれば寄り添えて、未来へ向いたこと。
「俺のところに来ない?」
紡ちゃんはぽかんと口を開けた。
俺だって唐突なことを言っているということはわかっている。数日喉を詰まらせながら考えた果ての言葉にしては、これが正解だという自信はない。
「俺がコウジと出会ったのは今のきみと同じ歳のときだった」
「……だから?」
「なんだろうな。俺が理由を欲しがってるだけだから気にしなくていいよ」
「変なの」
真偽を見極めるように眉をひそめる様子はいとちゃんにそっくりだ。納得できないことに対しては首を縦に振らないところはコウジを思い出す。
紡ちゃんはローファーの爪先を見下ろしてからまた俺を見た。
「それは冗談?」
「きみが決めていいよ」
それ以前にそもそも俺にはなんの権利もない。
どんなにしっかりしていてもまだ子供なのだから、この先を生きてゆくために大人の保護が必要だ。このままならきっと紡ちゃんはいとちゃんの両親と暮らすことになるだろう。それに問題があるわけではない。今は一人暮らしをしているユウだってきっと頻繁に帰って全力で面倒をみるに違いない。
けれどもし彼女が他の場所を望むなら。近すぎる親族でも、ひとりきりの広い家でもない場所を望むなら。俺は選択肢のひとつになれる。
「わたしが行ったら迷惑じゃない?」
「どうして?」
「……マスコミとか」
ぽつりと呟かれて、こんなときにそんなことへ配慮できるなんてといっそ呆れ返りそうな気分になった。
よく知っている。わかっている。あの両親のもとに生まれてきたのだから当然だ。こんなことを提案する俺よりも紡ちゃんのほうがずっと現実を見ているのではないだろうか。
「紡ちゃんのことを悪く言うような奴がいたら殴って止めるから大丈夫だよ」
「なにそれ」
「俺、喧嘩は強いほうなんだ」
「アイドルなのに?」
「うん」
信じていなさそうな顔をしているけれど本当のことだ。かつてコウジとぶつかったのは、喧嘩と呼ぶにはあまりにも不器用だったけど、あれだって喧嘩みたいなものだった。
紡ちゃんはそれきり黙り込んで、行くとは言わなかった。行かないとも言わなかった。
空にはまだ、煙が白い筋を描いている。
「返事はいらないよ。もし来たくなったらいつでも言って」
正月の三が日が明けたあと、紡ちゃんから連絡が来た。
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