親友の娘

2043/3/14
ヒロ45 紡22

 紡ちゃんを引き取るとき、期限は決めなかった。ここにいたいならいればいい、帰りたいならいつでも帰っていい。そうして彼女はこの家で暮らしながら高校生になり、大学生になった。そのあいだにも神浜紡の名前は作曲とプリズムショーの両方で知られ活躍の場を広げている。最近では俺にとっても懐かしいハリウッドの現場が紡ちゃんと仕事をしようとしているらしいと聞いた。
 その日の夜、紡ちゃんは生前のいとちゃんと同じくらい高くなった目線からそっと話を切り出した。
「ヒロにお願いがあるんだけど」
「うん、なに?」
「結婚することになったの」
 土が水を吸うように入ってくる言葉だった。いつか来る日がいま来たのだ、コウジが結婚を決めたときと同じだ。
 紡ちゃんが、ブラウニーを贈った相手とずっと交際を続けているのは知っていた。いとちゃんのことを思い出すとむしろ遅いくらいだ。
 俺がおめでとうを言うより先に、彼女はまったく予想外の言葉を続けた。
「それで、もしよかったら、一緒にバージンロードを歩いてほしいんだけど……」
 翡翠色の瞳が照れたように細められる。吸わせたはずの水の上に油を被せたようで俺は今度こそ言葉を失った。
「……どうかな」
 難しいかな、と薄いピンク色のルージュを引いた唇が小さく動く。
 なにを思って難しいと考えているのか俺には図りかねた。俺が断るとすれば、その理由は俺の外側にある。
「……俺でいいの?」
 ユウもいる。祖父に頼んだっていいだろう。少なくとも俺がエスコートするよりずっと自然だ。俺たちのあいだに縁がないわけではないけれど、それは血縁ではない。
 紡ちゃんが仕事をするようになる前も後も俺と生活していることは隠し通してきたから、ほとんどのひとから見たらなぜ速水ヒロがエスコートしているのかと疑問しかないだろう。
「ヒロがいい」
 俺がごちゃごちゃと考えているのをよそにきっぱりと断言する顔を見て、嘘のない瞳を見て、さっき油だったものが水に変わる。同時にこれまでのことが突然、腑に落ちた感覚がした。
 俺が紡ちゃんのふとした部分にコウジの影を感じ取っていたように、紡ちゃんも俺のどこかにコウジにつながるなにかを見ていたのかもしれない。俺は自分をコウジと似ているとは露ほども思わないけれど、紡ちゃんは父親の親友の姿から亡き父親を思い起こすときがあったのかもしれない。
 勝手な推測に過ぎないし、わざわざ答え合わせをするつもりもない。俺がひとりでそう思って納得しているだけだ。
 ただ、もしも本当にそうなのだとしたら、俺の返事はひとつだ。
「引き受けてもらえる?」
「……もちろん」
 紡ちゃん、と名前を呼ぶ。
 紡、と。何百回何千回と聞いた娘を呼ぶコウジの声が聞こえた気がした。
「おめでとう」
 少し未来の花嫁ははにかむように微笑んで、ありがとう、と照れたように囁いた。
「コウジもいとちゃんも天国で祝福してる」
「そうだといいな」
「絶対にそうだよ。絶対。俺がエスコートすることに嫉妬してるよ。俺、コウジに怒られるかも」
 血の繋がりなどない、ただ大好きなひとを喪った者同士の同居だった。ささやかで、穏やかで、鮮やかな、これ以上望むべくもない暮らし。
 十年のあいだにドラマチックな出来事なんて数えるほどもなくて、でも実際のところ生きている人間の日々なんてそんなものなのだ。これまでも、きっとこの先も。
 いつかコウジにまた会えたならそのときはたっぷり語って聞かせてやりたい。紡ちゃんのくれたチョコレートクッキーの味とか、コウジが遺した歌を完成させて聴かせてくれたときのこととか、バージンロードを歩く姿とか、その他たくさんの俺の見たものを。

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