親友の娘

2034/3/9
ヒロ36 ユウ31 紡13

 コウジとユウは俺にとっては全く別の人間だけど、世間的には、あるいは彼らの仕事だけを見たら似ているのかもしれなかった。プリズムスタァでありつつ作曲も手がけ、国内外に多く作品を発表している。今のプリズムショー界になくてはならない人物のひとりだ。
 仕事の現場が俺と被ることも多く、約束をしなくてもユウとはたまに顔を合わせて、そのたびに紡はどうしてると訊かれた。紡ちゃんは週末たまに涼野家へ帰っているからそのときに会っているんじゃないのと返したら、ユウのほうが忙しくてあまり会えていないらしい。
 だから雑誌の取材が被った今日もまた紡ちゃんの様子を訊かれるのかと思ったら、ユウは開口一番まったく見当と違うことを言った。
「明後日行くから」
「え?」
「ヒロがいなくても紡がいるから、関係ないからな」
「ちょっと待って、なんの話?」
 ユウの話しぶりを信じるならユウと紡ちゃんのあいだではもう話がついているようだが俺は初耳だ。ユウが決めて紡ちゃんに頷かせたのは想像に難くない。
「……紡がさ、キーボードがほしいって」
 ユウは撮影用にセットされた髪を解きながら呟いた。
「このあいだ、バレンタインに来てくれたときにぽろっと言ってたんだよ。だから、ホワイトデーのついでに一台持っていこうと思って」
 そんなもの俺がいくらでも買ってあげるのにと一瞬よぎってすぐに消えた。そういうことじゃないのはわかっている。ユウだって新品のキーボードを持ち込もうとしているのではないだろう。楽器だらけの家の中からきっと俺にも見覚えのある、年季の入ったキーボードを持ってくるはずだ。
 どうして思い至らなかったのだろう。コウジといとちゃんのあいだに生まれて、ふたりと共に暮らして、音楽に親しまなかったはずがないのに。
「ごめん」
「え?」
「俺、ぜんぜん思いつかなくて」
「ヒロは悪くねーだろ」
 こういうことをさらっと言えてしまうあたりはユウらしかった。ユウなら紡ちゃんに余計な負担を感じさせずに楽器を渡せる。
「もしかして紡ちゃん、プリズムショーもする?」
「え? ああ、まあ、姉ちゃんたちの子供だしな。学校でやってるみたいだぜ」
「そうだったんだ……」
「紡、土曜ならいるって言うからさ。夕方に行こうと思ってるけどヒロは?」
「遅くなると思うから、よかったら紡ちゃんとごはん食べて待っててよ」
「オッケー」
 ユウが紡ちゃんを気にかけるのと同じように紡ちゃんもユウに懐いていて、はたから見るとふたりは叔父と姪というよりは年の離れた兄妹のようだった。俺にはきょうだいがいないからたまに彼らをひどく眩しく感じることがあるけれど、それを言うとユウに怒られそうだから言ったことはない。

 二日後、夜になってから帰ると宣言通りユウが来ていて、キーボードはとっくに紡ちゃんの部屋に設置済みになっていた。華奢なスタンドの上に八十八鍵の重そうなキーボードが乗って、奏でられるのを待っている。
 クロスロードのライブでいつもいとちゃんが使っていたキーボードだ。これを希望した紡ちゃんよりもユウのほうがなぜか誇らしげな顔をしている。
「ここ防音だから、いつ弾いても大丈夫だよ」
「本当?」
 紡ちゃんの瞳がぱっと輝く。防音の家を選んだわけではなく決めた家がたまたま防音だっただけだけど、初めてこの設備が役に立てそうだ。
「よかったら、なにか弾いて聴かせてくれる?」
「……じゃあ、少しだけ」
 キーボード用の椅子に腰かけて電源を入れ、鍵盤をポンポンと軽く叩いて音を調整する。この家にピアノの音があることが不思議だった。音楽は家の外にあるものだと思っていた、今の今までは。
 鍵盤をすっと注視した紡ちゃんの横顔は凛々しい。
 細い指先が軽やかに鍵盤の上を踊り、力強い音を奏でる。繊細な音の粒たちがひとつの曲になって聴覚を支配した。
「……!」
 一秒も経たずにわかる、特徴的な変ホ長調。『pride』だ。
 ピアノの音だけで演奏される『pride』はいつものアレンジに比べると儚く、けれどコウジがこの歌に込めたものが消えることはない。音楽の向こうに彼の想いを感じる。二十年間ずっと俺たちのそばにあったもの。
 サビにさしかかる直前、紡ちゃんの左に立ったユウが左手を伸ばして連弾を始めた。ベースの音に厚みが出て音の重なりが華やかになり、演奏しているのはふたりきりなのに目の前にオーケストラがいるようだった。ここにコウジがいたらギターを重ねてきただろうに、その音色が聞こえてくることはない。
 少しだけ、と言った通り紡ちゃんは歌の一番を弾き終えると両手で高音のアルペジオを鳴らして演奏をやめた。ユウのベースも紡ちゃんの演奏を妨げないアレンジで終わる。音楽のなくなった部屋はしんと静まり返って、俺はそれを埋めるように拍手をした。
「すごい、すごいよ……ふたりとも」
 座ったまま振り返った紡ちゃんは口を開いてから一瞬止まり、ありがと、と小さく言った。
 それからリビングで少し雑談をしてユウは帰っていった。日常に戻った空間で、飲みかけだった紅茶のカップを持ち上げた紡ちゃんが、窺うような視線を向けてくる。
「ねえ、ヒロはもう歌わないの?」
「どうして?」
「歌の仕事、してないから。……パパが死んだから?」
 さっきまでの音色の代わりのように紡ちゃんのささやかな声が響く。
 いつか誰かに言われるだろうとは思っていた。カヅキもたまになにか言いたそうな目をしては言うのをやめて、俺はそれがなんなのかわかっていてずっと気づかないふりをしていた。
「……どうだろうね」
 あの日以来まったく人前で歌っていないわけではない。特にコウジの死去の直後はいろんなところから『pride』を歌ってくれというオファーが来たし、スケジュールの都合が許す限り俺はそれを承諾した。あの歌を歌うことで観た人がコウジを思い出すなら、それが一番いいと思ったからだ。
 プリズムショーをするときはこれまでに発表した歌の中から選んだ。俺には、俺たちには数え切れないほどの歌があるから、それで困ることはなかった。
 それ以降新しい歌を歌ったことはない。演技やスチール撮影やバラエティ番組──歌以外の仕事はこれまでと同じようにだいたい請けたけれど、誰かが作った新しい歌を歌ってくださいという依頼はすべて断って、そうしているうちにふたりの一周忌も過ぎてしまった。
「変かな?」
「そんなことはないけど……」
 紡ちゃんはカップの中の紅い水面を見下ろした。コウジが置いていった茶葉と同じ種類のものをずっと買い続けているから、俺にも紡ちゃんにも馴染みのある味。
「わたしはヒロの歌声が好き」
「……ありがとう」
 そこまで言ってもらっても曖昧に笑ってみせるので精一杯だった。だってもう、コウジの新しい歌はどこにもないのだ。

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