ミナトとコウジとユウ。SSS8話でミナトがユウのことを知っていたので
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窓を開けると夏と秋の境目の生暖かい空気が部屋に流れ込んできた。寮の庭の草木の香りが、故郷に満ちている磯の香りの代わりのように風にのって届く。ミナトにとっては山や森の香りではなくエーデルローズの香り。
夜風の囁く声のうえに、こんこんと軽やかなノックが響いた。夕食も入浴も終えた時刻に来客があるのは珍しい。
「はい」
「こんばんは」
入ってきた姿を見てミナトはなにげなく振り返った背筋を伸ばす。ミナトがプリズムショーを始めるきっかけになったそのひとはまだ風呂に入っていないらしく、よく見かける私服姿だった。
「コウジさん」
「少し話をしてもいいかな?」
「もちろんです。どうぞ」
部屋に椅子はひとつしかないのでコウジに椅子を勧め、ミナトはベッドに腰かける。コウジがありがとうと言って椅子に座ると、座面の高さが違うぶん普段よりもより見上げるかたちになった。
「もう寝るところだった?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「よかった。……実は、ユウのことで頼みがあって」
「涼野、ですか?」
そう、と頷く。声は柔らかい。
「たまに夜、僕のところで寝てるんだ」
「コウジさんの部屋で?」
「うん。ベッドに潜り込んでくるんだよ」
そう言ってコウジは悪戯っぽく微笑んだ。不特定多数には向けない表情はそれだけでなにか密やかな気持ちを掻き立てる。
ベッドに潜り込んでくると聞いてミナトの脳裏に浮かんだのは実家にいる兄弟たちの姿だった。翼や潮はもうそんなことはしなくなったが、下の弟や妹たちはミナトと同じ布団で眠ることも少なくない。父は単身赴任で家にいないし母ひとりで全員と一緒に眠ることはできないから、自然とミナトも小さな子らを世話する保護者の側になるのだった。
「もう中学生なのに甘えてるって思う?」
「そんなことは……」
そんなことはない。ただ普段から我先にと甘えてくるミナトの弟や妹と違って、子供扱いされるのを嫌うユウがそういうことをしているのは意外だった。相手が特別に縁のあるコウジだからだろうが、かといってユウがコウジにべったり甘えているかというとそんな様子は今までに見たことがない。
「ユウ、二年前までお母さんとふたりで北海道で暮らしてたんだ」
「え……涼野、お姉さんがいますよね」
「うん。お父さんといとちゃんは東京にいて、家族離れて暮らしてたんだよ」
「どうして……」
コウジは答えずに、ただ小首を少し傾げてみせた。ミナトの問いを軽くかわすみたいに。
「そのときに気を張っていた反動なのかもしれないね」
「そうだったんですか……」
「構わないから好きにさせていたんだけど……僕は来月からしばらくいないから」
「……そう、ですね」
あとひと月も経たないうちにコウジは渡米する。世界規模の大きな仕事を手がけるのは名誉なことだ。ほんのすこしの引っかかりがあったとしてもそれはミナトの中だけに留めるべきものだった。
「ユウが寂しがってたら、一緒に寝てあげてくれないかな」
「それは……どうしてボクに?」
「ミナトは兄弟が多いから年下の扱いが上手そうだし……」
コウジは言葉を切るとミナトの顔をじっと見つめた。切れ長の瞳に観察するように見られてミナトが痺れを切らす直前、コウジはふわりと目元を緩める。
「きっとユウはミナトのところに行くんじゃないかと思ってね」
「はあ……」
それがどういう意味なのか、ミナトにはわからなかった。コウジに憧れてはいても彼に追いつくまでにははるかな距離を感じる。身長が近いとか料理をするとか、そんな共通点でユウは弱みを見せる相手を選びはしないだろう。
とはいえ断る理由もない。コウジの希望であればなおさら。寮のベッドは一人用だが弟たちに挟まれて寝るのに比べたらなんてことない。
「わかりました。気にかけておきますね」
「ありがとう」
「涼野のことかわいがってるんですね」
コウジがこんなふうに特定のひとにだけ目をかけることはあまりない。ミナトたちの前にいるときは先輩の顔をしていることがほとんどだから、感じたことを素直に口にしただけだった。
「ミナトもかわいいよ」
だからひとつ瞬きをしたコウジがさっきまでと同じ口調でそう言ったのにミナトはうまく反応できなかった。ミナトが口を動かしかねているうちにコウジは立ち上がり、ミナトも慌ててそれにならう。
「じゃあ、僕は戻るよ。遅くにごめんね、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
ぱたりと静かにドアが閉まる。コウジが退室した部屋の中はすっかり草木の香りに満ちていた。
もう寝ようかと考えていたところを呼び止めるようにこつりと一度だけノックが鳴った。一ヶ月前に響いたものに比べるとずいぶん控えめな音色だ。
「どうぞ」
誰が来たのかはドアが開く前からなんとなくわかった。あのとき仕方なさそうな顔をしてみせながら懐に入れた者へと向けられていたコウジの眼差しを思い出す。
「涼野」
遠慮がちに入ってきたユウは顎を引いたまま目線をミナトへ向けた。青紫のくるりと丸い瞳は心細さを隠しもせずにまっすぐミナトを映していて、怖い夢を見た時の妹に似ていた。
「どうしたんだ?」
「あの……」
ユウはきょろきょろと視線をさまよわせる。その目は一瞬ベッドをとらえてミナトの顔へ戻り、斜め下へ伏せられた。ミナトは落ち着きのない小動物を見守るような気分でユウの言葉を待つ。
「今日ここで寝てもいい?」
「もちろん。ちょうど寝るところだよ」
答えればユウはあからさまにほっと大きく息を吐いた。ミナトとしてはユウが自分相手にそこまで緊張するものかと驚いたが、明かりを消して先にベッドに入り場所を開けてやれば緊張感のかけらもないユウがすぐにそこへ潜り込んできた。
「さすがコウジさん」
「なんだよ? コウジ?」
「なんでもないよ。ほら、おやすみ。いい夢を」
「……うん」
丸まった背中を軽く叩くとユウはおとなしく瞼を下ろした。
夢の中だとしても家族やコウジが出てきてくれたらいい。そのついでにミナトの夢の中にもミナトの家族やコウジが現れてくれたらと詮ないことをかすかに思って、ミナトも目を閉じた。
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