君を攫う

中等部と高等部の間

「こんばんは。きみを攫いに来たよ」
 いったいどこへ攫おうというのか、みんなのアイドルは僕にだけ見せる笑い方をした。
 ――違う。本当はこんな顔、僕にだって見せたことはない。僕が夢の中で勝手に見ているだけだ。
「ほら」
 僕の頭が勝手に作り出したヒロが無邪気に手を差し出す。
 どこへ攫おうというのだろう。手を握り合って? 僕とヒロが?
「僕から歌を攫っていって、よくそんなことを」
 夢だと思えば臆面なく言えた。擦り切れるような僕の声は自分で聞いても耳触りなのに、ヒロは楽しそうに笑う。
「違う。お前が歌を手放したから俺の手に残ったんだよ、コウジ」
 息が詰まりそうだ。ヒロの手はまだ僕の前に差し伸べられている。ここに手を重ねたら、あの歌は僕の元へ帰ってくるのだろうか。
 白くてきれいなヒロの手のひらをじっと見つめ、そこに歌が乗っているところを想像した。そうして次に自分の手のひらをそこへ乗せるところを想像する。
 ふたつの手のひらの間で、歌が潰れる音がした。
 手のひらを見つめたまま、想像上のヒロがどんな表情をしているのか知るのが怖くて顔を上げられない。早く目を覚ましたいと強く思った。

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