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真琴が死んでる凛視点まこはる。遺骨ダイアモンドに興奮しすぎた

 真琴が死んだ。
 あまりにも突然だった。つい数ヶ月前、俺とハルが出場するオリンピックの試合をなんとか仕事の都合をつけて観戦しに来てくれて、リレーで金を獲ったことを飛び上がって自分のことのように喜んでくれた。俺もハルも嬉しくて泣いたけど、一番泣いていたのは真琴だった。真琴がいてくれた小学校の時と、高校の時と、そしてそれ以降のことをいっぺんに思い出してつられて涙がたくさんでてきた。たぶんハルもそうだった。
 金メダルのお祝いをしようと言って幹事を買って出てくれた。真琴は渚や怜、宗介たちにも声をかけて、俺とハルが岩鳶へ帰れそうなタイミングに合わせていろいろと計画してくれていたらしい。オリンピックの後は取材やら合宿やらで忙しく、けれどそれも落ち着いてきて、やっとそろそろ帰れそうだと連絡しようとしていた矢先だった。
 結果として、それらの忙しいことがすべて落ち着く前にすべてを置いて岩鳶へ行くことになった。ハルと並んでコーチに頭を下げた。俺たちがあまりにも、試合の直前みたいに緊張しているのを察して、コーチは送り出してくれた。
 当然だ、だって真琴がいなかったら、俺もハルも今ここにいない。

 ずいぶんと久しぶりに顔を合わせた真琴のおばさんはひどく憔悴していた。ちっちゃいガキだった蘭と蓮はいつの間にかしっかりした大人になっていて、真っ赤な目で、凛ちゃん金メダルおめでとう、なんて、あまりにも場違いなことを言ってくれる。うまく笑えない俺の方がガキみたいだった。
「お兄ちゃんね、プールの掃除してて、滑ってプールに落ちちゃったんだって」
 化粧なんかしなくても美人の蘭が、ベージュのリップを塗った唇を笑みのかたちにして、精一杯笑い話にしようとしているみたいにそう話す。ちっとも笑えなかった。水は怖い。数十センチの水深があれば人は溺れて死ぬ。真琴の勤めるスイミングスクールにあるプールは子供向けのプールで、競泳用プールに比べたら半分程度の水深だけど、人が死ぬには十分だ。真琴がスイミングの先生だとか、身体が大きいとか、そんなのは一切関係ない。蘭だって、それを知らないはずはないのだ。
 棺に入れられた真琴は眠っているみたいだった。高校の時から更に数センチ背が伸びて、相応に歳を取って、同性から見てもいい男だった。思い出す真琴の顔はどれも笑顔だ。にこにこして、人の心を綻ばせる、つられて笑顔になるような。きっと真琴を知るほとんどの人もそうだろう。溺れ死んだ瞬間は一人だったと聞いた。寂しがりで怖がりのこいつが、一人きりのプールで水を飲んで苦しみながら死んだのだと思うとただひたすらにやりきれない。涙は塩素の水に溶けて、声すらも泡に消えたのだろう。
 ハルは泣いていた。声もなく、まともな声なんか出せないくらいに喉を引きつらせて泣き続けていた。このまま全身が干からびてハルも死んじまうんじゃないか、大好きな友達が一気に二人もいなくなるのは嫌だなと思った。
 火葬を待つ間、ハルが真琴のご両親と何か話しているのを遠くから見た。家の近い幼馴染で物心ついた時からずっとつきあいのある家族だから、話すことや共感し共有できることは俺なんかには想像つかないくらいたくさんあるだろう。一人で立っている俺に気づいた渚が手を振ってきたからそっちへ行った。
 入道雲の広がる、青い青い空の日のことだ。

 真琴が死んでも世界は止まらない。東京へ戻ったらすぐにプールが俺たちを待ち構えていた。足が竦んだのは一瞬だ。真琴はプールの中にはいない。観客席で、試合の結果を固唾を飲んで見守っている。東京で、海外合宿で、少し休んだ分を取り戻すみたいに、悲しいことを忘れるみたいに泳いだ。ひたすらに泳いだ。どれだけ泳いでも五十メートルのプールを往復するばかりで、真琴のところへは辿り着けない。
 日本へ帰ってきて数日後、ハルが見慣れないネックレスをぶら下げていることに気づいた。着飾ることにてんで無頓着で、ましてやアクセサリーなんてかけらも興味がなく、金メダルすら重さを鬱陶しげに弄(いら)っていたハルがネックレスをしているのは、俺にとっては大事件だ。長いチェーンを使っているから普段は外から見えないが、水着になろうとすれば嫌でも見える。透き通ったグレーのそれを、ハルはそうっと壊れ物を扱うみたいにして首から外し、ロッカーに入れた。
「……珍しいな」
 思わず凝視して呟くと、ハルが眠そうな目でこっちを見た。
「何が」
「それ。お前、そういうのつけないだろ」
「ああ……」
 何の話か理解したハルがネックレスに視線を落とし、目を細める。
「大事なものか?」
 そうだろう、そうでなければハルがこんなものをつけるはずがない。単なる事実としてそうであるはずだ。さりげなくつけるにしてはトップは大きく、ダイヤモンドのように煌めいている。つめたいのに温もりを感じるそれは、ハルによく似合っている、と思う。
 ハルはゆっくりと俺に顔を向けた。薄い唇を小さく動かして、俺にだけ聞こえるくらいの声を出す。
「真琴」
 ばたんと閉じたロッカーの扉の音はなぜか耳に届かない。
 ハルの瞳は、あの日の空と同じ色をしている。

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