花の雨上がり

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を観て、イザベラ・ヨークと花の雨を読んで呆然としながら書いた。未来の話

 屋敷の裏口にバイクが停まることがある。僕の人生と同じくらいなにもないこの田舎には不釣り合いな、大きくて派手なバイクだ。
 僕が呼ぶわけじゃないから、バイクがいつ来るのかはわからない。今日来るかもしれないし半年経っても来ないかもしれない。このまま僕が死ぬまでもう来ない可能性だってある。
 それでも裏口からつかのまの散策に出るときは期待してしまうのだった。あの草花の向こうから、大きなバイクに乗ってはるばるやって来た金髪の郵便配達人が、僕への手紙を持って現れるのではないかと。

 テイラーが手紙をくれたあと、僕はずいぶんと久しぶりに手紙を書いた。テイラーの手紙に差出人の住所は書かれていなかったから、ヴァイオレットへ手紙を書いた。正確にはCH郵便社のヴァイオレット・エヴァーガーデンへ。
 なにもない屋敷にもさすがに便箋くらいはある。ヴァイオレットへ伝えなければいけないことは山ほどあった。
 手紙の返事を出さなくてごめん、今どうしてる? テイラーの手紙を手伝ってくれてありがとう。
 全部をしたためたら屋敷じゅうの便箋を使い切っても足りないだろう。そんなにたくさんのことを書いていてはいつまで経っても手紙を出せない。
 それに僕は手紙を書くのがそんなに得意ではないのだ。ヴァイオレットはさまざまな礼儀作法を僕に教え込んだけれど、その中に手紙の書き方はなかった。鳥籠の鳥には必要のないことだから。
 結局ごくごく短い手紙を書いて、使用人に預けた。あっけないものだ。紙切れになれば僕も好きなところへ行けるのだろうかと一瞬考えて、それを散らすように頭を振る。紙切れではデビュタントで踊れない。
 しばらくするとあのときの金髪の郵便配達人が、ヴァイオレットからの返事を持ってまた現れた。手紙には僕の手紙への礼と、テイラーがエヴァーガーデン家の養子になったことが書かれていた。つまりエヴァーガーデン家へ手紙を書けばテイラーに届くのだ。
 屋敷の周囲にあふれる草木はいっそう生い茂って、背の低い小さな花々が緑色の世界に彩りを添えている。
 そうしてとてもゆっくりと、文通は続いた。屋敷に電話線が引かれたあとも僕がそれを使うことはなかった。

 何年が経って何通の手紙のやり取りをしたかなんてことは数えてはいない。そんなことを数えたってなんの意味もない。
 その日はいつもの金髪の男ではない、別のひとがバイクに乗ってやって来た。配達人の制服と思われる青い服を着た、僕より背が低い少女。赤毛をふたつの三つ編みにしたお下げは、学園に通っていた時の僕と同じ髪型だ。
 彼女は僕の前まで来ると二通の手紙を差し出した。誰がくれたものかは読まなくてもわかる。テイラーと、ヴァイオレット。
「郵便です」
 配達人はそう言って、僕を見て唇を震わせながら笑った。鼻のあたりのそばかすが少女を幼く見せている。
 まさか、そんな、でも。
 目の前の唇が、小さく音を紡ぐ。
「……ねえね」
 僕たちを見下ろすように、三羽の鳥が高い空を羽ばたく影が地面をよぎった。
 ……ああ。神様。
 僕の人生はなにもない。たったふたりの素晴らしいひとがいたことを除けば。
 そのふたりは僕とは違う世界に生きていて、僕がこの屋敷で死んだように過ごしている限り、もう二度と交わることはないと思っていた。
 でも違った。僕がまだ生きているから、彼女も生きているから、また会うことができた。手紙の向こうのはるか遠くにいたひとが、今こんなにも近くにいる。手を伸ばせば届く距離に。
 その夜、僕はいつものようにペンを手に取り手紙を書こうとして、やめた。
 手紙を書く方法はもうひとつある。

 大きなバイクに乗ってふたりの人間がやって来た。裏口から出ると、そのふたりはこちらへ向かってまっすぐに歩いてくる。僕は息をひそめてそれを待った。
 テイラーが、郵便ですと言って手紙を渡してくれた。役目を終えた彼女はすぐに後ろへ下がる。
 代わりにもうひとり一緒に訪れた女性が僕の前まで歩み寄り、スカートの裾を摘んでこうべを垂れた。ビロードの金髪が風に揺れて白く輝く。誰にも売りたくなんかない美しい髪。もしも売られることがあるならば、一本残らず僕が買い取ろう。
 ヴァイオレットはゆっくりと顔を上げて僕を見た。あの頃と変わらない、言葉を失うような青い瞳。
「お久しぶりです。奥様」
「……友達、なんだから」
 ヴァイオレットには今の僕がどう映っているのだろう。訊いたら聞かせてくれるかな。いつかみたいに、ばかみたいに正直に。
「名前で呼んでよ。……あの頃みたいに」
「……はい」
 ヴァイオレットは頷いた。
 僕が主人で彼女が物だから、ではない。
 僕たちが友達だからだ。
「エイミー様」
 僕をその名前で呼ぶ、世界でたったふたりの大好きなひと。
「ねえ、手紙を書きたいんだけど、うまく書けないんだ。手伝ってくれる?」
「もちろんです。エイミー様」
 僕には恋文は書けないから。
 きみの恋文は定評があるんでしょう? ヴァイオレット。伝える気はないけどね。

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