吸血鬼のコウジと人間のヒロ。Happy Halloween!
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彼はただ自分の都合でだけ現れた。ヒロが会いたいと思っても来ない日もあるし、会いたくないのに来る日もある。昨日の今日でやって来る時もあれば、一週間も一ヶ月も音沙汰のない時もあった。
ヒロにはコウジを待つことしかできない。しんと静まり返った真夜中の部屋、ベッドに入ろうと灯りを落とすと必ずコウジを思い出した。彼は決まってこのタイミングで現れる。暗くなったばかりでまだ目が闇に慣れない中、今夜はコウジが来るかもしれないと思って、そうしてたいていコウジは現れず、なにかひとつ小さなことをやり残したような気分で眠りにつくのだった。
音もなく現れるコウジの気配にヒロはいつもすぐに気づく。異国の香のような、他では感じない香りがするからだ。
「……生きてたのか」
「そう簡単に死なないよ」
声は後ろから聞こえた。振り返る。視界はまだ真っ暗で姿かたちは見えないが、確かにそこにいる。
「ヒロ」
ヒロの頭よりも少し高い位置から、暗闇を溶かしたような声がヒロを呼んだ。ヒロがコウジとすることなんて決まっている。たった二文字の声だけでそれを思い出してしまって、肚の底がぞくりと重たくなった。
「……ああ」
「久しぶり。一週間ぶり?」
「一ヶ月だよ」
人間とは生きている時間の流れ方が違うせいか、吸血鬼は数の数え方が適当らしい。間違いを訂正するヒロの声には苛立ちが滲んでしまって、失敗した、と思った。
「どうりでお腹が減るわけだ」
それだけのことをコウジは愉しげに言った。暗さに少し目が慣れて、輪郭はわかるようになってきた。
ヒロがコウジとすることなんて決まっている。コウジは食事をしにここへ来て、ヒロは食事を提供する。最初からそういう関係だ。本当ならば吸血鬼に血を吸われた時点で彼の眷属になるか、あるいは命を落とすはずなのに、ヒロは人間のままどちらにもならなかった。何度食事をされても陽の光のもとを歩けたし、血を欲しがることもない。コウジはそれを珍しがって、今ではすっかりヒロはコウジの「お気に入り」なのだった。
「もらっていい?」
コウジの腕がゆるりと持ち上げられて指先がヒロの首筋に触れる。氷ほど冷たくはないが、人間ではありえない程度には体温が低い。ぴくりと肌が震えたことは無視して、ヒロは頭を右へ傾けた。
「ありがとう」
コウジが一歩近づいてヒロの肩に顔を寄せた。右手でヒロの肩を、左手で後頭部を掴み、薄い唇から牙を覗かせる。これまで何度もヒロの身体に傷をつけた牙がそっとヒロの肌に触れて、そのままぐっと肌の奥へ侵入しまた新しい傷を作った。
「んん……っ」
何度経験したって痛みはある。思わずコウジの背にしがみつくと、コウジはできたばかりの傷口を吸い上げながら肩を震わせて笑った。
昼間より気温の下がった部屋にあって、コウジが口で触れている左の肩口だけが熱い。体温は低いくせに吐く息は人並みの熱があるらしく、血と唾液の混じった傷口にコウジの息がかかってそこだけがだんだんと熱を持って重たくなっていった。
「ちょっ……コウジ……」
ヒロが声をかけてもコウジは血を吸うのをやめない。薄い靄がかかるように頭の中がぼうっとして、ヒロの足から力が抜ける。それをコウジがぐっと引き寄せて支えた。
「……ああ、」
正面からぴったりと密着して、ようやくコウジは顔を上げた。血の一滴をも惜しむように濡れた自分の唇を舐めて、口の端を上向ける。
「溜まってた?」
歌うような声にからかわれているようで、ヒロは身体を離そうとした。けれどコウジの腕は存外に強く、対してヒロは血を吸われたばかりで振りほどくほどの力は残っていない。せめてと睨みあげるとヒロを見つめる金色の瞳と目が合った。
コウジの手がヒロの腰のあたりをゆるゆると撫でる。あ、と喘ぐにも満たない掠れた声がヒロの口からこぼれた。
血を吸われながら下半身に熱をもたせているヒロを見て、勃たないんだよね、とコウジがさらりと言い放ったのはもう一年も前のことだ。吸血鬼という種を増やす手段は生殖ではないから、身体の見た目は人間に近くてもその機能はないのだと、まるで教科書を読み上げるように彼は言った。
「セックスできたらよかったんだけど」
「……俺と?」
「そうだね。してみたかったな」
冗談か本気かわからない声音だった。それはその時に限ったことではなかったから、ヒロも深く考えるのはやめたのだ。
それからコウジは、食事のお礼だと言ってヒロを射精させるようになった。セックスでもなんでもない、自慰の延長のような行為はなんとも形容しがたかったけれど、突き飛ばすほど嫌なわけでもないからそのままにさせて、それが結局一年も続いている。これもコウジの感覚では一ヶ月程度の期間なのだろう。
「手と口どっちがいい?」
ヒロをベッドに座らせながらコウジが訊いた。どっちでも、とヒロが答えると、コウジはじゃあ両方ねとうそぶきながらヒロの前に片膝をついた。
ズボンと下着を足元まで落とさせて、露わになった性器にコウジの指が触れる。直視したくなくてヒロが顔を背けると、それを咎めるようにコウジの指に力がこもった。
「あっ」
「好きな時にイっていいからね」
コウジはそう言ってヒロの性器を口に含んだ。尖った牙が当たらないように気を配りながら、ぬるついた口内でヒロを責める。
これはセックスではないから、いつ射精しても構わない。出すための事務作業のようだった。勃たないくせにこんなことをどこで覚えたというのか、気にならないわけではないけれど、コウジについて知らないことなど他にも山のようにあって、この行為はその一部分に過ぎない。彼が吸血鬼だということしか知らないような気もする。
自分とコウジの間に残る血のにおいが嗅覚に届いて、ヒロはそっと瞼を下ろした。
事務作業の結果でヒロはコウジの口内に射精して、コウジはそれを表情を変えずに飲み込んだ。
「捨てていいのに。美味くもないだろ……」
「血のほうがずっと美味しいけど、もったいないから」
なにがどうもったいないというのかヒロには理解できない。言及するのも面倒で、ヒロは上半身を後ろに倒しベッドに沈んだ。
「眠い?」
「……疲れた……」
「ふふ、ありがとう」
投げ出されていたヒロの脚をコウジが持ち上げて、妙な体勢だったヒロをベッドの定位置へ誘導した。ベッドの端でくしゃくしゃになっていたブランケットをかけてやると、閉じていたヒロの瞳がうっすらと開く。
「なあ」
「うん?」
「昼間はどこにいるんだ?」
昼間だけじゃない。夜だって、ヒロの部屋へ来ない時はどこでどんなふうに過ごしているのかヒロは知らない。
「ヒロの知らないところ」
「……答えになってない」
「ヒロは太陽の下を歩けるんだから、こっちに来ちゃだめだよ」
住む世界が違うと言うのなら、初めから交わるべきではなかったんじゃないのか。コウジだって最初はヒロを食べて、そのままヒロが死ぬか吸血鬼になるのを待つだけだったはずだ。この関係が想定外なら、その理由は本当にただ食事のためなのか。
言いたいことはあるはずなのに、ヒロの意識はうとうとと眠りの底へと向かってゆく。闇に慣れたはずの視界も瞼に覆われてはなにも見えない。
「また……」
かろうじて出た声もどこかへ吸い込まれるようにして消えて、寝息だけが残った。
コウジの指がヒロの前髪を梳いた。太陽の光のような色の髪にくちづけて、眠りの邪魔をしないようにそっと囁く。
「また来るよ」
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