静馬が欲しい怜治と恋人になりたくない静馬の話。怜治が攻略する静馬ルートの気持ちで書きました(2017/11/5に発行した同人誌の再録)
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気づいてしまえばあまりにも簡単なことだった。むしろなぜ今まで気づかずにいられたのかと不思議で仕方がない。
怜治と静馬は幼馴染で、物心がついているのか曖昧な頃からずっと一緒に過ごしてきた。遊馬も含めて三人でひとつずつ歳が違うこともあり、怜治自身はひとりっ子でも、もし兄と弟がいたらきっとこんな感じなのだろうと思う。
当たり前のように顔を合わせ、広い庭や街の中を走り回って遊んだ。ランドセルを背負うようになった時も、制服に腕を通すようになった時も、そばにはいつも静馬がいた。
家族のように近いけれど、帰る家は違う。一年以上離れた歳の差をひどく大きく感じていたのに、通学よりも脚の怪我のリハビリに集中することを選んだ静馬はある時から怜治と同じ学年になった。
怜治を取り囲む大勢の人々の、他の誰とも違う名づけ難いところに静馬はいる。まるで初めから「黛静馬」という椅子が怜治の中に存在していたかのように、静馬は怜治の中でひとり特別な場所にあった。他の誰も座れない、空席になることもない、静馬だけの椅子。
静馬の声が低く柔らかく響きながら、怜治様、と呼ぶようになっても、それは変わらない。もともと使用人たちにはそう声をかけられていたから慣れた呼ばれ方だったし、父親同士を見ていればいつか静馬もそう呼ぶのだろうと予想するのは容易なことだった。奇異の目で見てくるひともいたけれど、怜治と静馬にとっては自然なことで、それは他のなによりも優先される判断基準になる。敬語を使われることだって、距離を感じさせるものではない。
年上の幼馴染にあの優しい声で怜治様と呼ばれるたびに、甘やかされていると感じる。世話を焼かれることに対してではなく、もっと深く根底の部分で、なんの躊躇いもなく全幅の信頼を寄せることを許されている。
陰口を隠そうともしない門下生とも、遠巻きに見てくる同級生とも、気まぐれなファンとも違う。彼だけは絶対に離れていかないと、怜治を裏切ったり陥れたりしないと疑いなく信じられる。
それは怜治にとって息をするように当たり前で、だからそうでなくなる時が来る可能性など想像したことがなかった。
それだけのことだ。
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