show love me, show your love

触れないと遠く、触れれば更に遠ざかる

・愛撫の意味:「溢れ出てゆくなにものか」、手からはこぼれ落ちていってしまうなにごとかを求めつづける。愛撫とは、「逃れてゆくなにものかとの戯れ」である。性愛の経験はまた、「融合」としてイメージされるが、身体のこれ以上ないほどの接近にあってなお、他者との隔たりは増大してゆく。
(参考:Emmanuel Levinas)

 忍足は俺に触れるのが好きだ。
 最初こそ、それは他との接触を好む――物理的拘束をしたがる――からだと思ったが、しかしすぐに違うと知れる。例えば、奴は自分に腕を絡ませてくる女には綺麗な笑みしか返さないし、飛びついてきた相方には頭を撫でてやり、言を弄することで応えてやっている(この時点で、奴における女の地位の低さがまず可笑しい)。

 ならば今、この身を這う手は何なのか。

「おい」
「ん?」
「邪魔」

 読んでいる本と向き合ったまま、目もくれずにそう云うと、奴はえーと不服そうな声をつくって出した。

「ええやんかー」
「気色悪い声出してんじゃねえよ。離れろ」
「厭」

 そう云って強くなった力に、俺は大きく溜息を吐く。
 そもそも俺はソファで読みかけの本を終わらせてしまおうと読んでいて、隣の忍足は大人しくテレビを観ていた筈なのだ。そこには確かに、ゆうに五十センチほどの距離があった筈なのに、明らかにそれは縮まっている。
 具体的に云うならば、ゼロ。

「本読むなら目ぇと手ぇとアタマがあればええやろ? 俺んことなん気にせんで、続き読んでてくれて構わんよ」

 ん? と向けられたその他大勢へやるのと同じ笑みは思いのほか至近距離で、俺はいささか面喰らった。それは眉間に現れたようで、気付いた忍足が苦笑する。

「そない顔せんでもええのに」
「誰の所為だ」

 腰に回された腕はともかくとして――全然良くないが――もう一方、ずっと顎と首筋を這っている手が気に喰わない。一瞬でも隙を見せれば鎖骨から下へ侵入することは明白だ。
 話をしたら続きを読む気が失せてしまった。仕方がないので栞を挟んで本を閉じる。と、生じたハードカバー特有のぱたんという小気味よい音に、思わず本の縁を凝視した。武器としては、中々適していそうである。

「はいはいはい、物騒なこと考えへんようになー」

 あっさりと取り上げられたそれは、そのまま硝子のローテーブルに放置された。大体忍足の方から「この本どう思うか聞かせて」と無理矢理渡されたものなのに、この展開は明らかにおかしいと思う。

「―――何がしたいんだよ」

 取り敢えず首の辺りの手を引き剥がして、ソファに座りなおした。こうなったら忍足は、相手をしてやらないとずっとこの調子だ。

「何もせんでええて。跡部はここにおればええの。本でも何でも好きに見てればええわ」
「じゃあこの手はなんだ」
「んー・・・アイブ?」
「―――はっ。どの口でそんな科白吐いてんだ?」
「だってホンマに愛しとるんやもん」

 ぴく、とまた眉間に皺が寄ったのが判った。

「―――跡部の綺麗な肌」
「当たり前だ。ジャンクフードしか喰ってねえような女と一緒にすんなよ」
「してへんよ。やからこうしとるんやん」

 忍足の云っていることは本当だった。化粧に塗れた女の肌に、忍足が触れているのを少なくとも俺は見たことがない。
 しかしそれとこれとは全くもって別問題である。

「関係ねえよ。離れろ」
「えー。跡部、俺に触られんの厭?」
「厭っつうか、いやらしいんだよお前の触り方は」
「うわ、酷」
「エロオヤジって云うか」
「なんやねんそれ。そんな奴に触らしたことあるん?」
「は? ものの例えだろ」
「ならええけど」

 本気なのか戯れなのか判らない憤りは、しかし自己完結にも似た潔さで消える。
 離れて暫く彷徨っていた片手が、今度はこの髪を捕らえた。

「なあ、そないいやらしい?」
「そういうところがな」
「―――その気になったりとかは?」
「誰が」

 軽く一蹴すると、なんや残念、期待させよってと忍足は笑った。
 その表情が先程とはあまりに違うのはどうしたことか。

 その一瞬、その隙に俺の身体は両腕に拘束された。

「―――おい、お前本当におかしいぞ」
「えー、そないなこと―――」

 どこか遠くへ投げかけるように云いながら、忍足は俺の首筋に顔を埋め、呟いた。

「やって、跡部遠いんやもん」

 傍に居て、触れても、愛し撫でても、抱いても。

 消えゆく声の余韻と吐息を感じながら、俺は遠いのはどっちだと思った。

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