パラレル/裏社会な忍足と表社会な跡部
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男はただ、黒かった。
虚飾と虚勢と虚構が混在したネオンから逃げるように、見落としそうな程狭い路地へと折れた。現実を抜け出したい、囚われの人間達を誘うネオンは自分には眩し過ぎて、吸い込まれるようにその灯りひとつない、道と呼ぶのにも躊躇う路地へと。見落としそうな筈なのに跡部の目には、そこだけが異様なまでにくっきりと浮かび上がって見えたのだ。
呼ばれていた。
ざ、と踏み入れた先は薄暗く、両脇に積み上げられた廃棄物が迫る影を作っていた。背後からの光が強すぎて、余計に眼前が不鮮明になる。
やがて目が慣れてくると、細い道の少し先に、動く影があるのに気付いた。屈んでいるのだろう、地面に近い位置で僅かに、だがはっきりとその影は動いている。何も考えず踏み込んだから、相手もこちらに気付いているかも知れない。しかし顔が向けられる気配はない。
ざり、ともう一歩、踏み出したところへ向こうから小さな影が飛び出して来た。それはそこに跡部など居ないかのように駆けてゆき、真直ぐネオンの渦に消えていった。小さな、黒い、猫。
そちらに気を取られている間に、向こうの影が今度こそ、立ち上がる気配がして跡部ははっと振り向いた。屈んでいた影が、ゆっくりと、立ち上がる。
黒い髪、黒いコート、黒い靴。顔だけが青白く、暗い路地に浮かぶ。その顔から射抜く眸もやはり黒く───
跡部は動けなかった。
「さっきの、野良やねんで」
男はこの付近では滅多に聞かれない言葉で喋った。真直ぐこちらに向いたまま、低く柔らかく毒を巧妙に隠した声で。
「偶々喰えそうなモン持っててん、やからあげたったんやけど、もうないて判ったらさっきの通り、行ってもうたわ」
人が自覚のないまま警戒を解いてしまいそうな笑みが、跡部を縛り付けた。多分今の自分は酷く滑稽な表情を曝している。しかしその事実は、行動を起こす要因には結び付かなかった。
「ええよね、ああいうん」
「───な、にが」
やっとのことで発した声が、正しく相手に届いた自信がない。どちらもその場を動かず、距離を保ったまま視線だけがやけに深く絡まる感じがした。
「解らん? 解るやろ、あんたなら」
唱えるように云い聞かせ、影よりも濃く黒い男は一歩を踏み出した。確かな足取りで近づいて来る男の身長は跡部と然程変わらなかったが、自分よりも遥かに存在感があるのは何の力なのだろうか。
動かぬままただ相手がやって来るのを見ていた跡部の頬に、男の指の背が触れた。それはあまりに自然な動作で、避けることも払うことも出来なかった。切れ長の目を細め、諭すように云う。
「あんたみたいなんは、こんな処におらん方がええ。早いうちに出てき」
囁いて、す、と跡部から離れた。そのまま擦れ違い、光の方へ歩んでゆく。やたら渇いた喉を叱咤して、跡部はその背中に声をかけた。
「───待、」
男は立ち止まらない。これが境界だと云うかのように、振り返りも、手を挙げることもしなかった。
やがて先程の黒い猫が、食糧を求め再び彷徨い戻って来るまで跡部はそこを動かなかった。
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