浴衣を着てお祭りへ
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きっと総て幻影だ
こんな
喧噪の中 二人きり なんて
からん、ころんと静かに響いていた下駄の音は、二人で縁側に腰掛けたことで途切れてしまった。
少し離れた人々の存在が、余計にここを憂き世から離れた印象にする。
二人の間は完全な沈黙だったが、それは決して居心地の悪いものではなく、寧ろ多少の酩酊感を含んでいるように感じられた。
現<うつつ>ではない、そんな。
「―――鳳たち、どうしたやろな」
忍足が少し空気を揺らした。
「知らねえよ。あいつらはあいつらで、適当にやってんだろ」
「せやな」
然うしてまた、抜けたように沈黙が降りる。
気がついたら他の面子と離れてしまって、そのまま二人で流れるように歩いてここへ来た。
もしかしたら自分は、二人きりになりたかったのかも知れない、と。
そう考えた跡部は自分自身に違和感を感じず、それが口惜しいと思ったが、厭な感情ではなかった。
九月の終わり。
聞こえるのは、季節外れの夏祭りの声。
そのまま生温いその空気に溶け込もうとしていた跡部は、しかし隣からの視線に気付いて顔を向けた。
何だ。声はなく、眼だけで訊く。
忍足はふ、と笑い、小首を傾げて云った。
「跡部、やっぱよう似合うとる」
浴衣。
跡部は返答の代わりに顔を背けた。
その姿に忍足はまた、声を出さずに笑った。
やがて、と云うほど時間が経っているのかそうでないのか、
「今日だけだ、こんなの」、と、跡部が呟いた。
忍足はまた笑った。
そうっと、忍足が腕を伸ばした。
背中から回して、跡部の身体を引き寄せる。
跡部は反射的と云うには可笑しいほどゆっくりと肩を竦めて応えた。
確かに接触しているのに、跡部の着崩した浴衣が重なり妙に二人の境界を阻んで、酷くもどかしく感じた。
跡部の髪に顔を埋めて、忍足は目を閉じた。
「忍足」
真下から聞こえた声に忍足は少し驚いて、顔を離した。
「何?」
その声が優しかったかどうかなんて、どうでもいい。
「―――」
跡部は何も云わず、ただ頭を忍足の肩口へ押し付けた。
忍足の腕が力を強めた。
髪が跡部の項を掠ってくすぐったかった。
多分それが合図だった。
まだ暑い日が続いている。秋はそう遠くはないけれど、近くもない。
跡部は自分の肌が汗ばむ理由をそう決めた。
ともすれば触れられていることを忘れてしまうほど、ゆっくりと胸の上を滑る手に、
これは何か神聖な儀式のようだと思った。
古い神社の寂れた通路が、二人分の重みで軋んだ。
きっと総て幻影だ。
こんな、ことは。
夢を視ているんだ。
今の状況を鵜呑みにしてはいけないと、本能で感じた。
いつかこの光景に囚われてしまう。動けなくなる。
匂いも空気も存在も総てが心地好いのに、それに抗わなければならないと跡部の身体は訴えた。
吸った空気が自分を支配してしまうような錯覚に陥った。
自分の髪を梳く忍足の手はいつもと変わらないのに、跡部は酷く情緒が乱れて、忍足からは見えないように浴衣の裾を握り締めた。
それに気付いたのか、忍足はまた、唇を寄せて来た。
跡部はそれに応えた。
祭りの音と気配だけが、自分達をここへ繋ぎ止めているのだと跡部は思った。
それからこことは何処だろうと思案したが、多分意識がここには無くて、何も判らなかった。
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