「小唄都々逸なんでもできて お約束だけ出来ぬ人」
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(認知がまやかしであると判明した時の、巨大な疎外感のようなもの)
跡部が一瞬、堪えたような表情をしたのは身体にかかる負担のせいではなかった。
「お前」
云って、右手を忍足の左胸にひたりと当てた。その温度は高く、掌から急激に熱を奪われてゆくのがわかる。薄い水の膜に覆われた蒼灰色の眸がぎらりと忍足を捉えた。
「何を考えてる?」
触れたままの掌から心臓が動いている事実を感じる。相対する黒い眸の中に自分の姿を認められないのは単に部屋の照明を落としているからなのだろうか。
暗闇に、細い銀のフレームが浮かび上がる。キスの時には鬱陶しかったが、それだけだった。今更何を云うほどのものでもない。
忍足は、今まさに肉体的に最大限の干渉をしている相手に笑みも悲しみも愛しさも嫌悪も伺えない表情で、答えた。
「跡部のこと」
ぎり、と鷲掴むようにしてから、跡部はその右腕をシーツの上に投げ出した。
その動作には忍足は特に反応しない。ただ、慣れた律動を再開するだけ。息と熱は上がっていたが、行為の点からみれば当たり前の現象だった。それ以外の点では、彼にはなんの変化もみられない。
今だけではない、いつだって。
「―――ふん」
哄笑の代わりに、目を閉じた。瞼の裏がちかちかと明滅する。脳裏は鮮明に醒めてゆく。
つまるところ俺の存在も立場も役目も、ふざけて掛けているとしか思えないあの薄いプラスチックと同等なのだと跡部は思った。
だがこうして相手をし続けている理由は、哀れみではない。それだけは、確実だった。
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