隠れ家の夜

ふたりで夜通し映画を観る話

帰り道に突然、映画を観よう、と云った。
どちらが云ったか忘れたが、それはどうでも良かった。
どんなものが観たい、少し旧くて、旧過ぎなくて、単館ぽいもの、それならこれは。
そんな会話を経て、いま二人は跡部の部屋に居た。

『――――・・・・・・』

最新型の液晶テレビから、高音質で科白が流れる。
日本語でも英語でもない為忍足は字幕を追っていた。
跡部も勿論画面を視ていたが、白い手書きの文字は必要なさそうだった。
テレビとソファの間に置かれた低い硝子のテーブルに、レンタルDVDのケースが無造作に放られている。
忍足が淹れたコーヒーは湯気が消えかけていた。

   眠れる場所を探している

跡部はローソファに腰掛けていて、忍足はその隣で床に座り、ソファに背を預けていた。
だから跡部からは、忍足の姿が良く視える。
電気を消した室内で、テレビの光を受けた蒼白い忍足の顔がやけに気になった。

「―――おい」

映画を観ている時に話し掛けるなんて言語道断だと、いつか自分が云った記憶は無視した。
忍足は動かなかった。
画面をじっと見ていたが、内容を理解しているようには見えなかった。

「おい―――忍足」

   紙のように擦り切れ 傷むしかない心なんて

長い睫毛が動いて、瞬きをするのが見えた。
それから忍足はゆっくり振り向いて、云った。

「―――何?」
「あ―――」

呼んだものの、跡部は別に用がある訳ではなかった。
だから返答に窮してしまった。
ただ。

   今は失っても・・・

ただ―――そう、変だったから。
今の忍足は、どこか異質な空気を纏っていた。
いつからこんな雰囲気だったのか跡部には思い出せなかったが、それでも『今』の忍足は いつもとは明らかに違った。
例えるなら不意に、ほんとうに不意に、消えてしまいそうな。

   砂のように零れてくだけ

「―――悪い。何でもねえ」
「さよか?」
「ああ」

忍足はテレビへ向き直った。
やっぱり何かおかしい―――そう思っても、跡部は何を云って善いか判らなかった。
煮え切らない気持ちの侭自分もまた画面を視る。
映画はそろそろ山場というようなシーンだった。

   月よ廻れ
   総てが欲しい訳じゃないんだ

ふと跡部は、膝の辺りに何かの感触を感じた。
気付かないなんていつの間にそんなに映画に集中していたのか。
見れば、忍足が頭を跡部の膝に凭れさせていた。

   跪いた流れの淵で愛を乞えば

忍足、と呼ぼうとした声を跡部は呑み込んだ。―――そうじゃない。
何故かそう思った。
跡部は手を伸ばし、忍足の頭にそっと乗せた。

   この空が僕を捨てるよ

撫でるとは到底云えない、ごく軽い力に、忍足は反応した。膝に掛かる重みが僅かに増す。
―――それだけのこと。
跡部は先程よりは力を込めて、顎の線をゆっくりと、辿るように撫でた。
自分の片手が相手の頬を包むというのは奇妙なことだった。
忍足は、跡部に委ねて動かなかった。
意義のない眼鏡が外されて無防備な薄い瞼をなぞった時、跡部の指は確かに熱を感じた。

   月よ廻れ
   渇きと共に僕らは来たんだ

頬を伝うものは、激しい感情の波だ。
抑え切れずに溢れるものだ。
それは声を出せずに、往き場を求めて叫んでいる。
必死に、とても、一途に。

「―――忍足」

映画はとっくにエンドロールを終え、今はメニュー画面が表示されていた。
BGMにはさまざまなシーンでアレンジし使用された、この作品のテーマメロディが流れている。
緩やかで、細やかで、澱みのない。
とても綺麗な空気のような。
自分たちの存在だけが、宙に浮いているような気がした。
跡部は、忍足の真意が解らぬまま、その頬にずっと触れていた。

   月よ廻れ

テレビからは映画のテーマが途切れることなく流れている。
湿った跡部の指は、夜明けまで乾くことはなかった。

   歩き疲れて隠れ家の夜に
   眠れる場所を探している

quotation by “Tide Moon River”

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