雪、電話、ロビーにて。

出張中古泉

 ホテルを取ってきましょう、と新川さんが席を立った。お願いしますと宿の確保を任せて、こちらも携帯電話を取り出す。
 さっきから同じ言葉を繰り返しているアナウンスは広いターミナルによく反響している。電話の相手にとって耳障りでなければいいのだが。

『もしもし』
 コール音は四回目で途切れた。電波状況のせいなのか、少しくぐもった感じのする彼の声は穏やかに響いてほっとする。
「こんばんは。今、よろしいですか?」
『ああ。どうした』
 声が聴きたかったので、という理由でかけたのではないので自重する。
「実はちょっと困ったことが起きまして、明日の学校に間に合いそうにないのです。巧くいけば放課後には行けるかと思うのですが、その可能性も五分五分で断言しかねる状況です。あなたの方から、涼宮さんに僕が欠席する旨お伝えいただけないでしょうか」
『…………は?』
 たっぷり間をおいて、一文字の返事をいただいた。常日頃から話が長いと叱られているので要点だけをまとめたつもりだったのだが、どうやら僕はまた間違えたらしい。ええと、どこから説明しましょうか。
『なに、欠席って……お前、今、どこ』
 僕の声の後ろに響いているアナウンスに気づいたらしい。怪訝そうに訊かれたので正直に答える。
「金沢です」
『はあ?』
 彼は心底わけがわからないとでも云うかのような声をあげた。石川県です。加賀百万石、とは聞いたことがありませんか。数年前に大河ドラマにもなりましたが。
『そういうことを訊いてるんじゃない。そんなところでなにやってんだ』
「僕が用事もなくこんな遠方へ出向くとお思いですか? 出張ですよ」
 しゅっちょう、と彼は言葉を噛み砕くように繰り返した。
『……閉鎖空間か』
「ご明察です。閉鎖空間は涼宮さんの行動範囲内に発生するのですが、ここ金沢には涼宮さんの親戚の方が住んでいらっしゃいますので、訪れた経験がおありなのでしょう。このようなことは久しぶりなので油断していました」
『それで、どうして帰って来れないんだ』
 帰る、という単語を彼がごく自然に使用して心臓が跳ねる。どうにも意識しすぎてしまっていけない。仕方のないことだけれど。
「天候不順で飛行機が運航中止になってしまったのです。その他各種交通機関も同様に。『機関』の力をもってしても、天気まではどうにもなりませんからね。あるいは長門さんにお願いすれば可能でしょうが、彼女が同意してくださるとは思えません」
『天気の情報操作は数百年後に影響するらしいからな。諦めろ』
「ええ。諦めた結果として、僕は一晩こちらで休み、明日の朝に戻ろうということになったわけです」
 彼はようやく合点がいったようで、ああ、なるほど、と呟いた。受話口の向こうはしんと静まりかえっている。
 僕は彼が自分の部屋で携帯電話を片手に過ごしている姿を想像する。温度の低い静かな部屋(シャミセン氏は眠っているのだろう)、淡い色のカーテン、ガラス窓の向こう。
「そちらも、まだ降っていますか?」
 戯れに訊くと、金具がカーテンレールを滑る音がした。わざわざ確かめてくれたらしい。
『そうだな……もうだいぶボタ雪だけどな』
 でも結構積もってる、との言葉に、雪に覆われた彼の家の周辺や北高の様子を思い描いてみる。普段降らない分、雪景色はそれだけでも全く違う姿に見えるものだが、あの高校から見る景色はさぞ幻想的だろう。そこへ辿り着くまでが難関だが、見てみたい。みんなで。
「それは楽しみです。転校してきてから、雪が降るのは初めてなので」
 閉鎖空間が発生して家を出た時は、雪の予報はあったもののまだ曇天だったのだ。それでもただの曇りにしては明るくて、あれは雪の兆候だったのだろう。
『俺だってこんな積もってるのを見るのは年に一、二回だよ。明日はハルヒがうるさそうだ』
 セリフに反して凪いだ口調のまま、じゃあお前が休むってハルヒに伝えておけばいいんだな、と確認された。
「ええ、よろしくお願いします。ではまた、間に合えば明日の団活動で。お休みなさい」
『晴れるといいな。――お休み』
 直後、ぷつりと通話が切れた。途端聴覚に蘇る空港のアナウンス。話している途中からそんなものは聞こえなくなっていた。一応電光掲示板を見上げてみるが、そこに並ぶのはやはり「雪のため欠航」の文字ばかり。
 携帯電話を耳から離し周囲に目をやると、ホテルの手配を終えたらしい新川さんが戻ってきた。おそらく僕が電話をしていることに気づいて、少し離れたところで待っていてくれたのだろう。ありがたい。
 パーカーのポケットに携帯電話をしまって立ち上がる。明日晴れたとして、北高の坂は路面凍結で大変な危険地帯と化すだろう。長門さんにその部分だけでもどうにかしてくれるよう頼んでみようか。涼宮さんにも彼にも、凍った路面に足をとられて転倒するなんて姿は見られたくない。いっそ休んでしまうこともできるだろうが、明日のSOS団団活動は雪遊びに違いなく、それに参加しないのはもったいないと思わざるをえないのだった。

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