シスター

森さんと古泉
こんな境遇を共有して出会ったわたしたちの関係は

 初めて会った時、中学に入ったばかりだった古泉は、美しい布目が輝くいかにもおろしたての黒い詰襟に身を包み、じっとわたしを見据えていました。わたしは既に機関のメンバーとして生活しており、古泉に関する資料も頭に入っていましたから、一目見てすぐにああ、この子が、と、同情にも似た感情で胸がいっぱいになりました。この子が、わたしたちの、仲間なのだと。
 思わず興奮して早口で事情を説明するわたしの話を、値踏みするように聴き入る古泉はとても賢い子供の顔をしていました。騙されまいと、けれど自分に利のある話ならば乗ろうと考えている顔。
 そんな古泉の纏った黒い衣服を、わたしは戦闘服のようだと思いました。

 ほどなくして古泉は正式に機関の一員となり、生活を共にするようになりました。両親くらいの年代や、それこそテレビでしか見ることのない企業家政治家のような人間ばかりが集う毎日の中で、比較的年の近いわたしたちは自然と打ち解けていきました。古泉は態度こそ警戒する姿勢でいたものの、それはこちらへの敵意ではなく自己を守るためのものであって、内面はとても素直ないい子なのです。一度気を許してくれたら、それからは向こうから慕ってくれるようになりました。時にはこっそりと、頭の硬い機関上層部に対する愚痴を零し合ったりもしたものです。そんなわたしたちを見て周囲の人間は、まるで姉と弟だと茶化していました。
 本来ならば高校生となるべき頃(申し遅れてしまいましたが、一般人とは生活リズムが異なるため、基本的に機関の人間は学校へは通いません。勉強は空いた時間に各自でこなしています)、涼宮ハルヒさんの直近での観察という最重要任務を帯びた古泉は機関所有の施設を出、一人暮らしを始めることになりました。なんで俺が、と(俺というのは古泉の本来の一人称です)何度もぼやきながら、それでも分別をつけざるをえないような生活をもう三年も続けてきたわたしたちですから、古泉は当然、その任務に従いました。
 生活圏が離れてしまっても、わたしと古泉は頻繁に連絡を取り合いました。古泉がメールに添付した報告書の確認、いわゆる事務連絡から、真夜中に新生活での不満をぶつけるためだけにかかってくる電話まで、不謹慎ながらどれもわたしには楽しいものでした。端正な顔立ちとすっかり伸びた身長は同級生の羨望の的でしょうし、通常の義務教育すら受けない代わりに自分で熱心に勉強していましたから、頭も良いはずです。それに加え、この任務に就くために、古泉は以前からは想像もつかないほどの強固な仮面を作り上げました。わたしの前ではそれは外れるのですが、仮面をつけた状態での古泉が機関のスポンサーと応対しているのを見た時は溜息しか出ませんでした。古泉、あなたの職業がホストではなく正義の味方でよかったわと、それは心から思ったことです。
 古泉の手に入れた、円滑なコミュニケーション用の仮面が、古泉に必要以上の負荷を与えはしないかと危惧したことは、杞憂ではありませんでした。なにかあれば古泉はわたしへ電話をかけてきて、それをぶつぶつと、あの低くて心地の好い声で零したのです。今では誰に対しても敬語で接しているはずの古泉が、「森さん、俺いつまでここにいればいいんだよ。あいつの顔なんか見たくないって知ってるだろ。上に掛け合ってよ」と乱暴に放つその本音が、わたしだけに晒されるものであると知って生まれた感情は、断言しましょう、あれは間違いなく、優越感でした。
 前述したように古泉もわたしも分別はついていましたから、古泉の訴えは本音ではありましたが、それを云ってどうにかなるものではないことはもちろん理解していました。古泉からの電話は、ただ喋るためだけにかかってくるのです。それであの仮面の負荷が少しでも減るならばという思いもありましたし、わたしはわたしで、能力者とは別の任務をこなしていましたから、その合間で古泉と話せることは楽しみでした。

 最初に違和感を感じたのは、古泉が「あいつの顔なんか見たくない」というその「あいつ」が、どうやら涼宮ハルヒさんを指しているのではないようだと気づいた時でした。涼宮ハルヒさんではなく、神の鍵たる少年のことを云っているようなのです。そう思って改めて古泉の話を聞くと、その内容は酷いものでした。彼を嫌っているというよりは、嫌わなければ生きていけないというほどの痛切な重みを伴って、その訴えは展開されました。今までわたしたちに強いられてきた生活を思えば、彼の存在が気に食わなくても当然ではあるのですが、古泉の状態はそのレベルを超越していました。神の傍若無人ぶりよりも、平々凡々に生きる彼のことばかりを、古泉は電話口で不満げに話すようになりました。
 ただでさえ多感な年齢でのこんな状況ですから、過敏になってしまうのだろうと思っていました。なにも感じない方がよほど不自然です。それに比べたらまだいいと、そう思っていました。
 ところがしばらくすると、今度はぱったりと、彼の話をしなくなりました。機関へ提出している書類はいつも通り完璧で、涼宮ハルヒさんや別の組織の動向、そして彼についてもきちんと言及されており、必要な報告はなされているのですが、わたしとの電話の中からは彼の話題はなくなりました。代わりに、教えるのが下手な教師のことや、大変な準備を伴う学校行事のことなど、あやふやでありふれた愚痴ばかりが、会話を占めるようになりました。そうして冬が過ぎ、春を迎えようとする頃には、古泉からのこういった愚痴の類の電話自体が、かかってこなくなりました。
 機関の定例会議で顔を合わせた時、「最近、電話をかけてこないのね」とさりげなく訊いてみたことがあります。いま思えばあれはつまらない、小さな嫉妬でした。
「僕だってもう子供じゃないんですよ」
 仮面の口調でそう返した古泉が、今までに見たことがないくらい綺麗に、ただでさえ整ったあの顔で綺麗に笑んでみせるものだから、わたしは否が応でも真実を理解せざるをえなかったのです。
 すなわち、古泉がずっと彼について零していたあれは、嫌悪とは正反対の感情であったことを。

 ところで中学一年の古泉と初めて会った時、わたしが小学五年であったことを古泉はまだ知りません。隠していたわけではないのですが、同級生の中でも抜きんでて落ち着いていたわたしのことを古泉は疑いもせずに年上であると思い込んだらしく、またその誤解を解くタイミングもつかめないままだったため、あれから四年が経った今でも古泉はわたしの本当の年齢を知らないままです。
 だから古泉は、わたしが今、とても寂しく思っていることを知りません。意地っ張りで愚痴っぽくて甘えたがりのくせにそれを認めたがらない、どうしようもない兄に素敵な恋人ができてしまって、お役御免になってしまった妹のような気持ちでいることを、古泉は知りません。
 けれどそれでいいのです。
 涼宮ハルヒさんを中心とした事象に関わり、機関のメンバーとして生きていくようになって、わたしは今、普通の女子高生とはずいぶんかけ離れた生活をしています。小学校の卒業式すら経験せず、ずっと学校へは通っていません。近所のお姉さんを見て憧れていたセーラー服もブレザーも、一度も着ることのないままで、きっとわたしは大人になるでしょう。古泉からSOS団の報告を受ける度に、五人のきらきらと眩しい学生生活を思い描いては妬ましいほどに羨ましく、涙が出そうになります。自分にも享受されるはずの、しかし奪われてしまった、当たり前の日常と当たり前の経験。
 けれどそう、大好きな兄に恋人ができてしまって寂しい気持ち。これだって十分に、甘酸っぱい青春みたいな感情じゃあありませんか。だからわたしは、こんな気持ちをくれた古泉と彼に感謝して、いつか捧げる祝辞にわたしの本当の年齢を添えようと思っています。古泉も、図らずしも彼も、年齢や礼儀を大切にする人たちですから、きっと驚くでしょう。その日が早く来ないかと、心待ちにしているわたしは趣味が悪いと思われてしまうでしょうか。

 でもそのくらい、些細な悪戯として笑って許してくれるよね、一樹お兄ちゃん?

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