七日目
自分が一体いつ眠りに堕ちたのか知らない。たゆたう意識の中で薄く目を開くと、白いシーツと形の整った指が視界に入った。それが古泉のものであると認識する頃、辺りの眩しさに気づく。今は何時だろうか。
身体を起こそうとしたら、巻きついたままの古泉の腕にやんわりと止められた。
「おはようございます」
声は背後から聞こえる。俺は仕方なく起き上がるのを一旦諦めて、狭い腕の中で身体を反転させた。
「よく眠れましたか?」
至近距離で古泉は、なにもなかったかのようにそう微笑んだ。よく云うぜ、お前なんて一晩中、眠ってすらいないくせに。かく云う俺は明け方まで寝付けなかったが、その後ようやく眠れたようで、睡眠不足という気分ではなかった。
「お蔭様でな」
それはよかった、と古泉は他人事を評価した。ふふ、と高校男子とは思えない笑い方をして、俺の髪を梳く。男のこんな短い髪に触っても面白くないだろうに。
「とんでもない。――好きですよ」
目的語はあえて訊かないでおこう。古泉は俺の短い前髪に唇で触れてから上半身を起こし、お昼にしましょうか、と云った。
時計は13時を指していた。
夕飯は家に帰って食べると伝えてあったので、軽く食事を済ませるともうすべきことはなかった。それから帰るまでの間、特筆するようなことはなにもない。いつも通りだ。古泉が笑顔でなにかを云って、俺はそれに呆れたり苦笑したりしながら返す。古泉は嬉しそうにまた笑う。
もしかしたら古泉が昨夜みたいな状態になって俺を引き止めるんじゃないかとも思ったが、そんな気配はなく、俺たちはゆっくりと時間が過ぎるのに身を委ねていた。
古泉は俺を見送りに降りてきた。ここへ来た時にとめた自転車は撤去されることなく無事で、いつだかの駅前の悲劇とは大違いだ。よっ、とカゴにバッグを突っ込んで古泉に向き直る。
「じゃあ。いろいろありがとうな」
「いいえ。なにもお構いせずにすみません」
「いや、宿題とか助かったし」
そうですね、と古泉はいつもの顔で笑う。そこからふっとなにかが抜けて、夕焼けに染められたその整った顔はなんだか別次元の存在のようだった。
「来てくれて、ありがとうございました。本当に」
黄昏は、誰そ彼、だったか。
「嬉しかったです」
古泉は俺に手を伸ばしかけて、やめた。その手をぼんやりと見つめていたが、古泉の声に顔をあげる。
「――この、一週間のこと」
それは祈るように、穏やかに届く。
「忘れないで、くださいね」
地平の空はいよいよ赤く、上空は藍色に染まっていた。その混じり合う部分、自然界にしかない色が横に広がって帯になる。それを背景に、古泉が俺を見ている。きれいだ。
「――ああ」
短く返すと古泉は満たされたように微笑んだ。それを見て俺は、ああ、正しかったんだ、と思う。なにが間違いかなんて知らないし、そもそも問いすら知らないが、この一週間を古泉と過ごしたことは、正しかった。少なくとも、俺と古泉にとっては。
「じゃあ、またな」
自転車のペダルに足をかけ、手を振る古泉に手を挙げて返して、ゆっくりと漕ぎ出した。
忘れない。毎日反芻して確かめるようなことはしないだろうが、忘れ去ってしまうこともなく、この時間と記憶はきっと俺の中に存在し続ける。
そんな気がしていた。
(オレンジフィルムガーデン まだ遊んでたい)
the pillows/オレンジ・フィルム・ガーデン
おつきあいありがとうございました!
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます