オレンジフィルムガーデン

五日目

 電気を消す。真っ暗になる。窓からカーテン越しに照らす街灯のぼんやりとした光に目が慣れるまで、俺たちは闇に取り残される。
「お休みなさい」
 暗闇の中から古泉の声が届いた。そこにいる。
「ん、お休み」
 夏だからといってさすがになにも掛けないのは身体に悪いと、申し訳程度に使っているタオルケットに手を伸ばす。薄いタオル地の布を掴んだ瞬間、静かな夜の中に場違いまでに無機質な音が響いた。
 部屋の空気が瞬間、凍る。机の上を低く唸りながら滑るそれは、古泉の携帯電話だ。
『機関』との連絡用の。
「――はい」
 無駄のない動作で青白く光るディスプレイを取り上げた古泉は、二言目にわかりましたとだけ云ってすぐに電話を切った。古泉が振り返るより先に、俺が口を開く。
「閉鎖空間か?」
「そのようです。規模は小さいですが場所が遠いので、早く行かないと範囲が広がる可能性があります」
 早口で云いながら古泉は消したばかりの電気をつけ、シャツとチノパンに着替えていた。俺はベッドの端に座ったままそれを見ている。古泉の長ったらしい台詞に、そうか、とだけ返した。
「こんな時間です、悪い夢でも見たのでしょう」
 俺の反応が薄いのをなんだと思ったのか、古泉はここにはいない当人をフォローするようなことを云った。俺はそれに生返事をして、玄関まで古泉を見送りに行く。
「あなたは先に休んでいてください。僕も閉鎖空間が片付き次第、すぐに戻ります」
「ああ」
 閉鎖空間へ向かう古泉を見るのは二度目だな。新川さんが運転する、メーターのない黒塗りタクシーはもう下で古泉を待っているのだろうか。
「気をつけて」
 顔だけで振り向いた古泉は薄く微笑んで、お休みなさい、ともう一度云った。

 部屋は古泉が明かりをつけたままになっていて不思議な気分がした。他人の家で一人になるなんて経験はそうそうあるものではない。電気を消して横になってみても落ち着かず、俺はリビングでテレビを見ることにした。
 が、ほどなくして画面はどのチャンネルに合わせても砂嵐になる時間帯となり、次はその辺に転がっていたDVDを見始めた。見たくて見ているわけではないので内容は半分くらいしか頭に入ってこない。ただなんとなく寝る気がしなくて、他にすることもないからこうしているだけだ。
 時計を見ていなかったので何時間経ったのかわからないが、がちゃりと鍵を開ける音がした。それはことさらゆっくりと閉められて、なにやってんだ、さっさと閉めて戻ってくりゃいいじゃねえかと思う。古泉がリビングのドアを開けた。
「――――え、」
 たっぷりと間を置いて、一音だけ発する。俺はぼんやり眺めていた画面から目を逸らして、古泉を見た。文字通り、目を丸くして固まっている。なかなか珍しい顔で少し笑った。
「なんだその顔」
「いや、だって、あなた――なんで起きてるんですか」
「寝る気がしなかったんだよ」
 ほとんど見ていなかったDVDは停止して取り出した。テレビも変わらず砂嵐なので消す。もう用はない。
「古泉」
 ドア付近に立ち尽くしたままだった古泉に声をかけるが、いまいち反応がない。どこかうわの空のようであり、なにか小難しいことを考えているようでもある。立ち上がって少し近づく。
「お帰り」
「――はい」
 古泉はようやくそう反応して、こういう表現は非常に気色悪いのだが、花ひらくように破顔した。
「ただいま戻りました」
 お前はどこの兵隊だ。だが実際古泉は《神人》と閉鎖空間を片づけて帰ってきたところで、それは戦いに似たようなものかも知れないと思った。

 妙ににやついている古泉をさっさと着替えさせて、俺たちはそれぞれのベッドに潜り込む。古泉の三度目の「お休みなさい」は囁きのまま闇に溶けて、今度こそ真実の言葉になった。

(感情のバルブは開きっぱなし)

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