無駄に恥ずかしいクリスマス
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聖キリストのことなんてどうでもいいくせに誰もが浮かれる12月24日。メールの着信で目を覚ました僕は、それと同時に久しぶりの感覚に襲われた。
(――閉鎖空間)
ベッドの温もりを惜しみながら身体を起こす。メールの差出人はやはり、涼宮さんだった。
『インフルエンザにかかっちゃったみたい。今日のためにいっぱい準備してきたのについてないわ。みんなに移すわけにはいかないし、クリスマスパーティは中止。来年大騒 ぎしてやりましょ!』
彼女が「ついてない」なんてことがあるのかと目を疑いつつ、それならばたった今発生した閉鎖空間の原因はこれだろう。涼宮さんの指揮のもと、団員総出で準備をしてきたのだ。それが中止になってしまって残念な気持ちは僕にもある。涼宮さんは僕以上に残念がっているに違いない。
『了解しました。クリスマスはまた来年、大々的に準備をしておこないましょう。どうぞお大事に』
すぐにメールを返し、ベッドから下りる。アパートの下、聞き慣れた音が滑るように停車したのが聞こえた。
そうして起床まもなく閉鎖空間の発生場所まで送ってもらうというのは、僕にとってはごくありふれた、日常のことだった。緩やかな振動に身体を預け、『神人』との対峙に備える。
静寂を破ったのは携帯電話の着信音だった。森さんあたりからなにか連絡だろうかとディスプレイを見て、滅多にお目にかかることのできない表示に思わず身構える。
彼からの着信だった。
今日のクリスマスパーティはSOS団の恒例行事で(まだ二度目だが)、僕が受け取ったのと同様の文面を彼も見ているはずだ。それがどうして僕へ連絡してくるようなことになるのだろう。『みんなに移すわけにはいかない』とは団長直々のお言葉だ、見舞いにも行けないのに。
やや緊張しながら通話ボタンを押し、受話口を耳へ近づけると、
『お前今日暇だろ』
まるで涼宮さんのような第一声を彼がくれた。淡々とした、感慨のない口調だった。
「暇といえば暇ですが、今この時間に限って云えば暇ではありません」
『なんだよそれ、パーティが中止になった途端に別の用事か』
どことなく不満そうな声に笑みが漏れる。中止になってしまったことが残念なのはみんな一緒なのだ。料理を任されていた朝比奈さんも、きっと安堵しつつも肩を落としていることだろう。
「ええ、実は先程閉鎖空間が発生しまして、今はその場所へ向かっている途中です」
高速道路の照明が、窓の外を等間隔で流れてゆく。いつか彼を、閉鎖空間へいざなった時のことを思い出した。
『――そうか』
空いた間は、彼の声なき気遣いだと都合よく解釈した。今日の閉鎖空間は彼のせいで発生したものではなく、従って彼が気に病む必要などないのだが、つまりこれは彼から僕個人へ向けられた優しさなのだ。
『理由……は、インフルエンザか』
「正確には、インフルエンザによってクリスマスパーティが中止になってしまったこと、ですね。涼宮さんは今日のことをとても楽しみにしていらっしゃいましたから」
『子供だな』
溜息混じりに彼は云ったが、非難の色はもちろんない。
『じゃあ、それが片づけば暇なんだな』
「そういうことになりますね」
『わかった』
彼はひとりで納得している。僕はまだ飲み込めない。会話に気を取られて高速道路の案内板をいくつも逃してしまっていて、今どこを走っているのかもわからなかった。
『お前、今日は俺に付き合え。ハルヒが予約したケーキとチキンの引換券を俺が持ってんだよ。けど家族は別で予約してあるから必要ないし、かといって引き換えないわけにもいかないだろ』
そういえば彼はそれらを引き換えて持参した上で集合するように言い渡されていた。急に行き場をなくしたケーキとチキンに困って僕に連絡してきたということか。
なぜ長門さんや朝比奈さんではなく僕に――とは、訊かなかった。その答えを彼の口から聴いてみたい気持ちは十二分にあったが、同時にとても恐ろしかった。それに、僕がどんなに真剣な重みをもってそれを訊いたって、彼はきっとぶっきらぼうにこう返すだけなのだ。「ハルヒ抜きでパーティやったら、それこそ世界の終わりだぞ」、と。
それならば僕はただ彼の誘いに甘えておけばいい。平素ならいざ知らず、今日は日本人にだって特別な日だ。浮き足立った気持ちだって、きっと赦される。
「ではこちらの用が済んだらまた連絡します。今はご自宅ですか?」
『そうだけど、家にいると手伝わされてきりがないし適当な時間に出るよ。ぶらぶらしてるから連絡くれ。待ち合わせ、はいつもの駅前でいいか』
「了解しました」
『じゃあ、また後で。……気をつけて行って来い』
「はい。ありがとうございます」
誰が見ているわけでもないのに、緩む顔がなぜだかとても恥ずかしくて、こつんとウィンドウに頭をあてた。無遠慮な冷たさが気持ちいい。
目的地に到着するまで、僕はずっと携帯電話を握りしめたままそうしていた。
――それが五時間前のこと。閉鎖空間自体は小規模なものだったが、距離が遠く戻って来るまでにこんなにも時間がかかってしまった。
馴染んだ町へ戻ってきた僕はすっかり途方に暮れていた。彼と連絡が取れないのだ。何度電話をかけても一方的によく知った女性が「電波の届かない場所にいるか、電源が入っていません」と教えてくれるだけで、聴きたい声には辿り着けない。
結局一度もつながらないまま駅前が近づいてきた。家に携帯電話を忘れてきたとか、地下街にいたという平和な理由でつながらないなら構わない。だが非常事態に慣れた僕の思考回路は、最悪のケースを勝手に考えてしまうのだった。そんなことはない、だってさっきいつも通りに会話したじゃないか、そう反対しながら一方は、お前は日常がひどく脆いものだと知っているだろう、と囁き続ける。
逸る気持ちを抱えながら待ち合わせ場所へ向かうと、果たしてそこに彼はいた。
ぴかぴかと光る電飾に彩られたツリーのそば、植え込みの煉瓦に腰掛けて。
無事に会えてよかったと安堵しながら駆け寄ると、彼がこちらに気づいて顔をあげた。その表情を、僕は一生忘れないだろうと思う。
「よう。ご苦労さん」
彼があまりに軽くそう言葉をくれるので、対応に困ってしまう。
「ご苦労さん、って、なんですかそれ……」
「言葉のままだろ。労ってやってるんだからありがたく受け取りやがれ」
さて、と彼は立ち上がる。迷いない視線はまだ混乱している僕を包んで、ふわりと散った。
「行くぞ。夕方になると店が混んで面倒だ」
「――はい」
五人分予約したものをふたりで食べるんですか。後を追いながら訊くと、残ったら置いていくから一人暮らしの糧にしろ、とのありがたいお言葉。無茶を云わないでください。僕は最近、こう見えても健康を気にするようになったんです。
薄闇の中、コートのポケットに無造作に突っ込まれたままの彼の手に触れると思い切り睨まれた。指先が冷たいのはお互い様で、軽い麻痺状態のようになっている。これからおなじ温度になればいいのだと、握りしめて不機嫌を装うその顔に笑顔を返した。
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