二月、ルートヴィヒ。

2/14

 午後二時という、普段よりだいぶ遅い時間の待ち合わせにも彼は最後にやって来た。ゆうべ勢いであんな電話をかけてしまったものの彼の態度が変わってしまったらどうしようかと思っていたのだが、いざ会ってみるとどうにも判断しにくい反応をされた。つまり、少し離れた場所からものすごく視線を感じた。云いたいことがあるならはっきりおっしゃってください、と云う前に、涼宮さんがバス停へ向かって歩き始め、タイミングを失う。彼の方も視線を寄越しただけでそれ以上の動作はなく、なにか云いたげな視線というよりはただ睨みつけられていたと表現した方が適切である気がする。
 乗ったバスは先日ピクニック兼発掘作業をおこなった鶴屋家所有の山へ行くものだった。同じ停留所で降り、先日は下る時に通った道を登っていく。今日の活動内容を涼宮さんは説明しなかったが、長門さんは気にしないだろうとしても朝比奈さんも気にする様子もなくそれについていっていた。僕は涼宮さんがなにをしようが付き従うのが役目であるから、よって胡乱げな目を向けているのは最後尾を歩く彼ただひとり。
 振り向いて、考えるまでもなく普段どおりに振る舞う。
「さあ、行きましょう。ここまで来たら引き返せないのは僕もあなたも同じです」
 わかってるさ、と彼は云い、足下の土を踏みしめた。

 ハイキングの目的は宝探し第二弾だった。この前のようなシャベルではなく、園芸用の小さなスコップを僕と彼へ渡した涼宮さんが「あたしがあるって言ってるんだから、あるわよ」と自信満々に言い放つ。
 もちろん逆らう理由などないので、彼と二人で涼宮さんが指定した場所を掘り返しにかかった。前回も掘ったところなので簡単な作業だ。涼宮さんの態度、今日という日、もしかして、ああ、ここに、たぶん、きっと――
 すぐに結果は出た。彼のスコップが、がつんとなにかに当たったのだ。前回はこんなものはなかった。こんな、元禄時代にはなかったはずの、お菓子の缶は。
「あけてみなさい」
 涼宮さんは笑いを必死に堪えているような顔でそう命じた。もちろんだ。彼が土にまみれたその缶を開ける。スロー再生かと思うほどゆっくりと開けられた(ように見えた)その中には綺麗にラッピングされた袋が六つ、入っていた。
 宝物だ。
 彼はどうやら本気で今日がバレンタインデーであることを忘れていたようで、ようやくすべての合点がいったかのように缶の中身を凝視している。母親や妹さんからはまだもらっていないということだろうか。僕は手についた土をしっかり払ってから、そのうちのひとつを手に取った。袋に貼られたシールには「古泉くんへ みくる」と書かれている。中身は柔らかくて、チョコレートではなくチョコレートケーキとのことだった。
 朝比奈さんを見ると、楽しそうに僕らの反応をにこにこと見ていた。紛れもない、それは上級生の顔だ。目が合ったので笑顔を浮かべると小首を傾げてみせてくれた。敵わない。こんなことを思いつく涼宮さんにも、そんな顔をしてみせる朝比奈さんにも、淡々とした表情のままやってのけた長門さんにも。
「義理よ、義理。みんなギリギリ。ホントは義理だとかそんなことも言いたくないのよ、あたしはっ。チョコもチョコケーキもチョコのうちだわ」
「ありがとうございます。大切に食べますよ」
 だって、義理チョコなんて好きでも仲良くもない人にはあげないでしょう?
 涼宮さんは照れ隠しならもっとセリフを少なくした方がいいですよ、と進言したくなるほど早口でいろいろまくし立ててから、じゃあもう帰るわよ、とあっさり踵を返した。昨日の昼過ぎに解散してからずっとこれにかかりっきりで、ほとんど徹夜だったらしい。ありがたいことだ、本当に。
 彼も同じ心境なのだろう。涼宮さんの態度を咎めることもなく、三つのチョコレートケーキをガラス細工を扱うみたいな手つきでコートのポケットに入れていた。

 宣言通り、駅前に着くと挨拶もそこそこにすぐに解散になった。お礼はまた明日、改めて云おう。味の感想と一緒に(奇跡のように美味しいに決まっているのだから、持ちうる語彙を総動員しなければならない)。
 今はもうひとつ、やることがある。

 駐輪場から自転車を押して出てきた彼は、その脇で待っていた僕に気づいて足を止めた。
「……古泉」
「やあ、どうも。大丈夫ですよ、今日は僕の話にお付き合いいただきたいわけではありませんので」
「じゃあなんだ」
 彼の反応は不審そうにしているというよりは、どう対応すればいいのかわからなくて困っているように見えた。
 近づいて、手を伸ばす。
「これを」
 勝手に彼の自転車のかごに入れさせてもらったのは、今日来る前にコンビニで買った、申し訳程度にバレンタインっぽくリボンの巻かれたチョコレートだ。
「……お前なあ」
「これを買うの、結構恥ずかしかったんですよ? 受け取ってください」
「恥ずかしいなら買うなよ」
「そういうわけにもいきません。僕はチョコレートケーキを作る技術など持っていませんから、大量生産の恩恵にあずからないと。とはいえ僕がただ差し上げたかっただけです。涼宮さんたちのチョコレートケーキには遠く及ばないでしょうが、日頃お世話になっているお礼の気持ちとでも思ってください」
 どうぞ、と微笑を向けて(たぶん彼はこの顔が好きだ)、押しつけるようにして僕はその場を離れた。少し遅れて自転車の走る音が、ゆるく遠く去って行く。まだ日の高い冬の空はよく澄んで、ひかり輝いていた。

 なぜあんなことをしたのかと訊かれれば、それは彼にも伝えた通り、僕が彼にあげたかっただけだ。だから気色悪いと投げ返されなかっただけで満足していて、夜になってから彼から電話がかかってきたのはまったくの予想外だった。
 緊張しながら、というよりはなんの話をされるのかと不思議に思いながら出ると彼は
『今日は俺から切るまで電話切るなよ』
 と前置きしてから、
『いいか、俺がお前をいまいち信用ならんと思うのはお前が自分の話をしないせいだ。昨日みたいな頭が心配になるような話でも、世界がどうの《神人》がどうのとかいう話よりはずっと健全でいい。昨日べらべらと云ってたあれは、』
 冗談かどうかはともかく、嘘ではないんだろう。
 昨日のお返しとばかりに一気に話された。そんなふうに断定されてしまっては、僕には否定するという選択肢はない。だってあれは冗談でも嘘でもない。
「あなたは……ええ、ご明察です。まったく、適わない」
『よし。じゃあゆうべお前が一方的に喋ってくれた古泉一樹豆知識のお返しに俺のことを教えてやろう。お前はどうだか知らんがな、俺はコンビニよりスーパーの方が好きだ。主婦の聖戦が繰り広げられる夕方を過ぎた夜は特にいい。閉店間際のスーパーなど愛しているといっても過言ではない』
 なんということだ。僕の恋敵は深夜のスーパーらしい。僕が半ば途方に暮れていると、
『だからお前、明日団活が終わってから俺に付き合え』
 と云った。あなたがそうおっしゃるのであれば、僕に異論はありませんが。
「あの……話がよく見えてこないのですが」
『普段のお前はもっと回りくどいぞ』
 なるほど、それは検討の余地がありそうだ。
『俺は堅実に平々凡々に生きる小市民なんだ。妙な団体で妙なことをやっていてもそれは変わらん。人並みの羞恥心だって持ち合わせているし同じ物を買うなら安い方がいい』
 それはわかります。僕だって、わざわざ値段の高い方を買おうとするのは理解できませんよ。
『スーパーはな、賞味期限が近くなればどんどん値引きされるんだ。同じように時節ものは当日を過ぎれば一気に半額になる。たった一日過ぎただけでだ。だがそうはいってもあのラッピングはそのままなわけで、男一人で買いに行くほど俺は頭沸いちゃいない。そういうわけでお前、』
 明日付き合え、と。
 それは、つまり、僕とあなたでスーパーに行って、見切り品扱いになっているであろうあれを、
『勘違いするなよ。俺はもらいっぱなしでいるのが気に入らないだけだ』
「……ええ、もちろんです。僕だってただの小市民ですから、身の程はわきまえていますよ」
 どうだかな、と彼は笑った。僕の好きなあの声で。

 僕は彼が好きで、彼の方は僕をどう思っているかは聞けずじまいだったが、少なくとも突然こんな電話をくれる程度には気にかけてくれているようだった。
 だったらもう、それでいいじゃないか。
 涼宮さんは変わっていっていて、長門さんも、朝比奈さんも、ただの役割以上のものをこの生活に見いだし始めている。彼はあの三日間を過ぎてから、SOS団が好きだという態度をこちらが照れてしまうくらいに見せるようになった。そんな中で、僕だけ変わらないまま安穏としているわけにはいかない。あなたは知らないでしょうが、僕はこう見えて負けず嫌いなんです。
 この先が、どうなってしまうかわからなくても。明日世界が滅びてしまうかもしれなくても。
 だからこそ、本音を隠している場合ではないのだ。云いたいことを云って、訊きたいことを訊いて、そういうことで毎日が満たされていけばいい。
 まずは明日の放課後、神妙な顔でスーパーのワゴンを睨みつけるであろう彼に、希望の品をリクエストしてみるところから始めよう。彼がそれにどんな反応をしようと怖くない。だって彼が、僕があげた気持ちの半分をくれようとしているのだから、そのことだけで今の僕にはお釣りが来るほどのお返しだ。

[ルートヴィヒ]
哲学者ウィトゲンシュタインの提言をロバート・フォグリンがアレンジした思考実験のための架空のボードゲーム。勝利を目指してプレイする分には問題ないが、滅茶苦茶な手ばかりを打ち続けるとやがてルールとは矛盾した局面に到達してしまう。
さて、このルールは改訂すべきか否か?

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