二月、ルートヴィヒ。

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 二日目の市内不思議探索でも、組分けは昨日の午後と同じだった。僕・涼宮さん・朝比奈さんと、彼と長門さん。これが自然に起きたことだとしたら結構な低確率だ。涼宮さんの力以外でこんなことができるのは長門さんだけだが、観測を目的としている彼女にはそんな細工をする義務はない。となればそれを依頼したのは彼だろうから、おそらくまた二人目の朝比奈さんとなにかすることがあるのだろう。
 昼の再集合までは二時間程度。その間になにもなければいいのだが。
 その、分かれた時のほとんど祈るような気持ちも虚しく、十一時前に携帯電話がメールの着信を告げた。

『橘京子の一派と藤原が二人目の朝比奈みくるを誘拐。側にいた彼を回収しすぐに追いかけます』

 短い文面に浮いた単語に血の気が引く思いがした。誘拐。橘京子と未来人が、組んで、朝比奈さんを。彼がすぐ側にいたのに。朝比奈さん。
 ばっと振り返ると、焼きたてパンを物色していた涼宮さんが携帯電話に向かって思い切り眉を顰めていた。そしてその様子を見ている朝比奈さん。
「どういうつもりか知んないけど、もうちょっとマシなイタ電をかけてきなさいよ。くっだらない。なにそれ、どういうつもり? みくるちゃんならずっとあたしの側にいるわよ。有希ならまだ話はわかるけど」
 そうだ、朝比奈さんとは朝からずっと一緒に行動している。誘拐されたのは二人目の方の朝比奈さんだ。けれどそんなことは問題じゃない。
「すみません、少々お手洗いへ行ってきてもよろしいでしょうか?」
 通話を切った涼宮さんへそう声をかけると、わかった、あたしたちはこの辺にいるから、と笑顔で返された。お言葉に甘えて場所を離れながらコールする。呼び出し音はぶつりと乱暴に切れた。よほど混乱しているのだろう。僕だって同じだが急いてはことを仕損じるのだ。できるだけいつもの調子を心がけ、「もしもし」と一応電話上の挨拶をしてから、
「ご安心ください、涼宮さんたちとは離れた場所からかけています。ええ、トイレに行くと言って席を外させてもらったんです」
『古泉! 朝比奈さんが、』
 鋭い声が電波に乗って届いた。珍しく感情的なその声をもっと聴いていたいとも思うのだが、今はそんなことをしている場合ではない。
「状況は把握できています。僕にお任せください。そろそろあなたの前に到着するかと」
『何が来るんだって?』
 苛立ったような、それでいて泣きそうな声に被せてタイヤが勢いよく地面を擦る音が聞こえた。運転しているのが誰かなんてわかりきっている。あとのことは後部座席の仲間にバトンタッチだ。
 通話を切って、携帯電話を握りしめた。現場の監視担当からの連絡を受けて森さん本人が、あの新川さんの運転で追いかけるのだ。大丈夫、きっと巧くやってくれる。二人目の朝比奈さんは無事奪還されて、彼と長門さんはなにもなかったかのような顔で十二時に駅前へ現れる。そうでなければならない。考えたくもないがもし実害が及ぶようなことがあれば僕は黙っている気などないし、長門さんだって情報統合思念体とは関係なく行動を起こすだろう。誰よりも先に食ってかかるのは涼宮さんだ。
 けれどどうか、そんなことのないように。震える手を必死で宥めて、涼宮さんたちの元へ戻った。

 果たして、待ち合わせの十二時を少し過ぎた頃、彼と長門さんはちゃんと駅前に現れた。傷一つない。三十分ほど前に森さんから彼とともに朝比奈さんを奪還したという報告のメールが届いていたのだが、なんとなく自分の目で見るまでは信じられなかったのだ。
 目配せすると彼はそれを受け取ってくれた、今はそれだけで十分だった。

 昨日と同じ店で五人揃ってランチを食べると、涼宮さんは今日の活動はこれで終わりにしましょう、と解散を告げた。少し面食らったものの、涼宮さんは最初からそのつもりだったようで、そのまま皆三々五々に分かれていく。
 少し歩いたあたりで、反対方向へ進むはずの彼に声をかけられた。
「礼を言っておくよ」
 彼らしい、と思う。こういう礼節をきちんと知っているということに初めの頃は驚いたものだった。
「どういたしまして。理想は未然に防ぐことでしたから、首尾よくいったとは言い切れませんね。カーチェイスは余計でした」
 要らない負担をかけてしまった。けれど彼はこの事件の本質を見誤ることなく、『機関』やその他の組織について質問してきた。そのどれにも属していない、部外者であるはずの彼がそんなことを気にかける理由はただひとつ、僕も彼もSOS団の一員で、それを守りたいからだ。
「あるいは神的な能力の持ち主は涼宮さんではなく、別の誰かなのかもしれません」
 無視できない仮説を云ってはみたが彼はぴんと来ないようだった。それならそれでいい。涼宮さんだって、自分の力に気づいていないのだ。
「僕の所属団体はいまや『機関』よりもあそこであると感情が訴えかけているのですよ。だから、こうも思います。もし『機関』から与えられた使命がSOS団の利益を損なうような場合、果たして僕は葛藤などするのだろうかと、ね」
 あの雪山での約束はもちろん守る。それは行動の上での話だ。だがその時、僕は一体どんな感情を抱いているのだろう。裏切ることになった『機関』への罪悪感か、それともSOS団への忠誠か。
 答えはもう、出ているのかもしれないけれど。

 午後の予定がぽっかりと空いたので、情報を得るために『機関』の施設へ直接出向くことにした。さほど大きくもない会議室の扉を開くと、警察官が二人、笑顔で迎えてくれる。
「一樹くん、お疲れ様」
「裕さん、圭一さん。お疲れ様です。今日は本当にありがとうございました」
 軽く頭を下げると、はは、と圭一さんが声を上げて笑った。
「一樹くんが礼を云うことではないよ。我々の仕事をしたまでだ」
「ええ、でも、そうですね。これはSOS団の副団長としての言葉です」
 では受け取っておこう、と圭一さんが云ってくれたところで、森さんと新川さんが入ってきた。新川さんはたくさんの資料を抱えている。
「古泉。今日はお疲れ様」
「森さんも新川さんも。ありがとうございました」
「さすがに肝を冷やしたけれど、無事でよかったわ」
 森さんでも肝を冷やすことがあるのかと場違いなことを思いながら席に座る。今日はこのメンバーでまず話をして、ある程度まとめたところでこの件に関わっている構成員を集め、森さんが改めて会議を取り仕切るとのことだった。
 まずは今日の事件の詳細な流れを確認。それから彼と森さんが相手側と交渉している間、新川さんと圭一さんが車中から撮ったという写真を数点渡された。犯行グループの平均年齢は低く、それだけでも成功の可能性は低いように思われる。少なくとも新川さんのドライビングテクニックに勝つことはできないだろう。
「気になるのは、彼らにとってもこの誘拐が失敗することが規定事項であったことです」
 森さんは手元の写真を弾いた。
「誘拐することで彼らの未来に対する正しい数値入力になるのならまだわかる。けれどそうではない、彼らにとっても誘拐の失敗は規定事項であったなら、その目的が読めません。顔見せにしたって乱暴すぎるわ」
 橘京子や藤原という男がなにを考えているのかなんてわからない。ただ、僕らにとってよろしくない事態であることは確かすぎるほどに確かだ。
「挑発行為、のつもりなのではないでしょうか」
「ええ、私もそう思います。ただそれにしては計画が杜撰すぎるし、彼らについては調査中の部分も多くて、まだ判断材料が十分ではないの」
 あくまでも仮定ということにして、あとは情報が追加され次第また話し合いましょう、と森さんはまとめた。

「そうだわ、古泉。一日早いけれど」
 帰ろうとしたところで呼び止められた。ご褒美よ、と云いつつ手渡された小さな箱は華美ではないものの綺麗にラッピングされていて、すぐに明日がバレンタインデーであることを思い出す。
「ご老公へ渡したものよりもいいものを選んだのよ」
「いいんですか、そんなことして」
「いいのよ。気持ちをあげる日なんだから」
 ではありがたくいただきます。云うと、森さんはにっこりと笑った。
「お返しはなにがいいですか?」
「そうねえ、この間見かけた4℃の新作ネックレスは素敵だったわ」
 同じ笑顔を返そうとして口の端が引きつる。それを見て森さんが笑みを深めた。
「冗談よ。高校生に貢がせる趣味はありません。云ったでしょう、気持ちをあげる日だって。あなたがそれを食べてくれれば十分嬉しいわ。ああ、でも」
 明日はもっと素敵なものを三つももらえるんじゃないかしら? と森さんは茶化して見せた。

 明日は二時に駅前ね! と涼宮さんから電話が来たのは夜になってからだった。唐突なことだと思いながら、その理由も明日の用件ももうなんとなくわかっているし、涼宮さんらしくて笑みがこぼれる。了承して、通話はすぐに終わった。
 一旦置いた携帯電話を見つめながら考える。
 彼に、云ってしまおうか?
 思いついてみるとそれはひどく愉快なことのように感じられた。なにも真剣に愛を告白するわけではない。ただ今日は彼が無事でとても嬉しく思ったことをまだ伝えられていなかったし、いつもの調子で好きだと云っても彼のことだ、それがまさか本気のものとは思わないだろう。なにより明日になれば、僕などよりもずっと魅力的な三人の女性から彼は好意を渡される。だったらその前に、少しだけハンデをもらって僕も同じことをしたって赦されるような気がしたのだ。本当に、なんとなく、だけれど。
 気がつけば僕は彼の番号へ発信していて、気がつけば彼がそれに応じていた。
『古泉?』
「こんばんは。今日はお疲れ様でした」
 一拍置いて彼は、ああ、と溜息混じりに云った。
『あれは本当に助かった。どうなることかと思ったんだ。あそこで森さんたちが来てくれなかったらと思うとぞっとする』
 彼にしては饒舌だった。時間が経ってようやく本当に落ち着いたというところだろう。僕もそういう経験はよくあるからわかる。
「間に合ってよかったです。森さんからなにか聞きましたか?」
『だいたいのことは聞いた。お前や朝比奈さんに敵対する奴らが組んだんだろう』
「その通りです。いよいよ本格的に我々と対立する気になったようで、監視を強化していたところだったのですが、こうも強硬な手段に出るとはやや想定外でした。あなたがたが無事で本当によかった」
 状況が芳しくないことをあなたにそれとなくお話ししたつもりだったのですが、と云うと、もっとわかりやすく話せと返された。もう現状は十分すぎるほど伝わっているだろうから、次はもっとはっきりと話してしまおう。
「犯人側については『機関』もまだ調査中の部分が多いのですが、わかり次第あなたにもお話ししますよ。これはSOS団の問題でもありますから」
『是非そうしてくれ。俺だって備えられるものならそうしたい』
 彼の声は頼もしく届いた。かしこまりました、仰せのままに。
「ところで、電話ついでにもうひとつ、僕の話を聞いてやってはくださいませんか」
『なるべく短く頼む』
 了解しました。では、

「あなたのことが好きなんです」

 短くまとめた言葉はするりと口からこぼれ出て、それが呼び水になった。
「今日のような危機的状況にあなたが晒されてわかったのです。僕は涼宮さんや長門さんや朝比奈さんのことももちろん好きですが、あなたのことも相当に好きになってしまっているのだと。もちろんあなたと朝比奈さんが無事で、お二人に関してはこれ以上望むことはありません。けれど僕らの対応については、叶うなら僕がその場であなたを連れて朝比奈さんを助けに行きたかった。これは僕が朝比奈さんを好きだからではありません、あなたを好きだからです。そもそも僕の出る幕など最近はほとんどありませんでしたからね。少しでもあなたにいいところを見せたいというしがない男の強がりです。それと――」
 自分でもおもしろいくらいに口が回る。なにを云っているのか、自然と言葉が出てくるのでもうよくわからない。ただ電話の向こう、彼が呆気にとられているだろうということだけはわかる。
「ああすみません。短く、ということでしたのについ喋りすぎてしまいました。明日も団活動がありますし、あなたも今日はお疲れでしょう。そろそろ切りましょうか」
『……おい、古泉』
「聞いてくださってありがとうございました。ではまた、明日。お休みなさい」
 通話を切っても顔が緩むのが止まらない。相手に気持ちを伝えるのはこんなにしあわせなことだったのか。森さんのチョコレートは大切に大切にいただこう。明日渡されるであろう、涼宮さんと長門さんと朝比奈さんからのものも。
 ひどく満たされた気持ちのまま、襲い来るあたたかい眠りに身を委ねた。

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