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翌朝、待ち合わせ場所へ恒例儀式のようにまた彼が最後に到着し(ただし涼宮さんとタッチの差だった)、彼の奢りで喫茶店へ入った。春から何度も繰り返された、SOS団のいつもの課外活動だ。話をしながら涼宮さんが爪楊枝で組分け用のくじを作る。五本中二本が印入りだ。
涼宮さんの力が働くか、透視能力で印を見分けるかしない限り、どちらを引くかは運でしかない。僕にも彼にもそんな能力はないのでどんな組み合わせを希望しようがただ引くしかないのに、今日の彼は涼宮さんにもわかるほどにそわそわとくじの結果を気にかけていた。先に長門さん、朝比奈さんと僕が引いたところ、僕のみ印つきのくじを引いた。つまりいま涼宮さんの手に握られた二本のくじは、印のあるものとないものがそれぞれ一本ずつということになる。
彼は涼宮さんの差し出した拳を随分長いこと見つめてから、
「ままよ!」
引こうとして勢いで転がっていった彼の爪楊枝には、印が入っていた。
これは一体どういう思惑ですか、神様。見ると涼宮さんは「男と女に分かれただけじゃん」とつまらなさそうに呟いてまたホットブレンドを口に運んでいる。市内散策時、彼と同じグループに分かれたことはあっても、二人きりで行動したことはない。告げるつもりはなくても僕はやっぱり彼が好きで、もちろんSOS団のことも大切だけれどそれとは種類の違う感情を抱いていることは確かで。穏やかではない涼宮さん周辺のことを思うと不謹慎だとわかってはいるが、二時間程度の強制デートをひどく純粋に楽しみに思ってしまっているのだった。
「いつもありがとうございます。ご馳走様です」
会計を済ませてくれた彼に、いつも眉を顰められる近さで礼を伝えると、彼はやはり顔をしかめて疎ましがって見せる。そんなにこの役目にお困りなら、とバイトの紹介を提案してみたが速効で却下された。残念なことだと思いつつ、彼が僕の素性を警戒しつつもこうやって話に付き合っていてくれることに嬉しくなる。『機関』が彼の全面的な信頼を得ることは難しいだろうが、僕個人はそれとは独立した存在として捉えてくれているのだろう。いちいち彼の言動を深読みしては、彼がつくづく僕を喜ばせる存在であることを知る。
僕と同じように、涼宮さんも長門さんも朝比奈さんも、この喜びを彼から与えられているだろう。彼にそんな自覚はなくても、僕らは彼へなにも返せなくても、それでも。
だからどうしようもなく惹かれてしまうのだ。
このタイミングで彼と一緒に過ごすとなると、好機とみて訊いてみたいことはたくさんある。二人目の朝比奈さんのこと、鶴屋さんのこと、ブルーな雰囲気だといった涼宮さんのこと。僕になにを隠しているのですか。僕にできることはないのですか。――僕のことを、どう思っているのですか。
どれも訊けるはずがない。辺りを散策しながら話題は自然と無難なものへと移行して、けれどそんな話を彼としていることが不思議で仕方がなかった。こんな、まるで、ただのクラスメイトみたいな話題。彼の方はそれを不審にすら思っているらしい。僕だって、表向きは一介の高校生ですから。ちなみに年齢のことはどうぞ訊かないでいてください。
「僕から超能力者という肩書きが取れるのがいつになるかは解りませんが、僕の属性から高校生という一文が削除される日は必ず来るんです。涼宮さんが留年でもしないかぎりね。だとしたら今しかない高校生という立場をそれなりに謳歌しておかないと」
こんなふうに自分が考えるようになるなんて、一年前は夢にも思わなかった。世界の命運を背負って戦うなどというスケールの大きいことと、高校生として友人を作り些細な行動を共にするということは両立・共生しうるのだと、教えてくれたのは他ならぬ涼宮さんとSOS団の各員だった。よくよく考えればおかしな構図ではあるが、それはもう問題ではない。
自分に与えられた能力と境遇を、憎悪していたのはもう、昔の話。
「超能力だか何だか知らんが、それがあったおかげで今こうしてここにいるんじゃねえか。あったせいで、とか言いやがるなよ。それとも何か、お前はSOS団なんてアホな団体に入ったことを悔やんでいるのか?」
それなら俺が代理で出してやるから退団届けを書いてみろ、だなんて。そんなもったいないこと、できるはずがないでしょう。
彼は強い口調で云ったが、それは僕がそんなことをするわけがないと信じてくれているからだ。そしてまた、万が一僕がそんな暴挙に出たとしても、涼宮さんがそれを受理することなどないだろうとも信じている。
ああ、僕は、あなたと彼女のような、当たり前すぎて意識することすらないような、奇跡みたいな信頼を置いてもらえているのでしょうか。
年末の雪山で僕が彼に約束したことも、彼はちゃんと憶えていてくれた。
「お前が忘れても俺が忘れん」
「安心しましたよ。僕が記憶喪失になってもだいじょうぶそうですね。あなたたちが思い出させてくれそうだ」
記憶の操作というのはその手の専門家にかかればそう難しいものではない。けれど僕がどんなに強い操作を施されたとしても、彼と涼宮さんによってきっとそれは解かれるだろう。それでだめなら長門さんが彼らに手を貸すだろうし、それでも僕がSOS団のことを忘れたままだったとしたらそれはもう「古泉一樹」ではないから、殺してくれても構わない。
彼は長門さんだけでなくそれ以外の仲間にも――仲間!――同じ決意を向けろと云った。云われるまでもない。涼宮さんも、長門さんも、朝比奈さんも、そしてあなたのことも。僕にできることならなんだってするし、僕に使える手だったらなんだって使う。『機関』の力とパイプだって、その内に含むことができる。
自分でした決意の重さと大きさに思わず立ち止まった。口元にふるえるような笑みが浮かぶのがわかる。彼は僕を気にすることなく、歩を進める。
「現在の朝比奈さんは僕にも『機関』にとっても保護の対象です。ですが気をつけてください。あなたのあの朝比奈さんとは違う、別の出で立ちをした朝比奈さんはそうではないかもしれませんよ」
彼は何度か彼の前に現れたであろう、大人になった朝比奈さんを思い浮かべただろうか。出で立ちはいつも僕たちと過ごしている朝比奈さんと変わらない、もう一人の朝比奈さんのことは考えただろうか。一月の交通事故(正確には未遂事件)を、思い出しはしただろうか。
「彼女が僕たちに――SOS団に、福だけをもたらすという保証はありません」
だとしたら、と遥か前方(実際はそこまで離れてはいないのだがひどく遠くから聞こえたように感じた)、彼の凛とした迷いのない声。
「その未来を変えてやればいいのさ。今のこの時からな」
彼は振り返りも、立ち止まりもしない。構わない、僕が追いつきさえすればいい話だ。
駅前へ戻ると女性陣三人はすでに到着しており、すぐに涼宮さんが予約したイタリアンの店でランチとなった。つつがなく食事を終えると再びくじびきで午後の活動の組み合わせを決める。印のついた爪楊枝を彼と長門さんが引いて、くじはすぐに終わった。
涼宮さんと朝比奈さんと三人でショッピングモールを見て回る。あちこちで可愛らしくディスプレイされているバレンタインの特設コーナーを、見向きもせずに通り過ぎる涼宮さんと振り返ってまで見ている朝比奈さん。この状況で不自然な反応をしているのは涼宮さんの方だ。けれどその他には別段目立った違和感もなく、朝比奈さんに似合う服を見立てるのが午後の主な活動となった。
駅前で、戻ってきた彼と長門さんと合流して喫茶店へ入る。両グループに不思議発見の成果はないものの涼宮さんは機嫌を悪くすることもなく、むしろ楽しそうに明日も不思議探索をすることを決め、本日の活動は終了。
涼宮さんのセリフに対し彼が普段と比べ異様なまでに苦々しい表情をしていた理由を、僕はすぐに知ることになる。
きっかり五時の解散後、歩きながら携帯電話を確認すると着信履歴があった。森さんからの不在着信にはメッセージが伴っていて、受話口を耳へあてる。録音されていた用件はいたって簡潔だった。
『すぐに折り返し連絡を頂戴』
一体なにがあったんだ。通話ボタンを押すと呼び出し音はワンコールで切れた。
「古泉です。なにがあったんですか」
携帯電話という、特定の一人しか操作しないことを想定できる連絡端末でも最初に名乗るのは相手確認のためだ。これはもう癖になってしまっていて、彼にも同じように電話をして笑われてしまったことがある。
同じように森です、と相手も名乗り、間髪入れずに話し始めた。
『藤原が二人目の方の朝比奈みくるに接触しました。今日午後一時半頃、市内歩道橋脇の花壇になにか手を入れた三十分ほど後、彼と二人目の朝比奈みくるがそこへ到着。十分ほど話したところで藤原はその場を去りました。実害はない様子でしたが、藤原がこの時間平面にいることと、朝比奈みくるとは違える立場の人間であることを、彼と朝比奈みくるは認識したでしょう。『機関』の方は今日のところは彼らにはノータッチですが、藤原の行動は威嚇行為であるという見解で概ね一致しています』
――もう手を出してきたのか。
自然、歯を喰いしめた。僕がなにも知らずに過ごしている間に、彼の方ではそんな一触即発の状況になっていたのだ。なにもできなかった。僕は。今日も。
長門さんをどこかへ留めて二人目の朝比奈さんと彼がなにをしていたのか、などということはもはや二の次だ。朝比奈さんの監視員によれば、僕らが現状へ的確に対応すればそれがやがて未来へつながるのだから、まずはそれをしなければ。
「――わかりました」
自分の声の低さに自分で驚いた。けれどそれを修正するつもりはない。その必要もない。
「SOS団は明日も市内探索の予定です。グループに分かれての行動なので探索中は分かれたメンバーを見ていることができません。ついて回れとは云いません、ただなにか起きた時はすぐに対応できるよう待機しておいてください」
『ええ、そのように』
終話ボタンを押して振り返る。SOS団の団員として穏やかに過ごしていた駅周辺を、夜の帳が包み込もうとしていた。
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