二月、ルートヴィヒ。

2/11

 本日のSOS団活動は市内探索ではなく山登りであるからして、いつもよりも動きやすい服装が求められる。しかし似たようなことをやっていたのは小学生の頃のことで、しかも今回は天体観測ではなく発掘作業だ。とりあえず通学に使っているベージュのコートよりはふさわしいだろうと、冬用のジャケットを着込んで駅前へ向かう。僕が到着した時にはすでに長門さんがいて、少し遅れて朝比奈さん、そして涼宮さんがやってきた。涼宮さんはいかにもといった風情のシャベルを二本抱えている。
「はい、これ。うちの物置にあったやつを持ってきたわ。だいぶ年季が入ってるけどちゃんと使えるから安心して」
「云ってくだされば、団長のお手を煩わせることなく僕が持ってきましたのに」
 渡されたシャベルを受け取りながら云うと、いいのよ、それに男子はこれから働いてもらうんだからねといつもの笑顔。やがて最後に到着した彼と涼宮さんのやり取りもいつも通りで、そのことに安心こそすれ、かえって気になってしまうのは彼の行動と思惑が不透明だからだ。
 シャベルを一本渡すと、彼はそのシャベルと僕の顔を交互に見た。
「これもお前の手回しか」
「いえ、涼宮さんの持参されたものですよ。妙な仕掛けを仕込むようなことはしていません、ご安心を」
 そうか、と短く返した彼の足取りはその後、バスを降りても重いままだった。もともと彼がSOS団の活動に積極的な姿勢を見せることは少ないのだが、それにしたって涼宮さんの強引さを諦めるというよりは、宝探しそのものを諦めているように見える。
「どうしました。まるでこれから僕たちがやろうとしていることが完全に無駄だと悟っているような顔ですよ」
 試しに云ってみたものの、返されたのはやはり無言。そう簡単に手の内を見せてもらえるとも思っていないので気にはしない。むしろ彼が真剣な顔で僕を頼ってきたとしたら、そちらの方が大問題だ。もちろん最大限の力をもって対応するけれど。

 三十分ほど緩やかな坂道を登ったところで涼宮さんはその辺りを発掘範囲に定め、長門さんと朝比奈さんと三人でゴザに陣取りつつも、僕と彼にそこ、次その辺、と掘り返す場所の指示を飛ばした。掘っては埋め戻し、の繰り返しである。本当に鶴屋さんのご先祖が宝を埋めたのか、涼宮さんが望むことでなにかが出現するか、それともこの行為に別の意味があるのかはわからないが、今はただ掘っているしかない。大事なものをすぐ見つけられちゃうような浅いところに埋めたりしないでしょ、という言葉に従って二メートルも掘り進めた頃には、僕も彼もあちこちが泥に汚れてしまっていた。
 それでもなお発掘作業を続けさせようとする涼宮さんに、彼が苛立ったように反論する。本当に宝が埋まっているかどうかすらあやしい。まだ見つけてないだけかもしれない。それはイコールないということ、宝の存在を先に証明しろ。宝の地図がその証拠。云々。それは、言葉尻だけ捉えれば非常によろしくない光景だ。そのはずだった。
 しかし、閉鎖空間は発生していない。
 それどころか涼宮さんの機嫌が下降することもなく、ただ単に彼との会話を楽しんでいる様子ですらある。彼は気づいていないようだったが。これは一体どういうことだろう。涼宮さんの力が減少していっているという仮説の裏付けとなるのか、それとも涼宮さんの望みは別のところにあるのか。
「この山のどっかに埋めたって書いてあるんだから、埋まっているのは間違いないでしょ。あたしは鶴屋さんのご先祖様をそれなりに信頼しているわ。だから宝はあるの、きっと!」
 きっと、と云いつつ自信満々に断言し、しかし当てずっぽうではきりがないことは涼宮さんも認めたようで、宝が埋めてありそうなポイントを探してくる、と僕たちが登ってきたのとは反対方向の道を降りていった。彼はその背中が見えなくなってもしばらくその方向を睨んでいたが、僕の視線に気づいて溜息を吐きながらシャベルを担ぎ直した。
「で、次はどこだっつってたっけ?」
「この辺りです」
 去る前に涼宮さんが指定していったポイントをまた掘っていく。真冬の土木作業で、暑いのか寒いのかもよくわからなくなってきた。一メートルほど掘ったあたりでここもハズレと判断し、埋め戻すことにした。彼が一際大きな溜息を吐く。
「戻すだけなら土も柔らかくなっていますし、僕一人でもできます。あなたは先に休んでいてくださって構いませんよ」
 これよりももっと過酷な労働にだって慣れていますしね。
 一拍置いて彼は地面にシャベルを突き立て、じゃあ頼んだ、と長門さんたちの方へ歩いて行った。黙々と穴を埋め戻しながら考える。今日のこの行動には誰にとって、どんな意味があるというのか。やがて涼宮さんが戻ってきてランチタイムとなっても脳内会議は終わらなかった。もはやピクニックと化したその場の和やかな雰囲気の中、彼が僕を見ていることに気付いて癖で微笑を返すと、ふいと顔を逸らされた。
 僕の顔から視線を外したかったのかと思いきや、彼の視線はそのまま朝比奈さんへ向けられて、長門さん、涼宮さんを巡り、五人の中央に燦然と並べられている朝比奈さんのお手製弁当へと戻ってきた。どうやら団員の様子をしきりに気にしているふうに見える。
 そのまま順番に巡った視線が、また僕へ向けられればいいのに。けれどそれは叶うことなく、宝探し午後の部の開始となった。

「キョン、古泉くん。第二部の始まり。とりあえずそこらへんを掘ってみてくんない?」
「了解しました」
 午後は涼宮さんがさっき見つけてきた場所へ移動しての作業となった。私有地の山らしくほとんど拓けていない中で、不自然なまでに平らなそこ。ひょうたんのような特徴的な石を倒して涼宮さんはそれに座り、また指示を出し始める。場所は変わったものの、涼宮さん自身は午前と同じ様子だ。
 様子がおかしいのは彼の方だ。涼宮さんの行動のひとつひとつに焦った素振りを見せたり、ほっと胸を撫で下ろしたりと、涼宮さんの動向を気にかけるのは僕の役目であって、彼は涼宮さんの機嫌がどう変化しようがいちいち気に留めたりしないのが常のはずなのに。もしや『機関』さながらに彼が個人的になんらかの手を回したのではないかという、仮説にしたって可能性の低すぎるものすら浮かんでしまう。だとしたらここに、彼の埋めたなにかがあるのかもしれない。それなら彼の動揺も理解できる。涼宮さんの望みは宝を掘り当てることではなく、その願望を彼が叶えてくれることだった、とは考えられないかだろうか?
 しかしその仮説はあっさりと否定されることになった。結局その辺りからも、なにも出てくることはなかったのだ。これで終わりにしましょう、と涼宮さんは最後の発掘ポイントに自分が座る石の真ん前を指定し、僕と彼はそこを掘って埋め戻して今日の肉体労働は終了となった。そのまま昇りとは反対方向へ下山する。このまま行けば北高の通学路へと出るだろう。
 宝を発掘できなかったわりに楽しそうな涼宮さんと、それにつられるようにして笑みの浮かんでいる朝比奈さん、いつも通りの読書と食事をしていた長門さんに比べ、彼は帰り道の間じゅう、ずっと難しい顔をしていた。重労働の対価が朝比奈さんの弁当だけでは納得いかないらしい。ではあなた、もしも本当に元禄時代の宝物が出てきたらそれで満足していたのですか?
 もしそうなのだとしたら随分と可愛らしいことだ、と声には出さずに。ひたすら続けた発掘作業のおかげであちこちについた泥の跡も、彼の誠実さの証のようで好ましく思えた。少なくとも僕などよりよほど似合っているはずだ。
「ただみんなでピクニックに行きたかっただけだと分析できます」
 彼と一緒に土木作業を続けながら考えたことを彼に話す。その分析結果は当たらずとも遠からずだろうと思う。大事な核心の部分が見えてこないのだが、それは今は置いておこう。
 彼は僕の分析に異論はないようで、素直にそう提案すればいいのに、とぼやいて見せた。思わず苦笑する。涼宮さんだって、あなたにはそんなことを云われたくないと思いますよ。
「そこに微妙な乙女心が作用したのではないですか? 冬休み以来、涼宮さんの精神は安定を保っていますが、あるいは安定しすぎることに飽きてきたのかもしれません」
 そのセリフは自然と出てきたが、云い終えてから頭の中で反芻してはっとした。
 ――微妙な乙女心。あるいは、それか。
 しかし考えを深めることもまとめることもままならないままに、彼から待ったがかかって思考は中断された。
「ハルヒの精神が安定しっぱなしだって? 二月に入ってからもか?」
「ええ。微妙な揺れはありますが、少なくともマイナス方向に向かった様子はありませんね。どちらかと言いますと、割に高揚しているほうです」
 僕の四年近くの経験に賭けて真実だ。なんなら午前中のあなたたちの口論を持ち出して、閉鎖空間の発生がないことと併せて証拠だと説明してみせましょうか。
 だがその提案も彼によって再び遮られる。
「じゃあ、ここしばらく俺がハルヒに感じていたブルーなオーラは何だったんだ? 俺の気のせいか?」
 ブルーなオーラ? 涼宮さんが憂鬱を抱えていたり退屈を持て余していたりする時に窺えるような雰囲気のことですか。
「そんなものを感じていたんですか? 僕にはいつも通りの涼宮さんに見えましたが」
「お前はハルヒの精神的専門家じゃなかったのか? 俺に解ったもんをどうしてお前が気取らないんだ。分析医の真似事はもうやめにするか」
 あなたが代わってくださるのであれば、僕は当然お役御免でしょうね。そもそも僕の察知する涼宮さんの精神構造は、あの空間の発生状況と連動している。ということは、涼宮さんの気分の浮き沈みは以前と変わらないままで、世界を造り替えようとする力が衰えているのだろうか。
 しかしその考えはすぐに打ち消した。あまりに莫迦莫迦しい。閉鎖空間について感知するのは僕の超能力者としての部分であって、人としての部分では彼と同じように目や耳を使って涼宮さんと接している。それを判断材料に入れないでどうする。
 涼宮さんの神的能力に関する仮説を捨てて、今日の活動の意味についてさっき浮かんだ仮説を呼び戻す。涼宮さんの乙女心が作用して決行された、宝の発掘作業。
 バレンタインデーのための前振りという可能性はないだろうか。

 予想通り道は北高の通学路へとつながっており、いつもの分かれ道で解散となった。明日は市内の不思議探しをするわよ、と涼宮さんが今日と同じ時間、場所での集合を命じる。ありがたい提案だった。今日からの四連休、下手に全員ばらばらの休日を過ごすよりは、よほど自分の責務を全うできるというものだ。

 夜になってから、やや硬い声の森さんから電話があった。
『本格的に争う準備をしておいた方がよさそうだわ』
 抑揚のあまりない口調は、緊張か、それとも事態に追われてさすがの彼女でも疲弊しているのだろうか。
『一月上旬に朝比奈みくるを撥ね飛ばそうとした車を運転していたのは、先日こちらの時間平面へやって来た例の藤原という男だそうです』
 その事件ならば報告を受けている。任務で彼とデートできるなんて羨ましいことだと思いつつ、自分だっておそらくこれ以上は望めないだろうというくらいに彼に近いポジションにいるのだと考え直したりもした。
「待ってください。TPDD使用の隠匿はなかったのではありませんでしたか」
『それは最近の話です。一ヶ月前は秘密裡にこちらへ来て、その事件にだけ関わって戻ったらしいわ。もっともそれは失敗し、彼の行動は無駄に終わったわけですが、またこちらへ来ているということは本格的な現代への干渉をおこなうつもりと見てとってよいでしょう』
 先日のTPDD使用は、宣戦布告ととっていいということか。
 状況は確実に変化している。『機関』も、未来人も、敵も、味方も、SOS団も、涼宮さんも、彼も。
 ――僕は? 気づかぬまま、一人取り残されるようなことになってはしやないか?

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