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涼宮さんが彼を引っ張って部室へ入ってくるところを見るのは先週ぶりのことだ。そもそも彼が部室へ来るのが今週初なのだが、見慣れた光景に安心してしまうのは人の性だろう。僕の手は昨日組み立てかけて巧くいかなかったジグソーパズルを分解する作業を続けていたが、意識も顔も口も一斉に彼の方へ向く。
「やあ、久方ぶりですね」
本当は一昨日も顔を合わせていたが対外的にはそんな事実はない。シャミセン氏が病気である、という件を受けて話を展開してみたが、彼はそれには乗ってこなかった。口実なのだから当然か(彼の行きうる範囲の動物病院に、彼およびシャミセン氏の通院記録はない)。
彼は異世界人なんかに会いたくはないとぼやいたが、あるいはあなたこそが――という仮定のひとつを口にしかけて、慌てて微笑で誤魔化して涼宮さんの方へ向いた。
「今日はミーティングだとうかがっていましたが」
「ええ、そうよ。緊急特別ミーティング」
事前に知らされていたものに緊急と冠することには違和感を感じるが、涼宮さんは当然のようにそう云った。今日である必要はただひとつ、彼がこの場にいること。
しかし緊急で特別という、赤ペンで予定を書き込むべきミーティングはなかなか始まらなかった。涼宮さんはそわそわと、けれどなんでもないふうにパソコンをいじったり雑誌を手に取ったりしている。始められない理由があるのだろうと判断してジグソーパズルにまた手をつけることにした。形が似ていてもスムーズに嵌らないものはやはり不正解なのだ。無理矢理嵌めてもやがて描かれるSOS団エンブレムに傷がつくだけだ、となれば膨大な量のピースの中から、合致するものを見つけだすまで地道に探し続けなければならない。
ごく自然に僕の隣に座った彼はそれとなくパズルを気にしているようだったが、協力を仰いでも以前のように眉を顰められるだけだろうか。だめもとで声をかけてみようかと考えたところで、不意に部室の扉をノックする音がし、続いて高らかな声が扉越しに届いた。
「やっほーい! 来たよんっ。入っていいかーいっ」
瞬間、弾かれたように立ち上がったのは涼宮さんで、御自ら名誉顧問をお迎えするべく進み出た。鶴屋さんは相変わらずのテンションで挨拶しながら入ってくる。
「ああっ、キョンくんは昨日会ったっけねっ?」
その言葉に、肩が跳ねるほど動揺した。
『機関』と鶴屋家の関係を明かしたのに、それでも彼は鶴屋さんに接触したのか。軽率な行動ではない、と思う。知らないならばともかく、事情があるなら彼はそれを考慮できる人だ。ということはその接触が必要である理由があったのだろう。――などともっともらしいことを思考しようとしながら、それでも本当はわかっている。これは、ただの、小さくて醜い、嫉妬だ。涼宮さんでも長門さんでも朝比奈さんでも、僕でもなく、陰で鶴屋さんと会っていたことへの(陰で、といいつつそんなことにいちいち報告の義務などないことだってわかっている)。
考えるべきことが多すぎる。誰も彼もがそれぞれの事情で動いていて、それはその人のバックグラウンドに拠るもので、そしてそのバックグラウンドはどれも不鮮明で。どんなに考えても、推論を重ねることしかできない。もどかしい。
そうしてようやく始まったミーティングの内容は至極簡潔で、鶴屋さんのご先祖が山に宝を埋めたらしい、その地図が出てきたから明日探しに行こう、ということだった。彼が鶴屋さんから宝の地図を受け取ったのが昨日、それを涼宮さんが見たのは今日。けれど涼宮さんは昨日の時点でミーティングを予告していた。「宝の地図」の真偽は別にしても、それが今日登場することを涼宮さんは前もって知っていたのだろう。一体どんな絡繰りだ?
涼宮さんはトレジャーハントの計画を一人でどんどんと進め、話を大きくしていく。それに待ったをかけたのは他ならぬ宝の地図の提供者だった。どうやら明日は、万が一なにかが起きたとしても鶴屋家が地主として対応してくれそうだ。もちろんそんな「万が一」は未然に防がなければならないが。
よろしくお願いしますよ、鶴屋さん。『機関』と鶴屋家は淡泊な関係ですが、僕はそんなことはどうだっていいんです。楽しそうにしている人を見るためにあなたがSOS団へ積極的に関わっているように、僕はSOS団の現状を守るためならあなたを積極的に利用します。それは雪の山荘をお借りした時にお話ししたことだ。わかっていただけていますよね?
宝の地図があるということは、宝は存在するということだ。
――という、論理的なのかそうでないのか判断しかねる主張のもと、図書室から借りてきた図鑑やら資料集やらを広げて、宝の正体を推理する会合となった。健全な一男子として(同性に欲を覚えることは健全不健全の問題にはカウントしない。好きで、触れたいのは健全な衝動だと主張する)、歴史や宝探しといったものに対し顔には出さず心を躍らせた。そういった高揚は年齢を重ねるごとに程度の減少はあっても失くなりはしないと思うのだが、彼はさして興味もなさそうに涼宮さんの意見に相槌を打ったり反論したりしていた。いつもの光景といえばそれまでだが、それにしたってなんだかんだ云いつつ付き合う彼にしては反応が投げやり気味である。単に真冬のピクニックに乗り気でないのか、それともなにか知っているのか。
宝の推理は結論が出ないまま下校時刻となり、本日の団活動は終了となった。
しかし、宝の地図の正体がなんであろうと、二人目の朝比奈さんの目的も新規参入の未来人も、突き詰めてしまえばどうでもいいことだ。いま涼宮さんが輝かんばかりの笑顔を振りまいて楽しそうにしているならば、それ以上のことはない。SOS団と『機関』は彼女のその状態を保つよう尽力するだけだ。
そう、思わなければいけない。
いろいろなことを頭の中に抱えたままで彼を見やる。青と黄色が混じり合う、冬独特の夕暮れの中、彼はあくまでもいつも通りに見えて、それがなぜか目に痛くて視線を落とした。
この日、『機関』からの連絡はなかった。
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