二月、ルートヴィヒ。

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 僕が文芸部室へ持ち込んだゲームのほとんどは、二人以上でのプレイを想定して作られたものだ。一人で遊ぶために来ているのではないのだから当然ともいえる。おもしろそうなゲームを見つける度に手を出しているので(エンゲル係数を下げているのはボードゲーム代だ)、今や結構な量のボードゲームが部室の棚の中に積み上げられている。
 そんなわけで、だいぶ奥へと追いやられていたジグソーパズルを広げるのは久しぶりだった。ジグソーパズルも複数名で協力して取り組むことは可能だが、ミルクパズルなのを知った彼がそんなもん完成させてなにがおもしろいんだと眉を顰められて以来、手をつけることなく仕舞われていたのだ。今日も彼はシャミセン氏の看病で欠席ということだったので、蓋を開けてみた次第である。
「あら。古泉くん、それミルクパズル?」
 とりあえず全部広げてみたところで、涼宮さんがそう声をかけてきた。キョンは今日も休みよと一言で伝達を終えた彼女は、昨日と同じでそれを気にした様子はない。どこか考え事をしているふうではあるが、それは閉鎖空間の発生につながるようなマイナスのものではないようだった。
「ええ。以前持ってきてそのままだったのですが、やはり折角ですし完成させてみようかと」
「いいわね。ぜひ完成させてちょうだい、SOS団のエンブレムを描いて額縁に入れて飾ってあげるわ」
 無から有を生む涼宮さんらしい言葉だ。
「それは素敵な提案ですね。ご期待に添えられるよう尽力します」
 こんな時間潰しが涼宮さんの退屈を紛らわせられるのなら、『機関』としても僕個人も云うことはない。早速外枠を整えるため、一片が直線になっているピースだけをより分ける。思ったより数が多い。そういえばこのパズルの完成サイズは何センチ四方だっただろうか。
 形が合っている、ように見えるピースを無理矢理組み合わせてみたり、他のピースに変えてみたりしていると、ブレザーのポケットで携帯電話が鳴った。メールだ。監視員の方からの情報が回ってきたのだろう。
 活動が終わってから確認してもよかったが、今日はもう、僕が帰ってしまっても差し支えないだろう。涼宮さんはパソコンを操作するのに夢中なようだし、他の二人もいつもの調子だ。
「すみません、急なバイトが入ってしまったようです。お先に失礼してもよろしいでしょうか」
 携帯電話を開きつつ、という、我ながらわざとらしい動作で声をかけると、涼宮さんはパソコンのディスプレイから顔をあげて大きな眸を向けてくれた。
「ほんとに急ね。いいわよ、頑張ってね」
「ありがとうございます」
「あ、でも明日はちゃんと来てちょうだい。大事なミーティングをやるから」
 ミーティング。正月以来約一ヶ月ぶりのイベントとなる節分を終えたSOS団はすっかり通常営業に戻っていたが、涼宮さんはまたなにかをするつもりなのだ。次のイベントといえばおそらくバレンタインで、涼宮さんのことだからきっと僕と彼には内緒でことを進めるだろうと思っていたのだが、なにか前置きがあるのだろうか。『機関』の方から手を出す必要がなければいいのだが。
「ミーティングですか。かしこまりました」
「特別ミーティングだからね、キョンも来させるわよ。三日もついててあげれば、シャミセンだって元気になるでしょ」
 ということは、明日は彼と部室で会うことができるのだ。それだけで頑張ろうと思える。まったく現金なことだ。
 長門さんと朝比奈さんにも挨拶をして部室をあとにする。旧館を出、急な坂を下りきったあたりでぱらぱらと雨が降ってきた。気にすることもないような小雨だが、二月の夕方に打たれ続けるのはさすがに辛い。動かす足は自然と速くなった。

 肩を震わせながらアパートのドアを開けると玄関にパンプスが一足きれいに揃えられていた。
「お帰りなさい。早かったのね」
「……ええ。雨も降ってきましたし」
 あら本当、と森さんは僕が散らかしたままだった書類を両手に、窓の外を見て呟いた。暗くなってきている中、街灯に照らされる部分だけが発光したみたいに明るく、雨の筋を浮かび上がらせている。
「その、書類は、」
「渡した時の状態に戻しているだけです。他のものを覗いたりしていないから安心して。まったく、わざわざクリアファイルに入れて渡すのにどうしてこんなに散らかるのかしら」
「書き込んだり、線を引いたりするにはファイルから出さないといけないので」
「書いたらすぐ元に戻せばいいのよ」
 わかってはいるんですけどね、と(本当のことだ、実践できていないだけで)投げやりに返してコートとブレザーをソファに放る。と、森さんのあからさまな溜息が聞こえたので慌ててハンガーを探した。
「あなたが過ごしやすいようにするのは構わないけれど」
 幸いハンガーは脱衣所に転がっていた。すぐに見つかる場所にあってよかった。
「外で襤褸を出さないようになさいね」
「……すみません」
 ばたばたと動き回っている間に、森さんは僕の分のお茶を淹れてくれた。一人で生活するためになにが必要なのかさっぱりわからなかった僕の住居をここまで整えて用意してくれたのは森さんなので、家の中のことはおそらく僕よりもわかっているだろう。
「さて、本題ですが」
 森さんはさきほど整理した書類のファイルの上に、一枚の写真を置いた。デジカメで撮ったものをカラーコピーした、といった方が正しいか。
「朝比奈みくるに敵対する組織の人間がこの時間平面で活動していることを確認しました」
 ではこれが、その未来人か。
 写っているのは男の上半身だった。朝比奈みくる同様、この時代の人間との目立った違いは見当たらない。どこにでもいそうな二十代前半の男に見える。やや軽薄そうな印象。しかし彼も任務で来ているはずなので、頭はいいのだろう。外見は内面の参考にはなるが参考でしかない。油断してはいけない。
「彼がこちらへ来た時、TPDDの使用を観測した、とのことです」
「隠匿は」
「気配すらなかったそうです」
 ああ、これは本気だ。
 TPDDを使用する未来人は、その作動を感知することができるのだという。同時に、感知されるのを避けることもできる。したがってその感知機能はあまり意味をもたない。知らない電話番号へは非通知設定にしてダイヤルするように(もしかしたらこの例えも巧くはないかもしれない)、自分の行動を他人へ無条件に知らせることは、できるならば避けたいのが通常の心理だ。
 そんな状況で、TPDDの使用をはっきりと観測できるということは。
「目的は威嚇か挑発か、そこまでは断定できないけれど、決して日和見などではないわ。強硬な手を使う可能性も十二分にあります」
「監視員の方は、具体的なことは?」
「それ以上は教えてもらえませんでした。ただしそれは、これだけで未来のための数値入力は足りていると判断されたから、という感じだったけれど」
 この情報だけで『機関』が動けば、あちらの望まない未来にはならないということか。随分と信頼されたものだ。
「『機関』は、監視態勢を橘京子側と新しい未来人側へ分けてそれぞれに強化します。連絡も密に。もちろんあなたともね」
「他に僕になにかできることはありませんか」
 敵勢の監視とは別格で自分にしかできない任務を負っていることはわかっている。でも、もしも自分にもやれることがあって、まだそれをやっていないのなら、ちゃんと行動したい。それが僕と、彼女たちと、彼を守ることになるのなら。
「残念ながら、こうして報告を兼ねて意見交換をするくらいしかないわね。まだ、今のところは」
 森さんは幼いわがままを宥めるように笑って見せた。きっとなにもかもがお見通しなのだ。
「引き続きあなたの周囲に注意を怠らないこと。それがあなたの仕事よ」
「……わかりました」
「特に今回は朝比奈みくるね。……ああ、そうでした、二人目の朝比奈みくるのことですが」
 おそらく近い未来からやってきた、無知な未来人。今日も団活動を休んだ彼となにかをしていたのだろうが、未来人の指令は未来のためにあるので、現在に生きる僕には理解しがたい。
「彼女が今ここにいるのは、正しい数値入力のための補佐的役割だそうよ」
「補佐?」
「ええ。そういった、非常に回りくどい説明をされたわ。これは私も真意を理解しきれません」
 これがわかれば、もっと的確な対応がとれるのだけど。森さんはそう云ったが、真意など理解できないということを僕らは十分に理解している。未来からすればこれが適切な情報提供なのだ。ならばこの段階で起こした行動がいずれ真意に変わるはず。
 ――正しい数値入力のための補佐的役割。
 わからない。僕らといつも過ごしている朝比奈みくるではいけないのか。大人の朝比奈みくるならまだしも、ほとんどなにもわかっていない朝比奈みくるが二人に増えてもあまり役には立たないような気がする。
 増える、ことが目的なのか? 大人の朝比奈みくるではいけない理由がどこかにある?
「学校の方ではどう? なにか変わったことは?」
 不意に森さんが話題を変えた。例の写真から視線を逸らしてその美しい顔へ向けると、森さんは図ったように俯いて、手をカップへ伸ばし冷めかけた紅茶に口をつけた。
「彼が欠席なのでなんとなく不思議な感じですが、涼宮さんも安定していますし、特に報告するようなことはありませんよ。ああ、でも明日はミーティングだとおっしゃっていたので、また新しいことを始めるのだと思いますが」
「そうなの」
 もしも涼宮さんがなにか『機関』の工作が必要なことを思いついたとして、それに割ける時間と人員はあるのだろうか。
 気になったけれど、訊くのはやめた。そうなったらその時に訊けばいい。
「楽しいことだといいわね」
「……そうですね」
 森さんの微笑につられ、僕も自然と笑顔になる。
 雨は静かに降り続いていた。

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