恋をしている

恋かもしれないの続き
四年越しに告げる

 艶やかな彼女たちはもちろん持ちうる語彙を尽くしても足りないほど美しかったが、タイを緩めに締めたスーツ姿でそれを見ている彼の目もまた、言葉を失うくらいに眩しかった。あの頃とあまりに変わらないその色は、僕を一気に高校時代へと引き戻す。あの記憶が、あの想いが蘇る。
「キョン、写真撮ってくれる?」
「はいはい。ほら並べ」
「あ、ちょっと待って。ここじゃ逆光だわ。有希、みくるちゃん、こっち!」
 袴の袖を思い切り振って、涼宮さんが長門さんと朝比奈さんを抱き寄せる。結い上げられた髪から垂れる簪が初春の風に揺れた。澄んだ青空をバックに並んだ三人は、制服姿の写真と同じ笑顔をカメラに、彼に向けた。

 大学が始まると、それまでの学生生活とは全く違う生活になった。まず始業終業が人によってばらばらだ。出される課題の種類や量もそれぞれ違って、僕は毎日実験のレポートに追われていたが文系の彼は課題があるのは期末だけ。涼宮さんは机上の勉強よりもフィールドワークが多いようで、あちこちへ足を運んでいるようだった。心理学を専攻した長門さんは僕よりは若干課題の量が少なかっただろうか、朝比奈さんも真面目な姿勢で栄養学に取り組んでいて、そんなふうにして段々と、五人で会う時間は減っていった。
 夏休みや年末年始などは相変わらず泊まりがけで出かけたが、放課後や週末を一緒に過ごしていた高校の時に比べたら、その時間はあまりに少ない。そんなことで、SOS団は消滅などしないけれど。
 卒業式の後は着替えないで集合ね、と初詣の後に云ったのは当然、涼宮さんだ。
「せっかく袴を着るんだもの。式が終わってすぐ脱いじゃうなんてもったいないわ。そのままで遊びましょう」
「俺たちはいいが、袴じゃ大変じゃないのか」
「莫迦ね、そんなものは気合いでどうにかするのよ。そんなことよりあんた、ちゃんと卒業できるんでしょうね?」
 お言葉通り、今の涼宮さんは重そうな袴をものともせずに楽しそうにしている。夜までまだ時間があるわね、と先導をきって前へ進む姿は変わらず頼もしい。夜は居酒屋に五人分の予約を入れてある。その予約を入れるのは僕の仕事で、館やフェリーや殺人事件の準備など必要のない、たった一本の電話をかけるだけのことを、僕は崇高な任務のように賜った。
 大学の卒業式。あれから、四年が経ったのだ。

 二件目の店を出ると、三件目を探すことなく解散になった。朝早くから着付けられて歩き回っていたのだ、さすがにこれ以上はきついだろう。
 それにもう、僕らは別れが怖くない。会えない時間は怖くない。どんなに忙しくても、場所が離れていても、会えるのだ。今日のように。名残惜しいとすればそれは彼女たちのこの装いはもう見られないだろうということくらいで、会いたくなったら会えばいい。会いに行けばいいだけのことなのだと、今は皆が知っている。
 僕も彼も高校の時と同じ家に住んでいたから、帰り道は四年前と同じようにふたりで歩いた。けれど感情を取りこぼしているような、あの気持ちは今はない。言葉少なな会話の中に、高校の頃のことを思い起こしては少しずつ満たされてゆくような、凪いだ温かさを感じていた。
 彼もきっと、そう違わない。
「あの頃の話をしてもいいですか」
 云うと、今更なにを、と彼が笑った。五人で集合してからは高校の話もたくさんしていたのだから今更といえばその通りだ。
 でも、そうじゃないんです。あの頃の、僕とあなたの話をしてもいいですか。
「僕はあなたのことが好きだったんです」
 地面を見ていたから、彼がどんな表情で唐突な告白を聞いていたのかはわからない。
 ふしぎと急くこともなく、五歩進んだあたりで彼がぽつりと、言葉をくれた。
「知ってた」
 なんとなく、そう云われるような気がしていた。
 もちろんあの時は、そんなことは夢にも思わなかったけれど。今になって考えれば、例えば僕がゲームで下手な手を打ってしまった時、例えば涼宮さんの暴走を助長させるようなことを云ってしまった時、眉を下げて仕方なさそうに笑みをくれたのは、僕に、僕だけに見せてくれた好意なのだと。
 愚かにも気づいていなかったことに、今はもう、気づいている。
「ちなみにそれは過去形なのか」
「まさか、ご冗談を」
 あなただって、わかってらっしゃるのでしょう?
 応酬の間に訪れる空白は、互いに探っている時間だ。間違えないための。前へ進むための。
 悪かった、と場にそぐわないことを彼が云った。
「なにがですか?」
 僕からならばともかく、彼に謝られるようなことはなにひとつない。今の告白だって、応えることは義務じゃない。
 不意に彼が立ち止まる。
「知ってたのに、知らないふりをしてた」
 そこはちょうど、僕らの分かれ道だった。ああ、あの時は彼の顔をちゃんと見ることができなかったけど、今は。
 彼は少し困ったように、けれどまっすぐに僕を見ていた。
 ――随分と、遠回りをした。遠回りをしながら、でもずっと同じ気持ちだったんだ。おかしくて顔がにやけてしまう。彼が怪訝そうな顔をしたけれど我慢できず、僕は声をあげて笑った。夜の空に笑い声が響く。
「なんなんだよ、お前」
 彼が些か不機嫌そうに云った。違います、あなたのことがおかしいんじゃない。僕が、あまりにも必死で、莫迦みたいだったから。
 涙すら滲んできた目元を擦って、彼に向き直る。もう間違えない。これ以上の遠回りもごめんだ。
「僕の家へ来ませんか。コンビニに寄ってビールとおつまみでも買いましょう」
 彼は一度、黒い目を瞬かせて、それからふっと緩むように笑んだ。
「ならスーパーにしないか。材料があれば、簡単なつまみくらいなら作ってやる」
 それと俺はビールじゃなくてサワーな、と。向けられたのはあの頃と同じ、僕だけにくれる笑顔。
 あの時分かれた分かれ道で、今度は分かれず同じ道を進む。
 空白になっている四年間を、あるいは七年間を、今夜、埋めよう。僕だけじゃできない。でもあなたとふたりでなら、思うよりずっと簡単にそれはできるだろう。
 そうして過ごす夜はきっと短く、迎える朝ははるかな未来へ続いているはずだ。

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