ひどいキョン
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知っていたんだ。古泉が俺を好きだということも、それを告げるつもりがないことも、俺が気づいていないと思いこんでいることも。綺麗なものしかない古泉の世界の中で、おそらく自分は一等輝いた存在のように思われていて、古泉なりにこれ以上ないほど大切に扱われていることも。ある時突然気づいてしまった。わかってしまった。ああ、お前が例のけったいな超能力に目覚めた時もきっとこんな感じだったんだろうな。濃い霧が晴れて一気に視界が拓けるように、古泉が時折見せる今まで巧く表現できなかった表情の意味が、俺以外に向けられるものよりももっと強い好意であることを、俺は知ったんだ。
それを知って、放っておけないと思うのはさて、なんていう名前の感情なんだろうね。
「――――え、」
古泉がひどく間抜けな声をあげた。そんな声を聞けたことだけで微かな優越感すら感じる。碁石がからからと転がっていく音がやけに遠くに聞こえた、ような気がした。おかしなことだ。碁盤は古泉の手を握りしめた俺の手のすぐ下にあって、碁石が転がっているのもその周辺のはずなのに、そんな音は古泉の漏らした小さな一音の呟きによっていとも簡単にかき消されてしまった。
「なにを……どうか、しましたか?」
ほんの一瞬、揺らいだ古泉の表情はしかしすぐにいつもの微笑に戻る。穏やかで安定していて、悩みも迷いもなさそうな、仮面。
その下に、なにを隠してる?
「お前、俺のことどう思ってる」
もしも俺が好意を向けられていると感じているのが盛大な勘違いで、その感情の正体がこれ以上ないほどの敵意だったとしても、それでもいい。それならそう云えばいい。古泉が笑顔の下に飼っている、俺に向けて大きく牙を剥いた怪物を見せるなら。
「……僕、は」
「逃げるな。隠すな」
真正面から視線をぶつけると、古泉のよくできた仮面に一筋、ひびが入った。
「どうして……どうしてそんなことをおっしゃるんですか、僕はこんな、確かに僕はあなたのことが、でも、こんな……つもりではないんです、本当に」
拾い上げるようにつなげられた言葉は文脈がはっきりせず、古泉らしくない。けれどそんな一面が俺に、俺だけに向けられているのだと思うと興奮した。戒める手に力がこもる。
「云えよ」
「え?」
「お前は、俺のことが、――なんだって?」
「……っ」
観念しろ。お前はもう、俺を誤魔化せない。お前の綺麗な世界を構成する要素の中に俺は組み込まれているのだから、お前は逆らえないはずだ。
「――――あなたが好きです」
ようやく古泉の口から告げられた言葉に満足して掴んだ手の力を緩めると、古泉はそのまま離れていくと思ったのか、すごい勢いで手首を握り返してきた。そんな柔じゃないが(第一男の手首だ)、それでも折れてしまうんじゃないかと一瞬思ってしまうほどの力。古泉は俺の手首を握ったままそれを自分の口元へ引き寄せた。
指先にキスをするというよりは、脆い部分から食おうとしているみたいだな、とぼんやり。
古泉の手も目尻も肩も震えていた。
それから古泉は、俺と二人きりの時にだけ、普段は絶対見せないような顔をするようになった。いつもの仮面よりずっと緩んだ笑顔だったり、ひどく疲れていたり、不満を云ったり、泣きそうだったり嗚咽を漏らしながら泣いたり。それはまるで、幼い子供の姿。
古泉は綺麗なものしかない世界に住んでいる。
そこは正しさと美しさに満ち溢れていて、一切の矛盾を赦さない。例えば天体が一年という時間をかけて再び巡り来るように。何億光年も昔の光が、輝いたまま今この地上へ届くように。澄んだ空気だけが古泉と世界をつないでいる。ずっとそんな世界で生きてきたのだろうから、その空気が汚れてしまったら、綺麗な空気に慣れた古泉は呼吸できなくなってしまうだろう。
だから古泉は憎むべきものを憎めない。己の感情の中にそういう選択肢がそもそもないのだろうと思う。自分を苦しめる根幹であるハルヒのことを、それでも慈しむべき存在として愛そうとしている。三年間苦しみ続けて古泉はやっとハルヒに邂逅したというのに、なんの事情も知らずその隣にいた俺のことも、嫌うどころか好意を寄せる。汚れたものばかりが転がる世界を守るために、身体も精神も――俺に愚痴をこぼすほど――ぼろぼろになっても、いつだって戦っている。《神人》と。現実と。世界と。夜毎の呼び出しは重労働だと溜息混じりに云ってみせても、古泉はそれをやめない。
可哀相な古泉。ハルヒよりももっと恣意的に意図的に、お前は世界を壊してしまうことだってできるのに。
あなたに会えてよかった、と古泉が甘い甘い声で囁いた。外はすっかり暗くなっていたが、古泉が俺を抱え込んだまま動かないので照明のスイッチをいじれない。
「なんだ、いきなり」
「そのままの意味ですよ。そうだな……涼宮さんがあなたを見つけてくれてよかった、とでも云い換えましょうか」
「どっちにしろ変わらないと思うぞ」
「変わりますよ。もし涼宮さんがいなかったら、僕とあなたは例えクラスメイトであっても深く関わることはなかったでしょうから、やはりここは涼宮さんに感謝すべきなのでしょうね」
「ハルヒに感謝、ねえ……」
古泉の中では、ハルヒは今でも神様のままなのだ。この世界の命運を握り、機嫌ひとつで古泉の仕事を増やし、そして俺と古泉を引き合わせた。意味の比重に変化はあれど、そのこと自体は変わらない。
古泉は、自分が俺に寄りかかりすぎてぐずぐずになっていっていることに気づいていない。それでいい。
「お前は、そのままでいいよ」
「なんですか? それ」
「……いや」
意味がわかりません、と云って古泉はちいさく笑った。
そう、お前はそのままでいい。お前がきれいなものしかないせかいでしか生きられないのなら、俺がそのせかいを守ってやる。俺なしでは息ができないように。
古泉がゆっくり頬を擦り寄せてきたので、柔らかい髪を撫でてやる。
カーテンも閉めないままの窓の外、星の光がくすんだ夜空に儚く瞬いた。
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