たいせつに育てる
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「ちょうのうちよりもいださず、いつきやしなう」
昼休み直後の古文の授業、空腹が満たされれば次は睡眠欲だと云わんばかりに襲ってきた眠気とやる気なく戦っていたら、カクテルパーティ効果でそんな文章が聞こえてきた。なぜ自分の脳がそれを意識上に捕らえたかというと、それは知っている奴の名前が入っていたからだろう。
映画の時くらいしか呼んだことはないが。
「帳というのは、身分の高い人間が座る台座のことで、垂れ絹がかかっています」
ご丁寧に解説しているその声がまたα波としか思えない心地好さで、この時間に机につっ伏しているクラスメイトがやけに多いのはそのせいだろう。ほら、能を聞きながら寝るのが贅沢なこととされていた時代もあったとかいうし。だから俺が眠くなってしまうのも俺のせいじゃないんだ。仕方ないんだ。
そう言い訳しながら睡魔の手を取ろうとしたら、己の脳がまたその名を拾い上げた。
「いつきというのは、大切に、という意味で、文字通り箱入り娘として育てられたわけです」
へえ、そうかいと思いながら視線を教科書に這わす。二ページ目でやっと俺はその一文を見つけ出した。
『帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。』
古文にしては現代文に近く、わかりやすくて親切な文章である。帳、の横に通し番号がふってあり、脚注にその絵が載っていた。こんな狭いところから出さないで育てられたら気が狂わないか? 大切に育てるというよりは、軟禁に見えるけどな。まあ、当時の感性ではこれが大切にしていることと考えられていたんだろうし、そもそも作り話なので突っ込むのはこのくらいにしておこう。
教師の解説は更に先へと進み、カクテルパーティ効果は望めなくなった。俺は胡散臭いアイドルスマイルを思い浮かべながら、漢字で書けば様になるのに平仮名だと間抜けな感が否めない三文字の横に線を引いて、「大切に」と注釈を書き加え、今度こそ夢の中へと旅立った。
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