依存症

相槌だけ望んでいる

 そろそろ帰るわ、とローテーブルの上に放置してある小さな置き時計を見た彼は、立ち上がってソファの脇に置いてあった鞄を持ち上げた。ここから自転車で帰れば、ちょうど夕食時に家に着くだろう。僕と他愛もない会話をしながらも、一方でそういったことを気にかけていた彼の精神の細やかさに感動を覚えたり、寂しくなったりと僕は彼を玄関まで見送りながら忙しい。
 靴を履いて、じゃあ、と彼は向き直った。
「邪魔したな」
「とんでもない。何もお構いできずにすみません」
「いいよ、そんなの」
 笑いながら彼は鞄の外側に作られたポケットに手を入れた。数度まさぐって、あれ、とそこを覗き込む。
「どうかしましたか」
「いや、ここにチャリの――鍵、が」
 視覚で確認してもポケットには見当たらないらしく、彼は廊下に鞄を置いてファスナーを開いた。最低限のものしか入っていない彼の鞄では、探す場所も限られている。
「見つかりませんか」
 ううん、と彼は小さく唸った。
「ここに来た時、ちゃんとしまったはずなんだが」
 ない、と呟く。彼は心底困ったといった表情をしていた。
 あなたが困っているというのならば助けましょう。何あらん、ここは僕の家だ。
「自転車に乗れなければ帰るのも不自由でしょう。泊まっていかれては」
「――でも」
 言葉に詰まる、彼は例えば帰宅の手段が他にもあることに迷っているのではない。答えは出ている。ただ、それを答えと認識できていないだけだ。
 だから僕は、声をすこし小さく抑えた。
「僕は構いません」
 彼の途惑いは、僕のために。
「いてください」
 彼は僕をじっと見て(このまま死にたいと思った)、呼吸に近い短い溜息をついて靴を脱いだ。僕の横を通り過ぎてさっきまでいたリビングへ向かう。
 ああ、ソファの前で抱きしめてキスをしよう。

 鍵は明日、きちんと解凍してお返しします。だから、今夜は、ここに。

被依存症

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