名前を呼んで
「いっちゃん」
と、彼のいつもよりトーンの低い声が静かな部屋に響いた。シリアスな原因は怒りなどではなく、その証拠になだめるような穏やかさを孕んでいる。
「お前な、もうちょっとわがまま云ったっていいんだぞ。いつも頷いてばっかりで、それはいいんだが、それだけじゃないか。もっと、なにがしたいとかなにが欲しいとか、俺はあんまり察してやれないから云ってくれ」
「でも」
「でも、じゃない」
反論の言葉を、彼は強く遮った。
「そりゃあ俺なんかじゃしてやれることには限界があるし、頼りないかも知れないがな」
「そんなことは」
自分を卑下するような彼の言葉を即座に打ち消す。それを聞いて、彼は照れくさそうに笑った。
「とにかく、云ってみるだけでもいいから。俺はできる限りのことをお前にしてやりたいと思ってる。だからちゃんと話してくれ。な?」
こく、と頷いたのを見て、彼は少しトーンの上がった声で云う。優しく頭を撫でるというオプションをつけて。
「ありがとな、いっちゃん」
「いぶきいいなあー。おれもキョンに優しくされてえ」
「親をそんなふうに呼ぶものじゃありませんよ」
彼といぶきの会話を聞きながら、僕と和樹はオセロをしていた。高校一年の時に彼の自室から持ち出されたものだ。僕は自分たちがブレザーを着て、朝比奈みくるの淹れたお茶を飲みながら彼とボードゲームをしていた日々を想起する。
涼宮ハルヒの笑顔を脳裏に浮かべながらぱちんと白いコマを置いて、黒を二つ白に変えた。
「それに、彼は和樹にだってちゃんと優しいでしょう?」
和樹はオセロの盤上をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「――いつきにだって」
「え?」
「なんでもない!」
和樹はボードの角に黒いコマを置いて、縦横斜めの三方向、合計十二個のコマを黒くひっくり返した。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます