夕暮れの猫

ジョーとミヤ

 ランチ営業を終えた店のドアベルをカラコロと鳴らしたのは、よく来る狸ではなく最近知り合った猫だった。
「……こんにちは」
 卓越した技術を持ちスケートボードの日本代表候補でありながら深夜の立入禁止区域に出入りする不良少年が、ドアを細く開け、緊張した面持ちで中の様子をうかがっている。表のプレートはCLOSEDにしたはずだが仕方ない、そもそも実也が初めてここへ来たときはアイドルタイムどころか定休日だったのだ。営業していないレストランに入ってもよし、と示してしまった薫が悪い。
 実也がSにいるときの猫耳パーカーではなく中学校の制服を着ているのが新鮮に映る。彼は厨房からホールへ出てきた虎次郎の顔を見るとほっとしたように表情を緩め、開けたドアの隙間からするりと店内へ入ってきた。
「ミヤ。どうかしたか?」
「あの……ちょっとここにいていい? お客さんが来るまでには帰るから」
 壁の時計を見れば四時を回ったところだった。客は当然いないし他のスタッフは帰宅したから、店にいるのは虎次郎だけだ。
「いいぜ。六時からディナーだから、それまでな」
 テーブル席を指すと実也はこくりと頷いた。その姿がやけに小さく見えるのは、虎次郎と比べて小柄で華奢なせいではないはずだ。
 オレンジジュースとランチの残りのパンナコッタを出してやり、少し迷ってから厨房へ戻った。ホールとカウンターのあいだに開いている小窓から目を向けてみれば、他に誰もいない客席で実也は最初はそわそわとしていたが、パンナコッタを食べ終えたころには落ち着いたのか、鞄からゲーム機を取り出して、あとはそれに熱中しているようだった。
 営業中とは違って今は店内に音楽をかけていない。仕込み作業をする音に混じってゲームの音が小さく鳴るのが、距離を置いてこちらを見ている猫の鳴き声のように聞こえてきて、虎次郎は小さく笑った。
 無言の時間がゆるやかに過ぎ、店内にだんだんと西日が射してくる。仕込みがひと段落ついたところでホールに出ると、実也はちょうどゲーム機をしまったところで、飛び降りるように席を立った。
「僕、そろそろ行くね」
「ミヤ」
「何?」
「何があったか知らねえけど、親御さんとはちゃんと話せよ」
「……なんで」
「んー、オトナの勘?」
 茶化すようにウインクを飛ばしても残念ながら実也には響かない。不服そうにしている小さな頭をぽんと撫で、反対側の手を顔の前へ持っていく。
「これは話したあとでご褒美に食いな」
 そう言って、食後のエスプレッソに添えて出すひとくちサイズのビスコッティをみっつ包んだものを渡すと、実也は目を丸くしながら両手で受け取った。たしか実也にきょうだいはいなかったはずだ。
「……ありがと」
「ん。またSでな」
 店の中を覗き込んだときの実也の姿が、子供のころ、父親と喧嘩した薫の様子にそっくりだったことは、まだ黙っておいた。
 仲直りの報告に来たら教えてやろう。その場に薫がいなければ。

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