客の前で初対面プレイするジョーチェリ
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きつい印象を与える吊り目の三白眼も、うまく微笑めばその棘はきれいに隠れる。むしろ真顔のときの印象とのギャップで特別感を演出できるというものだ。
どんなタイミングで、どんな角度で、どんな声音で笑顔を見せるのが効果的か、薫は経験とデータで知り尽くしていた。
そしてそれが薫の手口であることを虎次郎は知っている。
常連客が二名で予約を入れてきたことに対して虎次郎が疑念を挟む余地はなかった。グレードを分けてふたつあるランチコースのうち高いほう、予約を取ってまで何度も来ていただけるのはありがたいことだと素直に思う。期待を裏切らない料理を提供したい。
そう、いたって真面目に仕事をしていた虎次郎は、二名で予約してきたその連れがどんな人物かまでは考えておらず、だからその常連客とともに店に入ってきたのが見飽きるほど見知った幼馴染であったことに面食らいつつも、少しも表情を変えずに迎え入れられたのは接客業としては満点だろう。
「南城さん。お久しぶりです」
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。どうぞ窓際のお席へ」
「ありがとうございます。こちら、書道家の桜屋敷先生です。先生、こちらはこの店のオーナーシェフの南城さん」
「初めまして、桜屋敷と申します」
薫は眼鏡の奥からまっすぐに虎次郎を見つめ、ニコリと笑った。
なるほど今日はそういう感じか。今日はというか、今日も、というべきか。
接待相手を持ち上げるため、たびたび取引先と訪れる薫はいつも虎次郎へ初対面を装っていた。そんな厄介なことをせずとも知り合いの店ですとでも言えばいいのにと虎次郎は思うが、他人の商売に余計な口出しをしてもいいことがないのは火を見るよりも明らかである。
だから虎次郎も他の客に見せるのと同じ笑顔のまま微笑んでやった。
「ようこそいらっしゃいました」
相手が薫であろうとそうでなかろうと、営業時間内の店に来た客へのもてなし方は変わらない。食事の進むペースを見ながら最適なタイミング、最適な温度で料理をサーブする。グラスの中が減っていればワインリストを案内し、ついでに「実は珍しい白が入ったんです」と囁けば、彼らはあっさりそれをオーダーしてくれた。
綺麗に平らげられた皿を下げ、最後にレモンのソルベとエスプレッソを持っていくと、薫は紙ナプキンで口元を拭きながら虎次郎へ笑顔を向けた。
「とても美味しかったです」
「ありがとうございます。桜屋敷先生のお口に合ってよかった」
言えよ、それを、いつも。の意味を込めて目線で刺すが薫の表情は変わらない。
薫の向かいに座っている常連客は──実のところ来店回数だけで言えば薫が他の追随を許さない常連客なのだが──エスプレッソに砂糖を入れてスプーンでくるくると溶かしながらわけ知り顔をする。
「南城さん、イタリアで修行されてますもんね。本場の味ですよ」
「そうだったんですか。本場にまで行かれるなんて、南城シェフは志が高くおられるのですね」
薫が柔和に微笑んだまま言った。普段の応酬の中で出てきた言葉であれば間違いなく嫌味であるが、今はそんな響きは微塵もない。
それが客の前だからとわかっていても、もういいかな、と、虎次郎は投げやりでもなんでもなく、突然思った。
もういいかな、種明かしをしても。毎度毎度薫が一見客のふりをして微笑むのを見るのもそろそろ飽きてきたし、このあたりでこちらから意趣返しをしたっていいだろう。
虎次郎は薫をまっすぐ見下ろした。淡い桜色の髪に午後の明るい光が射してきらきらと輝いている。薫は少しもひるみもせずまっすぐに見つめ返し、能面のような笑顔のままおとなしくにこにこと虎次郎の発言を待っていた。
本当は、こんな会話をするよりも、溶けてしまう前にソルベを食べてほしいのだが。
「ええ、実は私の幼馴染がパスタに目がなくて。絶対にどこよりも美味いパスタを食べさせてやりたかったんです」
それを聞いた桜屋敷先生の顔といったら!
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