薫の夢を見た虎次郎
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シーツの上で抱いた感触は、こんな場面で手や腕が覚えているものとは違っていた。
明かりを落とした部屋で、同じベッドの中で、腕の中に抱くのはいつも虎次郎よりずっと小柄で柔らかい身体だ。相手が違ったとて、腰に手を回して抱き寄せれば、相手の爪先が虎次郎の膝に当たるような、そんな。
それがどうしてか今夜はなにもかも違っていた。虎次郎に比べれば細くはあるが、折れそうなほど華奢ではない。脚の長さも変わらない。肌はうっとりするほどなめらかだが、そのすぐ下には筋肉が張りつめているのがわかる。長い髪と首筋から蠱惑的な香りがするが、花やバニラのような甘さはなく、オリエンタルな深みがあった。
……誰だ? どうして一緒に寝ているんだ? ここはどこだ?
確認したくても胸に抱えていては顔も見えない。虎次郎は一度手を離して体を起こし、相手の顔の両脇に手をついて見下ろした。こんな体勢になると威圧感を与えてしまうかもしれなかったが、怯えたり抵抗したりする様子はなかった。
暗闇に慣れてきた視界に、シーツにうねるピンクの髪が映る。
「……え?」
ぼんやりしていた頭が急に働き始める。こんな髪色の人間を虎次郎はひとりしか知らない。顔を見れば、あまりに見慣れた幼馴染の瞳が虎次郎を見上げていた。いつもきっちり着ている着物は状況のせいで乱れ、割れた裾から素足が見えていて、発光しているのかと思うほど白く輝いていた。
誘われるようにそこへ手を伸ばす。さらりとした肌は夢のようで同じ男とは思えないほど。するすると撫でさすると長い脚がぴくりと震えた。それに気をよくして虎次郎は──
「……っ!?」
がばりと飛び起きる。裸の肌が汗ばんで暑い。見回してもそこは見慣れた自分の部屋で、このベッドにいるのは虎次郎ひとりだけだった。変わったところはない。
「……今、の、」
部屋に変わったところはなにひとつない。だから、こんなに混乱している原因は、虎次郎自身にあった。
カラコロ。閉店後に鳴るべきではないドアベルの音が聞こえてきて、虎次郎は思わず手の中のものを落とした。
「か……ッ!?」
べちゃ。鈍い音が、静かなせいでやけに大きく響く。
「あ?」
「なん……っ」
何でここに、と言いたかったが、その答えは聞くまでもなかった。薫は閉店後のシアラルーチェを貸切のバーだと思っていて、こんなことは珍しくもなんともない。
「おい、さっきなにか落とさなかったか?」
「え、ああ……」
虎次郎はまな板から鶏肉の塊を持ち上げて見せた。明日のランチの仕込みをするため、冷蔵庫から出したところだった。
薫からすれば、説明も脈絡もなく突然生肉を見せつけられただけである。
「何やってんだ? キモいゴリラだな」
誰のせいだと思ってんだ! 虎次郎は叫んでしまいたかったがそんなことを薫に言ってもややこしくなるだけである。言わないほうが賢明だ、と判断することで虎次郎の理性は力尽きてしまい、目線がつい薫の脚へ──薫は普段通り着物を着ているのでもちろん脚なんか見えない──向いてしまうことは止められなかった。
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