進路

暦とランガ。ジョーチェリ匂わせ

 その大人がランガに目をとめたのはまったくの偶然だった。いつものように昼間のスケートパークで滑っていたところへ声をかけてきたのだ。
 それが実也ともつながりのあるプロスケーター関連の仕事をしているひとだということはあとになって知った。
 彼が前のめりになって話をもちかけたのは当然のようにランガだけで、その間暦は若干の居心地の悪さを感じながら、斜め後ろで聞き耳を立てるだけだった。

「行ってこいよ。お前、才能あるから大丈夫だって。俺が保証する」
 暦はそう言って歯を見せて笑った。作り笑顔でないことはすぐにわかった。そういうところが、ランガにとって暦の好きなところのひとつだ。
「……でも、暦は行かないだろ」
「そりゃあ、俺は呼ばれてねえからな」
 暦はあっさりと肯定する。ランガにとってもわかりきっていたことで、だから確認したのは、ただの無駄な反抗心だ。
 ランガにとって、スケートは暦だ。ランガのスケートは暦とともにあった。どんなに速く高く滑っていたって暦がいないとだめだと、一年前にはっきりと悟ったのだ。それを暦も知っているはずなのに。
 むっつりと黙り込んだランガを見て暦はぽりぽりと後頭部を掻いた。ランガは大切で対等な友達だが、たまに現れるこういう姿を見ると弟がいたらこんな感じかもしれないと思う。
「ジョーってさ」
「ジョー?」
「うん」
 自分たちふたりの話をしていたはずなのに突然別の大人の名前が出てきて、ランガは思わず聞き返した。ジョーはそれなりに親しい仲ではあるが、進路の話には関係ないはずだ。
 それでもランガは黙って暦に続きをうながした。一方が話しているときは、もう一方はじっと耳を傾ける。言葉で約束したわけではなくてもあの喧嘩のあとはふたりともそうしていた。
「イタリアンシェフだろ」
「うん。おいしいよね」
「な。イタリアで修行したんだって」
「そうなんだ」
 知らなかった。あちこちで会うたび雑談しているからランガの知らないところでそんな話をしたのだろう。
「高校卒業したあとイタリア行ったんだって」
 初めて聞く話を他人事とは感じられず、ランガの目がわずかに見開く。
「で、ジョーとチェリーって幼馴染だろ」
「うん」
 それはランガも知っている。Sでつるんでいるメンバーにはもはや周知のことだ。
「ジョーが直前まで黙ってたせいですげえ喧嘩したんだって。詳しくは聞いてねえけど、なんかわかるよな」
「……うん」
 チェリーブロッサムとジョーがほとんどいつも、挨拶のように喧嘩しているのは、ふたりを知る者なら誰だって知っている。喧嘩していてもしょっちゅう一緒にいることも。だからランガも今の話だけで揉めている過去のふたりの姿はなんとなく想像できた。
「でも今も一緒にスケートしてるの、いいよなって」
 今度こそランガは暦の言わんとしていることを理解した。
 暦が彼らに見ている希望は、暦だけの希望ではないのだと。
 まだ迷子のような目をしているランガに暦はパッと笑顔を向ける。この南の島のあちこちに咲く赤い花のような笑顔。
「いいじゃねえか、アメリカ。カナダ近いぞ」
「カナダは近くても、暦は遠いよ」
「遊びに行くよ。お前だってこっち来るだろ?」
「……うん」
 言われるまでもない。アメリカの大きな大会に出るときに、暦が見ていてくれないと困る。とても、困る。ランガだって、まだまだ滑っていたい相手が鉱山にいる。
「俺が行くまでに、スケートできる場所見つけといてくれよ」
「……どこでも」
 ランガの声がわずかに上ずる。誘われているアメリカの風景はまだうまく想像できないのに、その土地で一緒にスケートをするランガと暦の姿は、見てきたみたいにはっきりと思い浮かべることができた。
「どこでも滑れるよ。暦がそう言ったんだ」

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