薫と実也
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薫がアイドルタイムの店に居座って遅いランチを食べていたら、カランとドアベルが鳴った。カウンターの向かい側にいた虎次郎と揃ってドアを見やる。一般客の来る時間ではない。
果たして、入ってきたのは一般客ではなかった。
「チェリー! ちょうどよかった」
そろりと猫のように店内を覗き込んだ実也が薫を見てパッと顔を輝かせる。この時間帯、たまに実也が虎次郎に会いに来ているのは薫も知っていた。だが。
「ちょうどいいって何だ」
「えっと、勉強を見てほしいんだ」
まったく想定外のことを言われ、薫は面食らった。
虎次郎は自分の出番はなしと判断して、実也にオレンジジュースを出してやると早々にディナーの仕込みをしに厨房へ戻っていった。夕陽の射すカウンター席に薫と実也が並んで座る。
「俺は教師じゃないぞ。書道なら師範の資格があるが」
「書道じゃないよ。でもこれ、学校の先生より絶対チェリーのほうが得意だと思うんだ」
実也はそう言って鞄からタブレットを取り出した。慣れた手つきで画面を何度かタップし、薫のほうへ向ける。
「ほら」
「……プログラミングか」
「そう。バグがあるんだけど、原因がどうしてもわからなくて。わかる?」
「わかった」
「早っ」
「だが俺が答えを言ったら意味がないだろう」
「どうやって見つけるの? なにかコツがあるとか?」
実也は前のめりになって訊いた。カーラという唯一無二の相棒を作り上げた薫なら、授業でプログラミングを習い始めた実也には思いもよらないような、すばらしいデバッグ方法を知っていると期待して。
薫はプッタネスカの最後のひとくちを飲み込んでから答えた。
「いや……ソースコードを見つめる」
「え?」
「この範囲でエラーが起きている、というのはわかるだろう。だからそこを、こう、じっと……見つめる。見つめているとそのうち原因がわかる」
「何それ!?」
「本当のことだ」
「えー……」
実也は不満げに唇を尖らせるが薫にはそうとしか言えない。この方法だって薫の独自のものではなく、薫が今の実也のようにプログラミングを始めたときに教わったものだ。
「ふふ、syntax errorなんて久しぶりに見たな」
「馬鹿にしてる?」
「まさか。全員通る道だ」
「チェリーも?」
「もちろん」
薫が鷹揚に頷く。そのさまを見てしまうともう否定もできなくて、実也はタブレットに視線を落とし、じっとソースコードを見つめ始めた。
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