大人のクリスマス

愛之介と薫と虎次郎と忠

 クリスマスにサンタクロースが現れてプレゼントをくれるなんて、魔法で空を飛ぶことと同じだ。
 愛之介はそれがおとぎ話であり、自分の身には起こり得ないことを物心つく前から知っていた。どうやら世の中には空を飛べる子供もいるらしいが、愛之介は違う。クリスマスなど、常から豪華な食事にケーキが増えるくらいだ。ほしいおもちゃをサンタクロースが枕元にそっと置く代わりに、神道家の子供が持つにふさわしい本や衣服を叔母たちがわざわざ手渡しで与えてくれる。愛之介少年のクリスマスとはそういう日であった。
 不服と感じることもない。愛之介は、空を飛べない世界に生まれたのだから。

 クリスマスにも仕事はある。午前中は議員事務所で執務、昼は先輩議員と時間をかけて会食。車は忠の運転で次の訪問先へと静かに向かっていた。
 窓の外を流れる景色に旧友の顔を思い出して、手元の資料から顔を上げる。すると幸か不幸かその旧友の姿が行く先に見えた。世間では有名な、けれど愛之介にとっては夜の姿のほうが馴染みがあるから、どこかおかしく感じてしまう出で立ち。
 もっともそれは向こうも同じように思っているだろうが。
「止めろ」
 短い命令に愛之介の犬は適切に応える。すっと自然に速度を落とした車は危なげなく路肩に停まり、すぐ戻ると伝えれば忠は「お前はここで待て」という意図を汲んで、後部座席のドアを開けるボタンを押した。車内で待たせたところでどうせミラー越しに注視されることはわかっている。

「やあ、ずいぶんと愉快な格好をしているね」
 そう声をかけると、小学生の子供たちを見送っていた着物の男は背筋を伸ばして振り返った。こんなところで出くわすことは初めてと言ってもいいのに、たいして驚くふうでもないのはあまり面白くない。
 薫は頭に真っ赤なサンタ帽を被った姿を旧友に見られたことを恥とはつゆほども思っていない様子で鷹揚に頷いた。
「クリスマスだからな。こんな日でも書道に励む良い子にはサンタクロースがいてやらないと」
「そんな帽子ひとつでサンタクロースになったつもりなのかい?」
「コンビニに行ったことがないのか? あちこちサンタだらけだぞ。……仕事の途中か?」
「もちろん」
「そうか。少し待て」
 薫はそう言い残すと愛之介の返事を待たずに書庵の中へ入っていった。少し、が具体的にどのくらいかを言わないのはビジネス関係なら不十分だなと考えているうち、薫はすぐに戻ってきた。
「クリスマスでも仕事に励む議員さまにもこれをやろう」
 片腕に大きなかごを下げている。ブラックウィローで編まれたそれは、たしかに和室にも馴染みそうな佇まいであった。少なくとも白い大きな袋よりは似合うだろう。着物にサンタ帽を被っている時点で馴染むもなにもあったものではなかったが。
 これ、とかごの中から渡されたのは、透明なビニールの小さな包みだ。華美ではないが細身の赤いリボンが結ばれている。中に入っている人型の焼菓子はジンジャーマンクッキーだろう。
「なんだい、これは」
「言っただろう。良い子への褒美だ」
 愛之介と薫は同い年であるし、互いに良い子でないことは嫌というほど知っているはずなのに、薫は平然と言い切った。
 それから少し離れたところで不自然な存在感を放っている黒い車をちらりと見ると、もうひとつ持っていけ、と同じものをまたかごから出して愛之介へ押しつける。手の中でふたりのジンジャーマンが無害な笑顔を愛之介に向けていた。
「お前も俺にくれたっていいんだぞ」
「あいにく、寄附は捕まってしまうからね」
「フン、つまらん。──なにか用だったか?」
「いや? 通りかかったらきみが珍しい格好をしていたものだから」
 その会話へ割り込むように、先生、と声がかかる。愛之介も先生と呼ばれる立場ではあるが知らない声で、呼ばれたほうを見れば書庵の玄関口から袴姿の若い男が顔を覗かせていた。彼の頭にはなにも乗っておらず、あちこちサンタだらけと言ったわりに、この建物にいるサンタクロースはひとりきりらしい。
 薫はあっさりそちらへ戻ろうとし、振り返った。
「愛之介」
 呼ぶ許可も与えてもいないのに、勝手に愛之介の名前を呼ぶ。思わず眉がぴくりと上がったのを薫は愉快そうに見ていた。
「メリークリスマス」
 そう言い残し、着物を着たサンタクロースは颯爽と書庵へ戻っていった。

「忠。まだ時間はあるな?」
「はい。予定より十五分ほど余裕があります」
「よし。寄り道だ」
「どちらへ」
「シアラルーチェ」

 時刻はちょうどランチ営業が終わるころだったらしい。木のドアの向こうから二人組の女性客が出てきたかと思えば、そのあとに背が高く厚みもある男が現れた。体格に恵まれすぎているせいで、頭のサンタ帽がややミニチュアじみている。
「やれやれ、きみもか」
「愛抱夢? なんだよ、ランチはもう終わりだぞ」
「カプチーノを持ち帰りでふたつ」
「ったく……うちはカフェじゃねえんだけどなぁ?」
 小言を言いつつも、虎次郎は店へ入るとコーヒーマシンを操作し始めた。ミルが豆を挽く音が客の引いた店内に響き渡る。挽き終わるまでのあいだに棚から手早くカップを取り出して抽出口へふたつ並べる背中を見ながら、テイクアウトの営業はしていないはずなのになぜペーパーカップの用意があるのかと、思ったが訊かないでおいた。わざわざ藪をつついて蛇を招く気はない。
 代わりに、手に持っていた包みを、赤いリボンを見せつけるように虎次郎へ向けた。
「これを見たことは?」
「? クッキーだろ?」
「そう。さっきチェリーがくれたよ。クリスマスだからって」
 からかうつもりで言ってやったが、虎次郎はぱちりと瞬きをして破顔した。
「ああ、あいつそういうの好きだよな。ハロウィンのときなんか血糊使ったら子供が泣いたって喜んでたぜ」
「それはまた、相変わらずいい性格をしてる」
「だろ?」
 コーヒーマシンの音が止まる。虎次郎はカプチーノで満たされたペーパーカップに、ぱち、とプラスチックの蓋をはめた。
「幾らだい?」
「いらねえよ、このくらい。その代わり次はディナーに来てバローロを開けてくれ」
「きみも大概いい性格だな」
 とん。カウンターに置かれたカップの底が軽快な音を立てる。
「ほらよ。メリークリスマス」

 車へ戻ると、愛之介が近づいた絶妙なタイミングで後部座席のドアが開いた。
「お帰りなさいませ」
「ああ。……ほら」
 手に入れたばかりのカプチーノと、さっき押しつけられたクッキーをセットにして運転席へ渡す。忠は目を白黒させるばかりなのでなかば強引に手の中へ押し込んだ。これではさきほどの薫と変わらない。
「これは……」
「メリークリスマス」
「私に……?」
「他に誰がいるんだ。早く飲め、冷める」
「ありがとうございます」
「チェリーとジョーからだ」
「私にくださったのは愛之介さまですから、これは愛之介さまからの贈り物です」
 屁理屈である。しかし朴念仁が横顔の頬をほんのり赤く染めているのが見て取れるので、彼はいたって真剣に、本心から言っているのだった。
 こんなもの、贈り物というほどのものではない。神道愛之介の贈るものがこんな安っぽくて、特別感もサプライズもないものだなんて許されない。
 忠はカプチーノをひとくち飲むとカップをドリンクホルダーに置き、静かに車を発進させた。窓の外に風景が次々と流れてゆく。今日はこれから二件のアポイントがあり、夜はまた別の会食の予定だ。神道の屋敷へ戻ったときに叔母たちがまだクリスマスを満喫していたら同席することになるだろう。
 さて。愛之介は思考をスケートのウィールのごとく回転させる。
 多忙を極める国会議員、今日も明日も仕事はあるが合間に百貨店へ寄ることくらいはできる。家柄も地位も名誉も資産もある人間のクリスマスプレゼントがいったいどういうものなのか、思い知らせてやらねばならない。ついでにさっき愛之介へ安っぽくて特別感のないプレゼントをくれたふたりのサンタクロースにも、相応のものを見繕ってやろうじゃないか。
 幼き日にサンタクロースが来たことのない人間でもサンタクロースになれるのだ。ペラペラのサンタ帽が百貨店で買えるかどうかは、わからないけれど。

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