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巻島と金城。RIDE190をうけて

「いま思えば、お前があそこでリタイアしてよかったヨ」
 巻島が金城を見ずにそう云った。金城は眼鏡の奥の視線を上げたが、巻島の顔は遠くへ向いたまま、放り投げるように続ける。
「あのまま走り続けたら、ロード乗れなくなってたっショ」
 ざあと一度風が吹いて、止んだ。
 あの日、あの後、金城はなにも云わなかったが、わからないはずがなかった。石道の蛇が限界をおして自転車を漕がなかったのは、それ以上漕ぎ続けられない理由があったからだ。そうでなければゴール直前のあんな情勢で彼が自転車を降りるはずがない。
 巻島は一度強く目を瞑り、金城を見た。黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見ていて、そのことにどうしようもなく絶望した。それから、一瞬でも絶望を感じたことに、愕然とした。
 夏のあの日の判断を、結末を、あれが正しかったと受け入れ、昇華している目。
 巻島の中には未だに燻っているものが、金城にとってはとうに去った過去の軌跡に過ぎないのだと、突きつけられた気分だった。そうしてその視線に後ろめたさを感じたことが、静かに巻島を責め立てる。
 巻島を見つめたまま、金城が口を開いた。聞きたくないと思っても、耳を塞ぐ勇気はない。
「あのまま走っても、俺は総北のジャージを一番にゴールへ届けることはできなかっただろう。それどころかお前たちがゴールするのを阻害してしまうかも知れなかった」
 淡々と告げられる言葉は事実だけを並べたもので、それは金城が誰よりもよく理解しているはずだった。巻島とて、ついさっき告げた通り、あれでよかったのだと思っている。けれど。
「お前たちが俺の、俺と田所の想いをゴールへ届けてくれると信じていた。そしてそれは叶った、だから、あれでよかったんだ」
 金城らしい、と巻島は細く吐息した。それでもすべてはやり過ごせなくて、奥歯を噛み締める。
 違う、そうじゃない。オレが云いたいのはそういうことじゃないんだ。
 決定的に食い違っていることを、巻島だけが知っている。
 あのゴールを、お前は知らない。あの場にいなかったから。目の届く場所に、呼吸を交わせる場所にいなかったから。
 二度と訪れないたった一度の、最後のインターハイ。いつだって思い出せるぎらついた太陽には、苦い思いがこびりついていた。
「巻島、大学でも自転車は続けるんだろう?」
 金城が先の話の続きのように訊いてきたが、巻島にはそれが断絶した話題に思えて反応が一拍遅れた。
「……ああ。お前も、当然だよな」
 答える代わりに金城は厚い唇で弧を描き、にやりと笑んだ。自転車絡みで機嫌のいい時、彼はいつもこうやって笑う。
 その表情が好きだった。共に走っていてこの笑みが見られた時は、ヒルクライムの勝利とは違う、チームメイトからの勲章を送られた気分になるのだった。癪なことに、今だって。
「ロードに乗って、走ってさえいれば、いつだって会える。お前たちとまた走れるのを楽しみにしているんだから、鈍るなよ」
「……クハ、違いない」
 例えそれが過ぎた夏ではなくても、あの箱根の山ではなくても。道はあそこから続いているし、どこへだって続いてゆく。
「ああ、でも」
 轟と鳴る春の嵐の中、巻島の声がわずかに掠れた。
「口惜しかったナァ」

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