「お前の外見は常に同じ状態を保持しているように見えるんだが」
その日、《佐伯》の眼鏡が今までに見たことのないものだったのでその話を振ると、彼は短い返答のあとにそう続けた。
「あ……うん」
オレは《佐伯》のように身につけるものを毎日変えるなんてことはしていない。強いていうならハンカチくらいだ。
なので素直にそう返すと、途端に《佐伯》は眉根に皺を寄せた。
「お前はそれでいいのか? 毎日同じことをしてなんの変化もなく、そうしていつか死んでゆくことに疑問を持たないのか。繰り返すだけの日常に刺激が欲しいと渇望することは?」
語気は荒く、まるで尋問するような口振りだった。オレは圧倒されてしまって巧く反応できない。その態度を無言の肯定だと解釈したらしい《佐伯》が盛大に舌打ちをして、ようやくオレの脳は活動を再開した。
「ええと、でもオレは今の生活を気に入ってるよ。毎日学校に来ることも、まあ授業はあんまり楽しくないけどさ、クラスメイトともちょっとずつ仲良くなれてるし、お前とこうやって話すのも楽しいし。ずっとこうやって過ごせたらいいなって思うよ」
というか、眼鏡からどうしてこんな話になるんだ?
しかし。
「うるさい」
オレの言葉は受け入れられることのないまま宙に消えた。会話の出口がそんなふうになってしまうことにも慣れてきている自分が悲しい。
でもオレは、自分の考えが間違っているとは思わない。平凡な日常の中で見つけるささやかな喜び、それが今のオレにとって一番大切なことだ。《佐伯》には悪いけど、そういうものを嬉しいと感じることを、忘れちゃいけないと思う。
普通だろ?
いったいなにがきっかけだったんだろうな。
前述の会話がネタフリだったのかもしれない。
それは突然やって来た。
うららかな日差しに眠気を誘われながらもなんとかその日の授業を乗り切ったオレは、そのまま自宅へ帰るつもりで席を立った。バレー部の活動へ向かう本多に一言声をかけてから帰ろうと、一歩を踏み出したその時。
「ぐえ!」
変な声が出た。でもこれはオレのせいじゃない。反射的に瞑った目を、涙目になりつつ開いて状況を把握する。
オレの臙脂色のネクタイが、オレの首を絞めている。
もちろんオレがやったわけじゃない。オレにはそんな自殺願望なんてない。すなわちそんな悪魔の所業をはたらいた奴がいるわけで、ネクタイを掴んでいる手からその人物へと視線を動かす。
「なにす……!」
自己の保身のため、という正当な理由で異議申し立てをしようとしたオレのせりふは、その顔を見た瞬間に途切れてしまった。
そこにいたのは、楽しげな笑顔を満面に浮かべた《佐伯克哉》だった。
一ヶ月も同じクラスで、前後の席に座っていたのに、そういえばこいつのこんな笑顔は初めて見るなあと首を絞められたまま思う。お世辞にも人がよさそうには見えない、とびきりのいたずらを思いついた子供のような顔。眼鏡の奥の青い眸がぎらぎらとオレを見ている。
「気がついた」
《佐伯》はその表情に相応しい、高揚した声でそう云った。
「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだ?」
「な……に、が、」
そろそろ本当に呼吸が苦しい。《佐伯》の腕を掴んでそれを無言で訴えると、彼は少しだけ力を緩めた。けれどネクタイはまだ離してくれない。
「クラブだよ。俺がおもしろいと思うクラブがこの学校にはない。だったらどうする? 簡単だ、作ればいい」
宣言するようにそう云って《佐伯》はようやく手を離し、かと思ったら大股でさっさと教室を出ていった。唖然としたままそれを見送る。ふと周囲に目を向けると、教室に残っていたクラスメイト全員が窺うような顔をオレに向けていた。本多も御堂さんも例外ではない。
なんだか気まずくて、オレも鞄を掴んで早々に教室を出た。足早に廊下を進みながら《佐伯》の言葉を思い出す。
新しいクラブを作る?
まさか、オレにも一枚噛めとか云うんじゃないだろうな。
痛む喉元がよからぬ予感を告げていた。
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