小学校でも中学校でもそうだけれど、高校の入学式というのは人生に一度きりしかない。当然自分が経験した入学式しか知り得ないはずなのに、どうしてこれがお約束、テンプレートで鉄板で今日この時にあらゆる高校で同じような式が執り行われているのだと妙な確信をもつのだろう。挨拶がつまらなくなければ校長という地位には就けないという制約でもあるのだろうか。
オレはそんなつまらない入学式を、懸命にあくびを堪えながら乗り切った。幸い中学の時に仲のよかった本多が同じクラスだと判っていたので、新しい環境につきものの、先行きの見えない漠然とした不安に取り憑かれることもなかった。
教室に移動して壇上にあがった担任は爽やかな笑顔で自分がバレーボール部の顧問であることを告げ、勧誘の言葉を添えた。クラスメイトたちが興味なさそうに聞き流している中で、本多が振り返ってこちらへ目配せしてくる。声に出して咎めるわけにもいかなくて、オレはそれに曖昧な表情を返した。
そんなふうに、オレの高校生活の船出は順風満帆――の、はずだったんだ。
その航海は直後の自己紹介で嵐に襲われたわけだけど。
一瞬にしてクラス全員のハートをいろんな意味でキャッチした佐伯克哉(オレじゃない方)だけど、翌日以降しばらくは割とおとなしく一見無害な男子高校生を演じていた。
嵐の前の静けさ、という言葉の意味が今のオレにはよくわかる。いや、嵐がそこにあることは自己紹介でわかっていたのだ。でも、自分がその渦中の存在になるなんて思っていなかった。思いたくなかったんだ。
しかし結果として、オレは嵐のまっただ中の人になってしまうのである。しかもあろうことかその原因はオレ自身。
でも、まさか話しかけただけでそんなことになるなんて思わないだろ? 少なくともその時のオレは自分の身に災難が降りかかることなんて予想していなかった。ただ同姓同名のクラスメイトという珍しい存在と仲良くなりたいと思った、それは自然な動機だとオレは主張する。
「なあ」
と、オレはさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて云った。
「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」
腕組みをして口をへの字に結んでいた佐伯克哉(オレじゃない方)はそのままの姿勢でまともにオレの目を凝視した。
「自己紹介のアレって何だ」
「いや、だから……ど、どえむがどうとか……」
くそう、なんでこんな単語を朝のホームルーム前の爽やかの空気の中で口にしなきゃならないんだ。佐伯克哉(オレじゃ以下略)のせいだ。大体お前の自己紹介はあのせりふしかなかったんだからそれしかないだろう!
「お前、ドMなのか」
「……は?」
「それとも淫乱か? もしくはその両方か」
「ち……違うよ!」
まさかの切り返しを大まじめな顔でされて、慌てて否定した。ぶんぶんと音がしそうなくらい必死で首を横に振る。どうしてそうなるんだ!
思わず狼狽えてしまったオレの顔を、《佐伯》は穴が開くんじゃないかと思うほど凝視してくる。うう、穴があったら入りたい。けどここに穴はないし、オレ自身に穴が開いたとしてもオレは入れない。
そんな莫迦なことを考えていたら、《佐伯》はわざとらしく溜息をついて眼鏡の奥からオレを睨んだ。じろじろと品定めするような視線に晒されて、加速度的に居心地が悪くなっていく。
「違うのか」
「あっ、当たり前だろ」
「ふうん? ……だったら話しかけるな。時間の無駄だ」
思わず「すみません」と謝ってしまいそうになるくらい冷徹な口調と視線だった。そのまま《佐伯》はその視線をフンとばかりに逸らすと、黒板の辺りを睨みつけ始めた。
それはあまりにぞんざいな態度で、オレは何かまずいことを云ってしまっただろうかと直前の発言を反芻する。けれど短いやり取りの中に原因を見つけることはできなくて、そうしているうちに担任が入ってきたので意識はそちらへと向かい、そのまま《佐伯》との会話は識域下へと沈んでいった。
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