AM
ヴァンパイアの唾液は痛みを快楽に変えるのだと、昔誰かが云っていた。『誰か』のことは、顔も声も思い出せないけれど。
「やだ、って、なんで……っこんな、」
逃げるように身体を捩ったジャンカルロを、ルキーノは背後から回した腕一本で拘束した。もう片方の手は首筋に這わせ、自分がつけたばかりの傷口をなぞっている。ジャンカルロは前のめりになりながら頭を振った。
「気持ちよくないかい?」
力をなくして投げ出されていた脚の間で、長い指をジャンカルロのペニスに絡めていたベルナルドが、首を傾げてジャンカルロを見た。この状況には不釣り合いな、凪いだ眸に見つめられて、ジャンカルロは言葉を飲み込む。
気持ちよくないはずがない。そういうふうにできているのだから、快楽を感じて当然だ。
しかしジャンカルロはそれを巧く受け入れられないとでもいうように、半ば呆然としながら赤子のような抵抗を続けていた。
「もう、血ィ、吸い終わったんなら……離せよっ」
ルキーノひとりの相手をするだけぎりぎりだったのに、自分を餌にする男がもうひとり増えて、『食事』のあと、ジャンカルロはぼうっとしていることが多くなった。慢性的な貧血は動きを鈍くし、力を奪い、身体を重くする。しばらくすれば回復するのでそれまでは横になっているのだが、今日はそれが赦されなかった。
重い身体をルキーノがベッドの上に引きずり上げ、ベルナルドが脚に手をかけた。食事が済んだばかりのヴァンパイア相手に、搾取されたばかりでぼんやりとしていたジャンカルロが適うはずもない。
「駄目だ。俺たちがお前から奪ってばっかりじゃあ申し訳が立たんからな、たまにはお前も楽しめ」
「んなの、要らね、って……んっ」
「本当に?」
ふたりが交互に囁いて、ジャンカルロの聴覚から毒を注ぎ込む。ヴァンパイアの唾液には快楽を感じさせる機能があって、吸血時にそれが作用するのだと聞いたことがあるが、そんなものよりもこの声の方がずっとたちが悪いとジャンカルロは思った。
四つのてのひらが、ジャンカルロの肌のあちこちを這い回って責め立てる。本当はこのてのひらにも毒が塗ってあるんじゃないのかと思ったが、声に出して抗議する余裕はなかった。
「ベ……ベルナルド!」
「うん?」
指でなぞっていたものを口に含むと、ジャンカルロが慌てたように名前を呼んだ。そうかこうすればジャンカルロに呼んでもらえるのかと思いながら、ベルナルドは咥え込んだまま視線を上げる。
「なにやって……うあ、やめろ、って、ん、あ……っルキーノ、も!」
「だらだら零してるくせによく云うぜ」
爪の先でぴんと乳首を弾いてやると、ジャンカルロがあ、とまた声をあげる。その反応にルキーノが笑ったのがわかって、ジャンカルロは背後を睨みつけた。ルキーノは、逆効果だと教える代わりに赤く染まった目元を舐め上げる。
「っくそ、お前らだって……」
似たようなもんだろ、という投げやりな言葉に、ベルナルドは唇で先端に触れたまま、静かに微笑んだ。
「昔は今のお前みたいに、気持ちいいことが好きだったはずなんだけどね。本当に残念だよ」
「なに……」
ルキーノが、ベルナルドの言葉を引き継いだ。
「俺たちにはもう繁殖機能はないんだ。同胞の増やし方が、人間とは違うからな」
なんでもないことのようにさらりと告げられた言葉を、すぐには理解できなかった。
こんな時にそんなことを云わないで欲しい、とジャンカルロは思った。人間じゃない、なんて。俺たちとお前は違うのだと、お前はひとりなのだと云われたような気分だった。
この世界には、ヴァンパイアよりも人間の方がずっと多くいるはずなのに。
ずっとひとりで生きてきた。孤独でいることは平気だった。でも、そばに誰かがいるのに、自分だけが孤独なのは、耐えられない。
ジャンカルロは返す言葉を見つけられないまま、肩で息をする。今まで自分に触れていたてのひらが本当はとても冷たかったんじゃないかと考えると急に不安になった。
「そんな顔をしなくてもいいよ。俺たちがこんなふうなのはお前のせいじゃないし、こうやってお前を愛してやることはできるしね」
「あ……あい、とか、云うなっ」
「どうしてだ? 愛してるぜ、ジャン」
また毒だ。こいつらは、俺を中毒にするつもりなんだ。
それは仄暗い悦びとなって身体の奥を疼かせた。どんな愛撫よりもジャンカルロを刺激して、快楽を呼んだ。ぐったりと弛緩して身体をふたりに預けるばかりの自分を、どこかにいるもうひとりの自分が流されるなと叱っているような気がしたが、その声には応えられそうになかった。
だって、こんなにもきもちがいいんだ。
ベルナルドが舌先を尖らせるようにして先端の穴をつつくと、ジャンカルロはぶるりと身体を震わせてシーツを蹴った。
「ひあ……や、やだ、それ、もう……あ、ああ、っあ」
びくびくと跳ねる身体をルキーノがあやすように撫でる。汗のにおいが強かった。
ジャンカルロの精液がベルナルドの頬と髪を汚した。絶望したような顔をしているジャンカルロを見上げ、ベルナルドは目を細める。頬を拭った指を見せつけるように舐めてみれば、ジャンカルロは泣きそうに目尻を震わせた。
「可愛い。ジャン」
「るせ、莫迦……んとに、もう……っ」
喉をひゅうひゅうと鳴らして酸素を取り込むジャンカルロの顎の裏を、ルキーノがその指に似合わない繊細な動きでくすぐる。
キス、と吐息の声で云うと、すぐにルキーノの唇が降ってきた。それが離れると、まだ精液を拭いきれていないベルナルドの顔が近づく。呼吸を閉じ込められて今度こそ意識が薄くなるのを感じながら、このまま息ができなくなればいい、と思った。
階段を昇りきり、地下室へ続くドアを閉める。厚く重いそれに遮られ、地下の気配は感じられなくなった。この先になにがあるのか、なんて、誰も気づかないだろう。壁の向こうにもう一室、書斎でもあるようにしか見えない。人間を喰いちぎる魔物がいることを、誰も、知らない。
――夜なんて、来なければいいのに。
ジャンカルロは深く穿たれた己の首筋にそっと手を這わせ、そのままずるずると座り込んだ。背をドアに預けて俯く。ドアの冷たさがひんやりとシャツ越しに伝わって、肩を震わせた。
夜なんて来なければいいのに。そうしたら、あのふたりはここから出られずに、俺が死ぬまで俺を欲しがって俺を吸いつくして、俺が死んだら餓えて同じ場所でじきに息絶えるのに。
それはひどく幸福な夢だった。窓の向こう、朝陽が昇ってくるのを感じながら、ジャンカルロはしばらく夢を見続けていた。
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