occhiali

Buon Compleanno, Luchino! 公式がすばらしすぎたので補完、しかしえろはない

 着替えているところを眺めるのはあとでもできるからバスルームで着替えてから出てきてくれ、という本日主賓のたっての要望により(あとでって何だ、とは訊けなかった。俺は墓掘り野郎じゃない)、俺は誰の目もない場所で一人黙々と自分の意志で手を動かす羽目になっていた。ルキーノの私物を仕立て直させた、ということは十年ほど昔のものだろうか。その年月を感じさせないほどに制服は清潔で、生地の肌触りも好い。制服をまとったハイスクール時代のルキーノを想像しようとして、服はともかく本人は今の伊達男っぷりしか思い浮かばなくて失敗した。28でハイスクールのコスプレはきついぜ、ルキーノ。ところで俺ももうすぐ26なんだけど、それについてはどうお考えで?
 今の季節、外では絶対に着たくない厚手のジャケットを羽織って全身を鏡へ映してみる。……よくわかんねえ。似合うとか似合わないとかじゃなくて、壮絶な違和感。
 ネクタイの位置を調整しながら、ひとつの事実に今更気づいてしまってちょっと傷ついた。
「仕立て直させた、って……今の俺よりでかかったってことかよ……」

 経験上このあとの展開は大方予測できるのに、おとなしく云うことをきいてライオンの前にのこのこ姿を現すってのはもう、マゾとしか云いようがないんじゃないかね。自分の人のよさに呆れながら、それでもおっかなびっくりバスルームの扉を開く。完全防音の部屋に響いたドアノブの小さな音を拾ったルキーノが、ベッドに腰掛けたままこっちを見た。ひとが覚悟を決めてこんな服を着たっていうのに、そっちは高級煙草を燻らせているなんて優雅なことですね。まったく、厭味を云う気も失せるくらいにいい男だ。
 そのルキーノは、扉の隙間から顔を覗かせて滑るように部屋へ戻った俺を見ると、それまでの気だるげな様子から一転してすっくと立ち上がった。そして。
 そのまま一直線に部屋を出て行った。

 時刻はもう深夜である。本日最終の定時連絡もすべて完了し、昼間は真夏の蝉のように鳴り響いているベルの音も今はない。鳴るとしたら緊急の連絡くらいだ。
 電線で編まれた玉座の中央、主であるところのベルナルドが電話の相手を終え、夕方届けられた帳簿と睨み合っていたところへ真顔の闖入者が訪れた。
「ルキーノ? どうしたんだ、こんな時間に」
 普段の飄々とした伊達男ぶりとは違う堅い表情に、ベルナルドの眉が顰められる。よろしくない知らせか。
 ルキーノは仮面のようにその表情を貼りつけたまま、ずかずかと大股でベルナルドの正面まで歩く。憂うように見上げてくる碧色の眸を受け止めると、低く呟いた。
「悪い。ベルナルド」
「だから、一体なにが、」
「これ貸してくれ」
 瞬間、ベルナルドの視界が翳り、そして曇った。
「なっ……おい、ルキーノ!?」
 入ってきた時と同じように足早に、振り返りもせずにルキーノは出て行った。右手にベルナルドの私物を握って。

 唐突に一人残された俺は、動物園に押し込められた珍獣よろしく、ベッドに座ったりカウチに座ったり窓際に寄ってみたりガラスに映った自分の姿に萎えてみたり、うろうろと落ち着きなく動いていた。
 何度目かの起立・着席をベッドで繰り返していたら、ルキーノが戻ってきた。慌てて立ち上がった俺をルキーノがまたベッドへ座らせる。
「なん、なんだよ……」
「いいものを持ってきたんだ」
 云うなりルキーノは無造作に俺の顔へ手を伸ばす。うわ、なんだよ。びっくりすんだろ。
 反射で閉じた目を開けると今度はくらりと眩暈がして、結局また目を閉じた。
「ルキーノ、これ、なん……」
「ああ、やっぱり似合うな。セクシーだぜ、ジャン?」
 ひどくご満悦なルキーノの声を聞きながら、俺は自分の顔に手をやる。硬いものが当たってようやく状況を理解した。
 耳にかけられていたそれを外す。見飽きるほどに見覚えのある、黒縁のそれは――
「眼鏡?」
「おう。ベルナルドの、ってのがマイナスポイントだがな」
 今のお前の恰好と差し引きすればお釣りがくらあ、と嘯く。鼻歌でも歌いだしそうに満足気なルキーノは俺の手から眼鏡を取り上げると、また俺の顔に乗せた。ゆっくり目を開ければさっきみたいな眩暈は襲ってこなかった。ベルナルド、そこまで視力悪いわけじゃねえんだな。
 ――なんて感心してる場合じゃなかった。目の前にいるのはライオンだ。猛獣だ。対する俺は猛獣好みにドレスアップさせられた、皿の上のなんとやら。
「さて――待たせたな、ジャン?」
 それは、たしかに誕生日を祝福された者の笑顔だった。

 翌朝。
 ベルナルド・オルトラーニは、普段着用しているものとは違う、細い銀縁の眼鏡をかけていた。
「その――すまん、詳細は省くが、事情があってあの眼鏡は、返せる状態じゃないんだ」
「そうか」
「悪い、同じものを作らせて返すから、少しだけ待ってくれないか」
「構わないさ。ご覧の通り、替えの眼鏡もあるしね。ところでルキーノ、先週分の経費は今日領収書を提出して欲しいんだが、あるかな?」
 電話に囲まれたベルナルドはにこにこと訊ねた。単に笑顔というよりは、機嫌のよさが滲み出ている。
 相対するルキーノも笑みを浮かべていたが、口元がひきつっているのは隠しようがなかった。
「いや、そいつは――今週はない。処理を進めてもらって構わない」
「そうかい? そいつはありがたい」
 机上の電話が鳴って、ベルナルドを呼ぶ。それに応えながら片手を追い払うように振ると、ルキーノは赤毛をくしゃりと掻き混ぜてから出て行った。

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