Bloody Someday

ジャンとベルナルドとルキーノ。ジャンが生理です注意

 水底から水面へ浮上するように、ゆっくりと目覚めながら感じたのは、なんかダルい、ということだった。風邪をひいた時のだるさとは違う、熱も頭痛もないけれどとにかくどうにも動きたくない、このままベッドと同化してしまいたいと思うような、厄介なだるさだった。
 けれどこのまま寝ているわけにはいかない。現在CR:5幹部第五位のジャンカルロは、ゆくゆくカポとなるため絶賛修行中の身である。目に見えて具合が悪いならまだしも、なんとなくだるいから、などという理由で休むことなど許されない。勢いをつけて跳ねるように起き上がると、下着だけを身につけていた身体の上を、上質なシーツが滑った。
 ふわあ、と大きく欠伸をしながら、まだだるいと訴える身体を宥めようとした。そんなんじゃピッカピカでタフなカポになんかなれねーぞ。そうして涙目のまま視界に入ったベッドの有様にぎょっとする。先の欠伸はどこへやら、眠気もだるさも吹き飛んだ。代わりに心臓が早鐘のようにどくどくと脈打っている。
 ついさっきまでジャンカルロが眠っていたベッドの一部が、真っ赤に染められていた。
「…………は……?」
 これ、――何だ?
 ケチャップかペンキか、などという逃避もできなかった。嗅覚へ意識を集中させてみれば、鉄錆のにおいが鼻をつく。白いシーツを赤く染めているのは紛れもなく、血だ。
「な――何、だ……!?」
 反射的に部屋を見渡しても、生き物の存在はどこにもなかった。死骸の類も見あたらない。当然のことだった。このCR:5本部は物理的に厳重なセキュリティを施し、更に大勢の兵隊が守ることでそれをより強固なものにしている。彼らがいる限り、鼠一匹でも建物の中へ入ることはできないはずだ。
 しかしそれならば、この、血、は。
 そこでようやくジャンカルロは、この部屋の中でたった一人、血を流すことのできる存在に気がついた。
「まさか……、俺?」
 なんつって、そんなわけねえだろどこも痛くねえし、と虚空へエクスキューズを飛ばしながら恐る恐る己の身体を確かめる。
 太股がべったりと赤に汚れているのを視認して、今度こそジャンカルロは言葉を失った。

 何だこれは、どうする、どうすればいい、と、たっぷり三分ほど考えた挙げ句にジャンカルロが選んだのは、シャワーを浴びることだった。部屋に備え付けられたバスルームで、熱い湯を強めに出す。太股へ浴びせて少し擦れば、湯が赤くなる代わりにジャンカルロの白い肌が覗いた。
「傷とか……ねえよな……」
 見える範囲にも、直接は見えないので鏡に映した部分にも、こんなに大量に出血するような傷は見あたらなかった。しかし事実、そこに血があったのだ。何もないところから血が湧くなどということはありえないから、やはりこれは自分が流したものだと考えるのが妥当だろう。
 ぐるぐると考えを巡らせているうちに、やがて病気でも怪我でもなく、出血する現象があることに思い至る。
「いや、でも……それこそありえないだろ……?」
 それを認めるよりも、寝ている間に誰かが、イヴァンあたりが何かの動物の死骸でも持って忍び込んできて、ジャンカルロのベッドに血の海を作って出て行った可能性の方が遥かに高い、と思った。そうだ、きっとそうだ。シーツの血は誰かのバカな悪戯で、さっきまで太股に付着していたのは乾いたケチャップか何かだったのだ。そうに違いない。
「だってなあ……セーリ、って、そんな、」
 思い浮かんだそのありえない可能性を否定するためにそこへ手を伸ばす。何が起きるわけもない、ただの男の身体のはずだ。
 そうっと触れた指先に、存在しないはずの窄まりと、滑った何かの感触。
 触れたのとは反対の手に持っていたシャワーヘッドがごとりと床に落ちる。湯気と水滴で曇った視界の中に見えた自分の指先は赤かった。

 ありえねえ、ありえねえ、ありえねえ!
 混乱しきった頭の上から思い切りシャワーを浴びて、ジャンカルロはバスルームを出た。何をどう身につけたものかと迷ったが、元々選択肢は限られていて、結局バスローブだけを羽織る。
 既に現状はジャンカルロにとってキャパシティオーバであったので、誰かに助けを求めることにした。こんな状況をどうにかしてくれる人がいるのかどうか甚だ疑問だったが、一人で解決できない以上、一緒に悩んでくれる人がいた方がいくらか気分は楽になるはずだ。
 誰を呼べばいい? オンナの身体に詳しい奴、か?
 その条件で、年下の幹部二人は除外される。筆頭幹部殿もいい女とステディな関係にあったらしいが、それよりももっと適任なライオンがCR:5にはいる。
 よし、と覚悟を決めて、ジャンカルロは自室のドアを頭が通る分だけ開き、廊下を覗いた。すぐ傍に立っていた警護の兵隊がそれに気づいて挨拶を寄越す。
「お早うございます、ドン・デル・モンテ。……いかがなさいましたか?」
 顔だけ出したまま部屋から出てこないジャンカルロにそう訊ねる彼の疑問は当然だ。だが事実を教えるわけにはいかない。
 ジャンカルロはできるだけ平静を装って応えた。
「おはようさん。や、大したことじゃないんだけどネ。……ルキーノって、今、来てるか?」
「ドン・グレゴレッティは七時頃にドン・オルトラーニを訪ねてこちらへおいででしたが、すぐに出かけて行ったので、今は本部内にはいらっしゃらないかと」
「そっかあ……」
 市場が活気づくこの時間にルキーノが室内でぼんやりしていることなどないとわかっていても、一番頼れそうな男がいないことに落胆してしまう。
「ベルナルドは?」
「いつも通り、執務室にいらっしゃいます」
「じゃあ、伝えてくれ。急ぎじゃないから……いや、急ぎといえば急ぎなんだけど、そっちの仕事が一段落したらでいいから、俺の部屋に来て欲しいって」
「畏まりました」
 優秀な兵隊は一礼すると、伝書鳩の役目を果たすべくベルナルドの執務室へと向かった。その背中を見送って、ジャンカルロはドアを閉めた。途端に静寂が訪れる。
「だって、こんな……どうしろってんだよ、なあ?」
 相談されるベルナルドの身にもなってみろ、困るだけだぜ? 少なくとも俺がこんなことを相談されても、有益なアドバイスはひとつもしてやれないね。
 目覚めた時のだるさがまた襲ってきたような気がする。その原因が一体何なのか、なんて、もう考えたくもない。いま着ている白いバスローブが赤くなってしまうことも、それが座ったソファにも影響してしまうことも、考えたくなかった。

 ジャンカルロが予想したよりも早く、ベルナルドがドアをノックした。
「ジャン? 俺だよ。呼んでるって聞いたんだが、どうかしたのか?」
「待ってたわ、ダーリン。鍵は開いていてよ」
 返事をするとすぐにベルナルドが部屋へ入ってくる。起きてから混乱していただけのジャンカルロとは違い、数時間書類と電話連絡を捌いていたベルナルドは、すっかり仕事モードに見えた。
「なんだい、こんな時間にそんな格好で呼び出すなんて、何のお誘いだ?」
「そうだったらよかったんだけどね……」
 ソファに背を預けたまま動かない、いつになく覇気のない返答に、眼鏡の奥の眸が難色を示す。と、そこでベルナルドがベッドの異変に気づいた。
「ジャン、お前、怪我してるのか!? 早く医者を」
「ああ、いや、違う、違うんだ」
「何が違うって云うんだ、あれは血だろう!?」
「そうだけど、ああもう落ち着けって! 肩、痛い」
 語気を強めると、ベルナルドははっとしたように、揺さぶっていたジャンカルロの肩から手を離した。混乱してる奴がいると反動で冷静になるんだな、と、意識の隅っこで呑気に考えてみたりもする。
「あ……ああ、すまない、ジャン。しかしあれは……」
 納得いかないと書いた紙を顔に貼りつけて、ベルナルドはジャンカルロを見据える。そんな顔で問い詰められても、どう説明したものか。
「落ち着いて聞いて欲しいんだけど、ベルナルド……女ってさ、月に一回、貧血気味だったり妙に機嫌悪かったりするよな?」
 フリーズ。
 情報処理に異常をきたしたベルナルドが、そのまま固まる。俺だって固まってしまいたい、とジャンカルロは溜息をついた。

「つまり……今、お前は世のご婦人方のように月のものに見舞われてるって云いたいのか? 男のお前が?」
「これが本当にアレなのかは知らねえけどな。他にないんだよ、原因が」
 これだって十分ありえないけど、と嘯くジャンカルロを、ベルナルドは射止めるように注視している。
「症状は?」
「アソコからの出血と、あと無性にだりぃ……、っ!?」
 突然、ジャンカルロが跳ねるように身体をまるめた。下腹部を押さえて前のめりになり、そのままぱたりと横に倒れる。革張りのソファの上、無造作に金髪が流線を描く。ベルナルドが慌てて駆け寄って、血の気の引いた頬に触れた。
「ジャン!? なんだ、どうし――」
「わ、っかんねえ……何だ、これ、急に腹が……なんか刺さったみてえに痛え……」
 額にうっすらと汗を滲ませて、ジャンカルロが呻くように訴える。こんなに苦しげなジャンカルロを見たことがあっただろうかと記憶を反芻しながら、ベルナルドは云った。
「俺にも、今のお前は生理中のレディにしか見えないよ」
「うわー……嬉しくねえ……」
 そう吐き捨てたジャンカルロの頭を一度撫でて、ベルナルドはドアを少しだけ開け、廊下にいた兵隊を呼びとめた。自分の執務室にいる部下に、グレゴレッティから連絡が入ったら呼ぶよう伝えてくれとだけ命じてジャンカルロの元へ戻る。
 今お前とセックスしたらお前は俺の子を孕むのか、とは云わないでおいた。
「……つらいかい?」
「なんかもうよくわかんねえよ……血は出るわ腹は痛いわ、俺が何したって云うんだ?」
「ああ、そうか、血……今も出てるのか?」
「たぶん。わっかんね、確認したくない……」
「でもそのままじゃいられないだろう? 俺が見るよ」
 うん、と小さく了承され、ベルナルドはローブの裾を捲った。白い太股が眩しいなどと呆けたことを思ったのは一瞬で、目の端に映った赤の鮮やかさに眉を顰める。
「……ベルナルド?」
「あ……ああ、大丈夫、たいしたことないよ。ちょっと待ってろ、タオルを濡らしてくる」
 そう話すベルナルドは早口で、現状を言葉通りに受け取る気にはなれなかったが、ジャンカルロはまた、うん、とだけ頷いた。
 ベルナルドが、利害の絡まない場面では嘘を吐けない人間であることを、ジャンカルロはずっと前から知っていた。
「他に必要なことは? 何か欲しいものはあるかい?」
「セーリじゃない身体」
「……それ以外で頼むよ」
 はは、と乾いた笑いを返して、ジャンカルロはまた黙る。それが耐えられないらしく、隙間を埋めるようにベルナルドは話し続けた。
「俺はわりと人生経験豊富な方だと思ってたんだが、まだまだだな。お前が生理になったってだけで、どうしていいかわからない」
「安心しろ、それが普通だよ。俺だってわかんねえし」
 あー、とかうー、とか時々声を漏らしながら、ジャンカルロは軽く笑う。
 さっきジャンカルロの太股を拭ったタオルは、水ではなく湯で濡らしてあった。そうしてくれたベルナルドの気遣いを思うと少しだけ楽になれたのだ。まだ腹痛は続いていたが。
 二言三言交わしては沈黙し、という挙動を繰り返していたら、不意にノックの音が響いた。
「失礼します。コマンダンテ、ドン・グレゴレッティからお電話です」
「今行く。――すまないジャン、少しだけ離れるよ」
「ああ。ついでに、せーりつーを抑える方法がないか訊いておいてくれ」
「ヴァ・ベーネ」
 ベルナルドが出て行った部屋はやけに広く感じて、ジャンカルロはまたぎゅっと背中をまるめた。

 ベルナルドはすぐに戻ってきて、また適当な話題を提供しては会話の継続に失敗するという作業を続けた。その間中、ジャンカルロの髪や背を撫でてみては反応を探っているので、ジャンカルロはそれがおかしかった。
「あー、俺いま、すごく妊婦の気分……」
「何だいそれは?」
 その時、こんこん、と軽快なノックの後、聞き慣れた声がドア越しに届いた。
「ベルナルド? こっちにいるのか?」
「ああ。入ってくれ」
 その言葉を受けて遠慮なく足を踏み入れてきたルキーノは、紙袋を抱えている。
「ったく、何なんだ? 最高級の生理用品を買い占めてこいって、お前のファミーリアに初潮でも来たか?」
「俺たちの、だよ。ルキーノ」
 ベルナルドが苦笑いを貼りつけて、渇いた声で告げる。ルキーノはベルナルドの顔を見、ソファで丸くなったままのジャンカルロを見、一瞬で現状を把握した。
「……ジャンが生理?」
「信じられないが、そうとしか考えられない」
 ベルナルドが真顔でそう返す。マフィアの幹部の会話じゃねえな、とジャンカルロが小さくつっこんだ。
「それはまた……災難だなあ、ラッキードッグ?」
「発言の前半と後半が矛盾しているのは気のせいかしらン……」
「安心しろ、必要なものは一通り揃えてきた。どうせそのザマじゃ下着もつけちゃいないんだろ。ああ、そんな体勢で寝てるんじゃナプキン使っても零れちまうな。俺がタンポン入れてやろうか?」
「い……いらない、怖い! つかアンタ、なんでそんな順応してんだよ!」
「なんでって、起きちまったもんは認めるしかないだろ」
「しかもなんでそんな笑顔なんだ! こっちは腹が痛くて痛くて死にそうだってのに……」
「ああ、そうやって腹が痛いって喚いてると、本当にただの生理中のシニョーラだな」
 ほら、とルキーノはいつの間にやら買ってきた女性用ショーツにナプキンをつけ、ジャンカルロへ手渡した。隣にいたベルナルドも、その手際のよさに唖然としている。
 ジャンカルロは不満ですというオーラを全身から放ちながらそれを受け取り、壊れ物のように触りながらおっかなびっくり身につけた。
「うわあ、気持ちわりい……」
「心中は察するが我慢してもらうしかないな。実際のところジャンの身体がどうなっているのかわからないが、明日寝て起きたら戻ってることを祈るしかない」
「だよなあ……こんなもん、医者が治せるとも思えないし」
 シーツを代えさせようと云ってベルナルドが立ち上がった時、自らが購入してきた大量の生理用品を眺めていたルキーノが口を開いた。
「ん? 生理があるってことは、孕めるってことか?」
「……は?」
 馴染みのない下着の違和感に腰のあたりをさすっていたジャンカルロが、ルキーノの顔を見る。
 ルキーノは、おそろしいまでに笑顔だった。
「お前の子供ならきっと見事な金髪の美人だろうなあ。一発やっとくか?」
「ルキーノ! いい加減にしろ!」
 声を荒げたのはベルナルドだった。ジャンカルロはその様子に目をぱちぱちと瞬かせ、ルキーノはぶっと噴き出してから大声をあげて笑った。

 白く清潔なシーツがこれほどまでに心地好いのだと、ジャンカルロは初めて知った。糊のきいた洗いたてのシーツは、もちろん鉄錆のにおいなどしない。
 ジャンカルロはベッドの上でやはり丸くなって、片手ずつ、ベルナルドとルキーノに預けていた。ルキーノの手は大きくて肉厚で、温かいというよりは熱いくらいだった。人肌に安心するってこういうことか、と思う。対してベルナルドの手はルキーノと大きさはそう変わらないのだろうが、すらりと細くて骨ばっている。ひんやりと乾いているのが気持ちよかった。
「ジャン、大丈夫か? まだつらいか?」
「ありがとダーリン、気持ちはだいぶ楽になったわ。時々アソコがドロッとして中出しされた女の気分になるけどネ」
「そいつは貴重な体験だ」
 大の男が三人で雁首揃えて、何なんだろうねこの状況は。
 それでもナプキンは出血対策にしかならなくて、未だ腹痛を持て余しているジャンカルロは、年上ふたりの好意に甘えさせてもらうことにした。ベルナルドもルキーノも他人ではない、大事なファミーリアだ。少しくらい弱味を見せたっていいはずだ。
「あー……今更だけど、仕事はどうなってるんだ? もしかしなくても俺、ものすごく邪魔してるんじゃないか?」
「気にするな。俺は今日の分は終えて、報告に戻ってきたところだ」
「俺も電話番は部下に任せてあるからね。大事があれば報告に来るはずだけど、それも今のところはないようだ」
「そっか。……グラーツィエ」
 ジャンカルロは目を閉じたまま、両手に力をこめて呟いた。
 その言葉に、ベルナルドとルキーノが顔を見合わせ、シロップを溶かしたような笑顔になったことを、ジャンカルロは知らない。
「プレーゴ。マイ・ボス」

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!