12250238

色気のないクリスマス

「本日は本当にありがとうございました。メリークリスマス、どうぞよいお年を」
 睡眠不足の空きっ腹に大量のアルコールを流し込んだ自虐的な身体を気力だけで立たせ、ベルナルドは車に向かってマニュアル通りの礼をした。後部座席に悠然と腰かけたデイバン市長は赤らんだ顔を上機嫌に緩め、ひらひらと手を振ってみせる。
「楽しい夜をありがとう。よいクリスマスを」
 黒塗りは滑るようにして、イルミネーションの煌めく街道へと消えていく。車が角を曲がるまで見送ってから、ベルナルドははあと白い息を吐き、ホテルへと踵を返した。デイバンホテルではないが、同等の設備とサービスを有しているため、接待に使うことの少なくないホテルである。
 時刻は深夜二時を回っていた。十二月に入ってから、CR:5は幹部全員が加速度的に慌ただしいスケジュールで動いていたが、ここ一週間は特にひどい。クリスマスを家族と共に穏やかに過ごすのは堅気の特権なのだと改めて思い知る。
 会食の会場はホテルの人間が片づけるし、なにか不審があればすぐに伝えられるはずだから、ひとまずはそちらへ任せればいいだろう。ロビーで待っていた兵隊を捕まえると、足は止めないままに彼を引き連れて自分たちの控え室にしていた部屋へと向かう。
「明日は……ああ、まず顧問の皆々様をお迎えにあがらなければならないんだったな」
「はい。本部に戻る必要もあります。今夜、これから戻って休まれても構いませんが」
 その言葉に、先を歩いていたベルナルドは振り返って兵隊の顔を見る。彼も同じことを考えていたのだろう、視線が合うと、控えめに苦笑してみせた。
「いや、いい。今夜はおとなしくここで休もう。運転をしくじって死ぬなんて、GDの連中の銃弾に倒れるよりも恥だ」
「……はい。申し訳ありません、隊長」
「君が気にすることじゃない」
 そう、互いの目元に隈が浮かんでいるのは、誰のせいでもないのだ。
 今夜本部に戻らないなら、その分起きる時間を早めて移動しなければならない。結局のところ時間配分は変わらないが、少しでも身体を休めないと事故を起こしてしまうだろうということは明白だった。ベルナルドにも、兵隊たちにも。
「では、明日は……そうだな、六時にはここを出たい。車にはコーヒーと新聞を」
「畏まりました」
 厳密なスケジュールなど、もはやあってないようなものだった。一日が始まってしまえばなるようにしかならない。押し流されるように移動して笑顔をつくって頭を下げて挨拶をして、睡魔と戦いながらそれを続けていればいつの間にか夜になり、予定していたスケジュールは消化され、誘われるようにベッドに沈む。その繰り返しだった。
 今日の対外的な用件は済んだが内的な雑務はなにが残っていただろうかと、眠たがる頭を叩き起こして考えながら控え室のドアノブを捻る。
 兵隊たちが仕事をしているはずの部屋に、呼んでもいない客がいた。
「よう。明日のスケジュールの確認は終わったのか?」
「ルキーノ。……どうしてここにいるんだ」
「教会の夜は早いのさ」
 云われ、ああ今日のルキーノは教会回りをしていたのか、と思い出す。幹部それぞれのスケジュールも一応は把握しているが、カポであるジャンカルロのもの以外はうろ覚えだった。そこまでは面倒を看きれないし、面倒見が必要な幹部などCR:5には要らない。
「それで? 明日の朝は?」
「六時に出る」
「重役出勤だな。俺は五時に出るぞ」
「そうか、それならこんなところで油を売っていないで早く休んだ方がいいんじゃないのか」
「そうだな、そうさせてもらおう」
 まるで自分の部屋のようにどっかりとソファに座っていたルキーノは煙草を灰皿に押しつけると立ち上がり、ベルナルドの立っているドアへと向かう。そして、そのまま。
「Buona notte、よい夢を」
 隈を浮かべたベルナルドの兵隊にウインクをひとつ飛ばし、上司の腕を掴んで部屋を出た。
「おい、ルキーノ!」
「あーあー、騒がしいな。俺はもう眠くて眠くて死にそうなんだ」
「だったらさっさと本部でもアパートでも戻って休めばいいだろう。大体ここに用はないはずだ」
「サンタはクリスマスに休暇を取るのか? 用があるから来たに決まっているだろうが」
 吐き捨てるようにそう云うとルキーノはベルナルドの腕を掴んだままエレベータのボタンを押した。ぽん、と軽い音がして扉が開き、ふたりを迎え入れようとする。
「この時間ならみんな夢の中だ。停電なんて起きやしない」
「……本当になにをしに来たんだ、お前は」
「察しろよ、世間はクリスマスだぜ?」
「世間は、な」
 ルキーノが狭い箱にベルナルドを引きずり込む。ろくな抵抗ができないのは、身体が疲れきっているせいにした。
 互いに無言でいると、宙に浮いたままの十数秒が長い。ぽん、と再び音が鳴って、エレベータが最上階に着いたことを告げる。
 その階数表示と、降りたフロアを見て、ベルナルドが眉を顰めた。
「……おい、まさか」
「今夜くらい贅沢したって神様は文句云わねえよ。自腹だから安心しろ」
「当たり前だ! こんなことで経費が落ちると思っているのなら、俺は今すぐにお前を幹部会議にかける」
「じゃあ俺は安泰だな」
 左手はベルナルドの腕から離さないまま、いつの間にか右手に持っていた鍵でフロアにたったひとつだけあるドアを開ける。
 室内には煌々と明かりが灯っていた。オレンジの照明は眠気に溶けそうな目にも優しく、暖房の効いた部屋は誘われるには十分だった。
「どうせ今日はここに泊まるんだろう。だったら一緒に寝ようぜ」
「お前は俺を過労死させたいのか」
「なにもしねえよ。俺だって疲れてるんだ」
 お前ほどじゃないが、と云いながらジャケットを脱ぎ捨てる様子はセクシーと表現するには十分だったが、ベルナルドは触れないでおいた。代わりに自身もジャケットを脱ぎ、タイを外す。それだけで身体は軽くなったが、眠気は一層増したようにも思う。
 ベッドの近くに備えつけられた冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取って、喉に流し込んだ。渇きすぎていて、なにが足りていないのかももうよくわからなかった。
「俺にもくれよ」
 ベルナルドが唇から離したばかりのその瓶をルキーノが奪った。どさりとベッドに腰かけて遠慮なく嚥下する喉をぼんやりと見ながら、ああこれはまずい、と思う。静かな部屋でこんな音を聞いているのは、非常によろしくない。
「新しいのを出せばいいだろう」
「どうせ残すんだからいいじゃねえか」
 空になった瓶をサイドボードに置いて、ルキーノはにやりと笑う。立ったままのベルナルドの手をぐっと引くと、そんな動作は予測していなかったベルナルドは面白いほど簡単に倒れ込んだ。
「お前、いい加減に……!」
「云っただろ、眠いんだよ」
 その言葉に偽りはないことを声が教えていた。同じように隣に倒れたルキーノが、長い指でベルナルドの眼鏡を外し、サイドボードに投げる。
 眼鏡に覆われていた目の下をそっとなぞると、ベルナルドがむずがるように顔を背けた。
「はは、酷い隈だ」
「お前こそ……。そんな顔で教会回りをして、孤児たちに怖がられなかったのか?」
「とんでもない。サンタが来たって飛びつかれたぜ」
「その頭が赤い帽子に見えるなら、今すぐ寄付をして全員眼科に送り込むべきだな」
 軽口を叩きながらも、語尾は小さく窄んでゆく。瞼を閉じたベルナルドに覆い被さって、ルキーノはその目元を舐めた。
「おい……っ」
「もう寝るよ。……ベルナルド」
「なんだ」
「メリークリスマス」
 落ちてきた声に、思わず視線を上げる。
 額を合わせたルキーノが満足げに微笑んでいた。
「……ああ……クリスマスなのか」
「もうボケたのか? まだあんたに引退されちゃ困るんだが」
「疲れてるだけだ。……そうか、クリスマスか」
「そうだよ」
「ホテルの最上階で」
「ああ」
「お前とふたりきりの」
「そうだ」
「最悪だな」
 素直な感想をそのまま口にする。視線が合って、そのまま同時に噴き出した。
「違いない! なにが悲しくて三十路の男とスイートルームの同じベッドにいるんだか」
「失礼な奴だな、お前だってすぐじゃないか。三十越えたら今以上にあっという間だぞ」
「恐ろしいことを云うな。クリスマスくらい夢を見させてくれよ」
「夢を見たいなら女のところにでも行けばいい」
「女は……いいんだ、もう」
 遠くへ投げるような声に、失言だったとベルナルドは口を噤む。ルキーノはベルナルドの髪に触れて、目を閉じた。無意味な沈黙が確実に眠気を増幅させる。
「最悪だが、まあ……」
「ん?」
 隣から眠たげな声が届いて、ルキーノは閉じた瞼を上げる。
 ベルナルドは瞳を閉じたまま、笑っていた。
「ひとりでいるよりはましかもな」
 メリークリスマス。最後にそう残して、あとは浅い呼吸の音だけが小さく聞こえるだけ。
 ルキーノはその音を子守歌のように聞きながら、今度こそ目を閉じた。

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