パラレル。金魚をくれたのがじじい遙だった場合
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「金魚が欲しいのか」
不意に降ってきた声に真琴は顔を上げた。隣に見知らぬ老人がしゃがんでいる。白髪混じりの長めの黒髪に、皺の刻まれた頬。藍色の浴衣は真琴のそれのようにめかしこんだものではなく、自然に馴染んで普段着であることを伝えた。
髪の向こうから、まっすぐ向けられた青い瞳に息を呑んだ。真琴の大切な幼馴染によく似た、水のように澄んだ瞳。
「あ……う、うん。金魚、きれいだよね」
「そうだな」
無数の金魚がゆらゆらと泳ぐ水桶に目を落とすと、隣の老人も同じようにしたのがわかった。さっきからずっとそうやって、持って帰るあてもない金魚を眺め続けている。祭りの気配は、どこか遠くにあった。
「欲しかったけど、お小遣いぜんぶ使っちゃったんだ」
無性に照れくさくて笑いながらごまかしたが、老人は笑いも呆れもしなかった。
「金魚はお前よりも命が短い」
「え?」
「お前がどんなに手塩にかけて世話をしても、この夏も越せないかもしれない。それでもいいのか」
「どうして、そんなことを言うの……」
「大事なことだからだ。とても」
それはまったく老人の言う通りだった。生き物はいつか死ぬ、真琴だっていつかは死ぬ。けれどこうやって、きれいな生き物を眺めながら考えたいことではなかった。見ないようにしていたものを剥き出しで突きつけられたような気がして、ぎゅっと目を閉じる。
「一回」
次に彼が発した言葉は真琴へ向けたものではなかった。顔を向けると、彼はしわくちゃの手で夜店の店主から器とポイを受け取っている。
腕を捲ってからの動作は淀みなく、鮮やかだった。静かに水面にくぐらせたかと思えば次の瞬間に彼の器の中で金魚をが泳いでいる。手品のようだった。同じ動作で二匹を掬ったが、さすがに三匹目で破れてしまった。
店主が、じいさん巧いねえ、などと褒めながら掬われた金魚をビニール袋に移す。彼は受け取り、そのまま真琴のほうへ差し出した。
「ほら」
「え……?」
「ひとつだけ」
水の瞳に真琴を映して、淡々と続ける。
「もしもお前がこの金魚を大切に育てても、それでもすぐに死んでしまうかもしれない。でもそれは、お前のせいじゃない。誰のせいでもない」
どうしてそんなことを言うのだろうと思う。さっきは脅すようなことを言っておいて、金魚をとってくれて、死んでしまっても真琴のせいではないと言う。
戸惑っている真琴の手を、しわくちゃの手品師の手が取った。金魚の泳ぐ袋を握らせる。ずしりと重たく感じるのは、質量のせいだけではない。
袋を目線の高さに持ち上げる。金魚が泳ぐ姿は、上から見るよりもずっときれいだった。ゆらりと回遊する尾びれの透き通るのもわかる。
「大事にしろよ」
「うん!」
老人が微笑んで、立ち上がる。今まで気づいていなかったが、長身ですらりとした、姿勢のいいひとだった。
かっこいい、と溜息が出る。背が高くて、きれいな目をして、金魚を取ってくれる。かっこよくて、やさしい。
「元気でな、真琴」
「うん。ありがとう」
低くまろやかな声に名前を呼ばれるのはひどく心地好くて、ずっと前から彼のことを知っているような気になってしまう。
真琴は袋を慎重に支えながら立ち上がった。家はすぐそこだったが、道は坂や階段も多い。落としてしまわないようゆっくりと歩く真琴の下駄の音にあわせて、ぴちゃん、と両手の中で水が跳ねた。
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