まこはるごはん わかめと豆腐のお味噌汁

ごはん食べるだけ

 チャイムを鳴らしても反応がないことにはもう慣れた。二階を見上げると、大きく開いた窓にカーテンが揺れている。起きてはいるらしい、ではまた水風呂か。
 勝手知ったる一人暮らしの幼馴染の家、真琴はサンダルをぺたぺたと引きずりながら裏口へ回った。いつも通り施錠はされておらず、あっけなく引き戸が開く。
「お邪魔しまーす」
 家に入った瞬間に、現在のこの家の主が水風呂の最中ではないことがわかった。廊下を通って裏口まで届く、出汁と焼き魚と白米の香り。真琴の家の和食とはほんの少し違う、けれど馴染みのある香り。
 台所へ行くとやはり遙はそこにいて、足音に気づいてこちらを見ていた。
「真琴」
「おはよ、ハル。今から朝ごはん?」
「……ちょっと、寝すぎたから」
 言い訳のような返答をして、視線をコンロへ移動させる。確かに朝食にしては遅い時間だったが、真琴は事実を話しただけで、責めるつもりなどまったくない。
「いいんじゃない、日曜だし」
 言いながら、広いとは言えない台所に並んで遙の手元を覗き込んだ。わかめと豆腐が泳ぐ鍋の中、お玉杓子の上を菜箸がくるくるとなぞって味噌が溶ける。汁の色が変わるのと同時に味噌の香りがふわりと広がり、鼻孔をくすぐった。
 おいしそう、と思わず零れた言葉を遙が拾う。
「朝飯は」
「食べたけど」
 本日の橘家の朝食は洋食だった。かりかりに焼いてバターとジャムをたっぷり塗った厚めのトースト、チーズの入ったスクランブルエッグ、コンソメスープとフレンチドレッシングをかけたサラダ。食べた後、それを消化するほどの運動などしていないから、空腹とは言い難い。
 けれどおいしそうなものはおいしそうなのだった。蘭がおなかいっぱいと言ったその口で、あまいものはべつばら! と主張してプリンを食べていたことを思い出す。どうやら真琴にも別腹はあったようだ。
 味噌汁をひとくち味見して、遙がコンロの火を止めた。
「味噌汁だけでも食べるか?」
 そう訊いた後、返事を聞く前に棚から汁椀を二つ取り出し、お玉杓子を傾ける。
「いいの?」
「たくさん作ったし」
 ほら、と渡された汁椀を丁重に受け取って食卓へ運ぶ頃には、それがこの世のどんな料理よりもすばらしいものに見えていた。想定外のおこぼれに笑みが浮かぶ。
 二人分の麦茶と味噌汁、遙の分のご飯と鯖が食卓に並んだ。
「いただきます」
 うすらと湯気の立ち上る味噌汁はよく知った味がした。遙が台所に立つようになる前から知っている。わかめと豆腐が口の中へつるりと入り込んで、風味と食感を賑やかせた。
「おいしい」
 鯖の身をほぐしていた遙が、満足げな真琴をちらりと見て不思議そうな顔をする。
「いつもと同じだ」
「うん、いつもおいしい」
 今度は視線を上げなかった。黙々と鯖の解体を続け、醤油を垂らして口へ運ぶ。
 真琴は、遙がご飯と鯖と味噌汁を食べ終えるのと同じペースで、一杯の味噌汁をゆっくりと飲み干した。

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