ダミアナ

媚薬入りチョコレート(色気はない)

 その日訪れた幼馴染の家の居間には、珍しいものが転がっていた。
 こたつが置かれた部屋の隅、畳の上に深い紫色の箱が無造作に置かれていた。表面には銀色の箔で模様が描かれ、精巧な細工の額縁のような印象を受ける。箱にかけられた白いリボンはそれが特別なものであることを主張していた。
 大きいとはいえない箱は、しかし真琴の興味を惹くには十分に過ぎるものだった。たった数十秒の移動で冷えた脚をこたつで温めながら、意識はすっかりその箱に奪われたまま。
 急須と湯呑みを盆に載せて居間に入ってきた遙が、真琴の視線を追って、ああ、と合点したように言った。盆をこたつに置いてから、箱に手を伸ばす。
 真琴はこたつに入ったまま、もぞ、と身を乗り出した。
「何?」
「父さんからの荷物に入ってた」
 遙の父が赴任先からたびたび荷物を送ってくるのは真琴も知っている。今は遙しかいない七瀬家に、遙が購入したとは思えないものが増えた時、それは大抵海を越えて届いたものだ。
 するりとリボンを外すと、遙は箱を開けて中身を真琴のほうへ向けてみせた。
「わあ」
 思わず声が漏れる。中には大粒のチョコレートが入っていた。半球体のそれはつるりとした表面を黒く輝かせ、一つずつ仕切りに囲まれて行儀よく並んでいる。
 見たことのないチョコレートだった。近所でいつでも買える板チョコもキャンディのようなバラエティパックも素直においしいと思うが、こうも明らかに高級であるとわかるチョコレートは、見た目だけでもうっとりとさせられる魅力がある。
「食べるか」
 遙が緑茶を淹れながら感慨なく言った。緑茶のお茶請けにチョコレートというのはあまり一般的ではないが、遙はそんな食べ合わせを気にするひとではないし、真琴も頓着はしない。
「いいの?」
 一応訊きはしたものの、こうして差し出されたということは遙は自分にくれるつもりだったのだろうと判断し、返事を待たずに指を伸ばす。摘み上げただけで指先から甘さが沁みるようだった。
 口に含んで舌の上でゆっくりと溶かす。カカオがいっぱいに広がって、味覚と嗅覚を刺激した。
「俺はそんなにチョコレート好きじゃないし。うまいか?」
「うん。結構甘いよ。あ、」
 噛まずに遊ばせていたチョコレートが溶けてふたつに割れ、中から柔らかなガナッシュが溢れるのがわかった。同時にそれまでの風味と変わって甘さは影を潜め、カカオとはまた別の苦味が微かに、しかしはっきりと舌に広がる。つんと刺激のある、普段はあまり口にしないような味だった。
「中はちょっと違う感じだ」
 その言葉に遙がぴくりと反応する。観察するかのように真琴の表情をじっと見据えた。
「……うまいか?」
「食べたことない感じだけど、おいしいよ」
「そうか」
 外したリボンを指で弄いながら、真琴がふたつめのチョコレートを含むのを見届ける。
 それから、鯖の味噌煮にヨーグルトを入れた時のような気安さで、言った。
「媚薬が入っているらしい」
「……は?」
 思わずがり、とチョコレートを噛んでしまった。またあの苦味がする。熱で溶けたチョコレートが唾液に混じって口内に溜まり、喉を鳴らして飲み干した。もう、甘いのか苦いのか、わからない。
 遙はそんな反応が面白かったとでも言うのか、ふっと口元を緩めて笑った。
「父さんの手紙に書いてあった。冗談か、向こうのジンクスみたいなものだろ」
 何事もなかったかのように緑茶を啜る姿を見て、ひどく喉が渇いていることに気づく。
 こんなにも幼馴染の笑顔がわからないのは初めてではないだろうか。素直に受け取ればいいものを、言葉の裏を、表情の奥を、探り当てなければと思う。
 自分が掬い上げるべきものが存在することを願い、なんでもない土産物の横流し以上の意味を欲しがっていることを自覚して、真琴はかっと顔が熱くなるのを感じた。心臓が大きく脈を打って、全身に酸素を送り込む。それでもくらくらしそうで呆然とした。
 いま、願ったものは、それは。
「まこと」
 遙が箱に手を伸ばし、チョコレートをひとつ摘み上げた。さっきまで宝石のようだったチョコレートが、味わってしまったら引き返せなくなる毒薬のように見えて、真琴は息を呑む。
 遙の指先が真琴へ向けてすいと伸びる。口を開けば、放り込める距離。
「チョコレート、好きだろう」
 このチョコレートにどんな意味があったとしても、真琴がそれを受け入れないという選択はなかった。
 唇を開き、みっつめのチョコレートを含む。真琴の困惑をよそに遙が満足そうにしているので、今度こそチョコレートの味など完全にわからなくなった。

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