calling you

真琴と江が凛の話。2話の途中

「そうだ、江ちゃん」
 水泳部設立にはしゃぐ渚の声を聞きながら、真琴は刷毛を握り直し、フェンスの塗装を再開しようとして止めた。江は立ち上がりかけた腰を下ろし、視線を合わせる。
「なんですか?」
「凛の電話番号、教えてもらえないかな」
 さらりと言葉を渡しながら、なぜ今まで訊かなかったんだろうと不思議に思った。江は凛から返事がないと以前から言っていた。返事がないだけで、連絡はしているのだ。
「それは構いませんけど……お兄ちゃん、出てくれるかどうか」
「それならそれでいいよ。出てくれなくても、話しておきたいんだ」
 なにを、とは言わなかったが、追求はされなかった。江が人好きのする笑顔を見せる。
「わかりました。もしお兄ちゃんが出たら、私にも返事してって伝えておいてください」
 江がピンク色の携帯電話を取り出す。凛の電話番号を表示させるまでの手数の少なさを、真琴は微笑ましく思った。

 記憶の中でうつくしい出来事に彩られているスイミングクラブはあっけないほど簡単に取り壊されていた。こうなる前にトロフィーを掘り起こしておいてよかった、掘り起こしたのは凛だったけれど。もしあの夜に真琴たちが現れなかったら、凛はトロフィーをどうしただろうと詮無いことを考えかけて、やめた。
 半壊状態の建物を思い出しながら、冬のプールで勝負した遙と凛のことを思う。誰にも知らされなかった、けれど彼らにとっては意味の重すぎた結果を思う。
 真琴も泳ぎの下手な方ではなかったし、四人でリレーを泳いだ時には期待に見合った貢献をした。けれど遙や凛には及びもつかない、遙の水中に溶け込むような身のこなしや凛の勝負に対する貪欲さが自分にはない。それは望んで手に入れる類のものではないということを、真琴はもう、知っていた。
 だからこそ、遙と凛にはいつまでもそうやって泳いでいてほしかったし、許されるなら自分も一緒に泳ぎたかった。誘われてリレーに参加し、消去法でバックを泳いだが、その景色に魅せられたのは遙ひとりではないとわからないなら、凛はばかだ。
 だのに果たして真琴の切なる願いは届かなかった。遙は中学一年という早い時期に競泳を辞め、留学から戻った凛は水泳部には入っていないと言う。泳いでいなくとも真琴の大切な友人たちであることに変わりはなかったが、真琴の焦がれた姿はない。
 その事実は時折真琴を息苦しくさせた、けれど自分には彼らを競泳に戻すことができない。そう思っていた。
 渚が岩鳶に来てくれて、よかった。今なら錆びついて狂った時計をあのころに戻せる気がした。
 ゆっくりと歩いていた足を止め、遠く地平まで望める夜の海を見下ろす。まだ風はつめたく、海から吹き上げて真琴を包んだ。沖合に漁船の影はない。
 真琴は教えてもらった電話番号を呼び出した。この時間、凛はなにをしているだろうか。水泳部に入っていないなら放課後はなにをして過ごしているのだろう、立派な屋内プールを使える環境にあってそれから遠ざかるなんて、凛には似つかわしくないと思う。
『ただいま電話に出ることができません』
 江にメールの返事がないなら電話はどうだろうと思って番号を訊いたか、淡い期待は外れてしまった。考えが甘かったかと苦笑して、それでも凛があとでメッセージを聞いてくれたらと、すうと潮風を吸い込む。いつか会って直接声を聞くために。
「凛? 俺だよ、真琴」

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