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真琴が人外。橘真琴は七瀬遙のためのアンドロイドなのだと思えばあの底知れなさに説明がつくんじゃないかと思って書いた。

 いつもそばにいて家は違えどほぼ一緒に育てられて、だから同じ日に生まれたのかと思っていた。
 遙の方が数ヶ月だけお兄さんなのだと知ったのは、ろうそくを四本立てた大きなケーキを遙の前に置かれた時だった。真琴も真琴の両親もそれが当然というふうに、にこにこと遙を見ている。ケーキは遙と真琴のためのものだと思っていたのに、明らかに遙ひとりへ向けられていて当惑した。
「まことは?」
 訊くと、あら、と真琴の母が意表を突かれて声を漏らす。
「真琴はもうちょっと後なの。今日はハルちゃんのお祝いをする日よ」
 それはただの事実であるはずなのに、真琴との間に隔たりがあると知って少しだけさみしくなった。今までぴったりとくっついていたはずのものが、簡単に剥がれてしまったような。
 真琴はそんなことなど気にしていないのだろう、自分の誕生日ではないのに遙よりも嬉しそうにしている。
 真琴の父がろうそくに火を灯し、部屋の照明を落とす。火はゆらゆらと揺れてこの場にいる全員の顔に影をつくった。せーの、という真琴の合図で三人は手拍子つきのハッピーバースデイを歌う。ぱちぱちと拍手をしながら、ハルちゃんろうそく消して、と促され、肺いっぱいに大きく息を吸い込んだ。正面で固唾を飲んで見守っている真琴があまりに真剣で、つい吹き出してしまいそうになって、堪えるのが大変だった。
 ふう、と肺のなかの空気を一気に吐き出すと、焦げたにおいが鼻についた。さっきまでは苺とクリームの甘い香りに満たされていたのに。
 火が消えて真っ暗になった中、手を差し伸べるように真琴の声が届く。
「おたんじょうびおめでとう、ハルちゃん」
 歳を重ねたというただそれだけのことをこうして祝ってくれる友人がいることを誇らしく思った。

 真琴の母が作るお菓子が好きだった。祖母が作ってくれる団子や饅頭も好きだが、真琴の家でご馳走になるケーキやパイやクッキーも同じくらい好きで、それは遙にとって家庭の味のひとつになっていた。
 そのことを、真琴は知っている。だからいつからか――蓮と蘭が生まれた頃だったか――遙の誕生日会を橘家でやらなくなってからも、誕生日には真琴の母がなにかを作って、真琴に持たせて届けてくれた。
 それなのに、今年の誕生日は真琴が来なかった。中学に上がって二度目の誕生日。小学生の頃からあった体格の差は、筋肉がつき男性の身体になることでますます顕著になっている。遙も人並みに成長してはいるが、いつも隣にいる真琴が平均以上であるせいで実感は薄かった。
 その、体格のいい幼馴染が、ごめん、と唐突に謝ってきたのが昨日のらこと。
「……なにが?」
 謝るようなことをされた覚えがなかった。うん、あのね、と真琴が口を開く。
「明日のハルの誕生日、どうしても外せない用事が入っちゃって……だから、お祝いできないんだ」
 なんだそんなこと、と遙は拍子抜けする。真琴の神妙な表情には不釣り合いな謝罪だった。そもそもこれまで毎年誕生日を祝っていたのは習慣であって、約束ではない。
「そんなの、真琴が謝ることじゃない」
 それを聞いて真琴はほっとしたように目尻を下げる。その次の土曜日に母さんがケーキ焼いてくれるから、という言葉で生まれて初めて誕生日祝いの約束をし、遙は真琴のいない誕生日を迎えた。
 なんの変哲もない一日だった。両親は前日から出張へ行っていたからひとりで朝の時間を過ごし、金曜日なので学校へ行く。どうしても外せない用事があると言っていた真琴は学校を欠席していて、無人の席がぽっかりと空いた大きな穴に見えた。
 夜は母親が作り置いていったおかずに自分で作った味噌汁と卵焼きを足し、炊きたてのごはんと一緒に夕食にする。中学へ上がってから、両親は遙を置いて家を空けることが増えた。遙は一通りの家事ができたし、ひとりでいて特段困ることはなかった。
 それなのに夜が深まるにつれ、もやもやとした黒い霧のようなものが遙を包んでいった。初めての、祝福されない誕生日。真琴は今どうしているだろう。学校を休んで、遙の誕生日を後回しにしてまで優先しなければならない用事が真琴にあるとは思えなかった。やっぱり変だ、普段の真琴じゃない。なにかあったのか、と不安が覗いたと思う間もなく、それは遙を取り込んでしまった。もしかしたら自分が真琴の気に障るようなことをしてしまったのかもしれない。自分に態度と言葉が足りない自覚はあった、でも真琴相手なら平気だった。今までずっと。
 もう寝てしまおう、と遙は強引に決めた。日付が変わるよりもずっと早い時間だったが、これ以上思考を濁らせるのは嫌だった。霧を払うように頭を振ると、居間の灯りを消して二階へと向かう――向かおうとした。
 背後でがたんと大きな物音がした。さすがに驚いて遙が階段の途中から後ろを振り返ると、玄関の磨りガラスに人影が映っている。扉を開けようとして、鍵がかかっているから開けられなかったらしい。遙が不審に思うのと同時にチャイムが鳴らされ、声がした。
「ハル!」
 その声を、遙が聞き誤るはずがない。
 どんどんと扉が叩かれ、遙は階段を駆け下りて鍵を開ける。乱暴に扉を開けた真琴が遙を見てひゅっと息を呑んだ。
 そうして、間髪入れずに吐き出されたそれは。
「ハルはなにも悪くないし嫌いになんかなってないよ」
 遙は目を丸くして真琴を見た。真琴の表情は真剣というほかなく、これを伝えるためにこんな遅い時間に来たのだと理解せざるをえなかった。真琴の言ったことは本当のことなのだろう。
 問題はそこじゃない。遙の不安は、今夜遙がひとりで生み出して、追いやって、見なかったことにしようとしたものだ。いくらお互い理解し合った幼馴染だとて、そのことを真琴が知る機会はない。
 はずだ。
「話を聞いてほしいんだ」
 言い切り、返事を待たずに真琴は遙の家へ上がり込んで後ろ手に扉を閉めた。

 消したばかりの居間の灯りをつける。習慣で飲み物を出そうとした遙を、真琴は目で止めた。遙がおとなしく真琴の正面に座ると、真琴は意を決したように口を開く。
「俺、普通の人間じゃないんだ」
「…………は?」
「さっき、びっくりさせてごめん」
 さっきだけじゃなく今もびっくりしてる。そう抗議したかったが声が出ない。
「俺はハルのために作られたんだ」
 真琴の言うことを理解できないなんて初めての経験だった。頼むからわかる言葉で喋ってほしい。
 そう思ったのを察した真琴が、具体的な単語を拾ってつなげる。
「俺はハルの脳とつながってる。ハルの体調や精神状態を常にモニタリングして、適切な行動を執るように作られてる」
 今までのハルのことを全部記録分析してるんだよ。昨日の夜ご飯がグリーンカレーだったんだよ、とどうでもいい報告をしてくる時と同じトーンで話されても、真琴がなにを言っているのかわからなかった。
「ハルが生まれてから俺がここに来るまでの五ヶ月間のことだけは知らないんだけど」
「そんなの……俺だって知らない」
 核心から離れたどうでもいいことだけはなんとか声に出せた。
「うん。ハルが知らないなら俺もいいや」
 あっさりと言う内容がどうしても理解できない。遙と真琴について話しているということだけは辛うじてわかったが、それ以上を呑み込めない。
 真琴は、最初になんと言った?
「お前、人間じゃない、って」
「うん」
「だって、……泳いで」
 なにか訊かなければと思って最初に出てきたのがそれだった。はは、と真琴が短く笑う。
「機械は水に浸けられないって?」
 決定打だった。きかい、と確かに言った。
「人間と同じ生活を営めるようにできてる。だからハルも今まで気づかなかっただろ?」
 そう言われてしまうと頷くしかなかった。気づかなかったのは事実だし、言われた今も信じられない。
 機械、と、認識しながら真琴を見る。真琴は真琴だった。気持ち悪いとか騙されていたとか、そんなふうには感じなかった。目の前にいるのは遙のよく知る真琴だった。
 遙のことを全部知られているというのはうすら寒いものがあったが。
「あ、正確には全部ではないよ」
 なにも言っていないのに真琴が勝手に訂正する。
「信号伝達の途中にフィルタがあって、俺が知ってしまうのは不適切と判断された情報は俺には届かないようになってる。だから俺は、ハルのことを本当に全部知ってるわけじゃないんだよ」
「不適切、って」
「どういうものを不適切とするのかは知らない。フィルタの内容を知ることは、俺が知るべきではないことのはしっこを知ってしまうことだから、俺からはフィルタが見えないようになってるんだ」
 フィルタと聞いて、遙が想像したのは急須だった。真琴が言っているのは茶漉しのようなもののことで、淹れたお茶は全部知られているけど茶葉の部分は知らないと、きっとそういうことだ。例えと現実が乖離しすぎている気がするのは無視した。
「俺は絶対にハルのことを第三者へは漏らさないし、もし……いつかの話、ハルが死んでしまったら、そこで俺も停止するようになってる。だからプライバシーは安心していいよ」
 俺だけ例外として許してもらえるならだけど。
 そう、あまりにもいつも通りに笑うから――真琴が遙のことを知っているのなんて今更だったし――それですべて納得しそうになって、けれど聞き逃しはしなかった。
 遙が死んだら、と言った。
「真琴が」
 喉が渇いて掠れた声になってしまった。やっぱり座る前に飲み物を用意しておくべきだった。
「真琴が死んだらどうなるんだ」
 これは真琴にとって想定外の質問だったらしく、淀みなく喋っていた口が一瞬止まった。
「うーん……人間のように死ぬことはないんだけど」
 遙がぎゅっと眉を顰める。
「つながってるのは俺がハルから受け取ってるだけだから、俺がだめになってもハルには影響しない。大丈夫だよ」
「影響しない?」
「そう。今までの生活から俺がいなくなって、それだけ」
 ずいぶんあっけらかんと言ってくれる。幼馴染がいなくなることの影響がなにもないなんて、そんなことがあるはずがないのに。
「それで……じゃあ、俺が死んだら」
「ハルの脳から信号を受信できなくなったら、俺が持ってるデータは……記憶は、」
 そんな言い換えはいらないと思いながら黙って聴く。
「すべて消去する。そう決められてる」
 そうだ、さっきそう言っていた。真琴に矛盾はない。
「消して、どうするんだ」
「シャットダウンする。リブートしないと消しきれないデータもあるからね」
 遙の内心を読んで、真琴が人間寄りの言葉を選択するのをやめた。
「……そのあとは」
「どうもしない。回収されたあと、リサイクルかスクラップかは状況次第だけど、どっちにしろその時の俺はハルについてなんのデータも持ってないから考えること自体が無意味なんだ。だから」
 聞きたくないと思った。強く思った。それは真琴に伝わっているはずなのに、真琴は話すのを止めてはくれなかった。
「ハルがそんな顔する必要はないよ」
 そんなってどんなだ。真琴は答えず、遙の髪を軽く混ぜた。
「それは、不公平だ」
 怒りを含んだ声が出た。真琴は悪くない、でも他にぶつける相手がここにはいない。
「俺が死んだらお前も死ぬのに、お前が死んでも俺が死なないのは不公平だ」
 真琴が髪から手を離し、ぽんと頭を撫でる。
「不公平じゃないよ。あ、もともと俺が人間じゃないから、最初から不公平って言った方が正しいのかな」
「真琴」
 遙は万感の思いを込めた。
「お前、ばかだろ」
 理不尽に罵倒された真琴がにっこりと完璧な笑顔を見せる。
「俺がばかなのはハルのせいだよ」
「……なんだよ、それ」
「元はどんな状況にも普遍的に対応できるように作られてるんだ。なのに今の俺がばかだって言うなら、それは学習機能でそうなったからだよ。ハルから学んで、ハルのためにこうなったんだ」
 俺がばかだって言いたいのか。
「違うよ。……ハルがハルでよかったなってことだよ」
 真琴は満足そうだったが、遙の理解は完全には追いつかない。
「それでもいいよ。俺が今日来たのは、ハルが良くない考え方してたから、俺のことを知ってほしかったのと、それと」
 真琴がちらと壁時計を見る。短針は、まだ頂点へは辿り着いていなかった。
「誕生日おめでとう、ハル」
 今までの話とつながらないことを言われて遙の反応が遅れる。そういえば誕生日だった、もう終わりそうだけど。
「……ああ」
「よかった、今日のうちに言えて」
 毎年恒例の誕生日祝いと真琴の素性の告白は同列ではないと思う。少なくとも遙の中では。
「ていうか、お前、なにしてたんだよ今日。学校休んでまで」
 そもそもの発端はそれだ。ついでのつもりで訊くと、真琴は珍しく、言いにくそうに視線を逸らした。
「今のままじゃ処理しきれない部分が出てきたから、急いでチューニングが必要だったんだ」
「処理しきれないって、なにが」
 答えようとして、ああそうか、と真琴はひとりで合点する。幼馴染だって簡単には知られたくないこともある。きっとこういう類のものに対してフィルタがかけられているのだろう。
 真琴は未だ困惑したままの遙に向けて人差し指を立ててみせた。
「それは内緒」

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