D/V

ギャグです

 跡部景吾という人間は厚顔不遜、好き勝手に動いているように見えて――実際そうなのだが彼の場合にはそれが赦される環境にある――、ある種の感情だけは殆ど、というよりも絶対に表に出さない。恐らく本人も無意識なのだろう、そもそも彼のプライドがそんなことを赦す筈もないのだ。気づいているのは精々、彼の幼馴染くらいだ。
 だから跡部が舌打ちをした時、忍足は驚いたのだ。それはケアレスミスをした生徒会役員にするようなものではなく、明らかに、発した本人に向けられていた。少なくともその場に同席した忍足には、そんなことをされるような謂れはない。
 だから驚いた、自分の裡の弱い部分、苛立ちや不安定を現すようなことをする人ではなかったのだから。

「―――跡部?」
「ああ?」

 蒼い眸が、いつもよりも強く見えた。多分気の所為ではなかったが、気の所為だったらいいと忍足は思った。

「まだ終わらんの、それ?」
「―――ああ。いいから帰れよ、もう」
「そう?」
「テメエが居ても何の意味もねえだろうがよ」
「まあ、そらそうやけど」

 例えばいま西日がゆっくりと世界に染みてゆくように、情動にも規則性と予兆があって、対処の出来るものだったらいい。翳らせる暗雲や、切り裂く雷鳴など存在しなければ。
 存在しなければ、安定するのだろうか。

「ほな、俺帰るけど、その前に」
「何だよ」
「抱き締めてもええ?」

 ―――切り裂いて暴く存在は、邪魔なだけか?
 ペン先で、トントンとノートを何度も叩いていた跡部の手が止まった。

「その腕圧し折るぞ」
「ええよ」

 いよいよ眉間の皺の深くなった跡部を捉えて、忍足は眼鏡の奥で笑う。

「なん、その顔」
「もっと普通に反応しろよ」
「跡部に普通とか云われたらお終いやな」
「何だって?」
「嘘。痛いんは好きやないねん。俺も、跡部も。ほなまた明日。お疲れさん」

 そのまま、笑んだ表情を残したまま、忍足はあっさりと跡部を残して出て行った。
 跡部は残りの作業を、必要以上に時間をかけて終わらせてからその場を離れた。

「論はないぞえ惚れたが負けよ どんな無理でも言わしゃんせ」

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