僕の土方さんがオークに犯されるはずがない

土方さんはオークに犯されないので安心してください。受けが攻めにお清めエッチするのいいよねっていう話(えろはない)

 二条城には地下室がある。
 その存在を知るのは一握りの人間のみで、絶対に漏洩してはならない機密として保持された。そこでなにが行われているのか、その目的がなんであるのか、詳細を知る人間は更に限られる。
 すべてを指揮しているのはかつての大老、井伊直弼であった。地下室は彼の私兵を作る場所であり、管理と実験を昼夜繰り返しては私兵の強化が行われていた。
 井伊の生み出した呪術の結晶である彼らは――性別を持たないため便宜上彼らと呼ぶが――醜い容貌におよそ人間離れした体力と攻撃力を有し目の前の敵を倒すためだけに力を振るう。種族としての名を、巨苦(オーク)と呼ばれた。
 彼らは井伊亡き後もずっと薄暗い地下室で、獲物と対峙することだけを待ち望んでいる。

 その日の昼食後、屯所からはほとんどすべての人間が出払っていた。副長である沖田を含む数名は市中の見回りへ、他の者は昼の雷舞や握手会を、また数日後に普段のものとは異なる大掛かりな雷舞が開催されるため、その準備にも隊士が出向いており、屋内に残っているのは土方のみであった。
 それなりの広さの敷地はいつも大勢の隊士たちが鍛錬に励んでいるため、水を打ったように静かになることは珍しい。隊士たちが戻ってくる前に事務仕事を片づけてしまおうと文机に向かうと、自然と目の前の作業に集中できた。これも日頃の鍛錬の賜物だと満足を覚える。
 書類を広げて内容を確認し、墨を擦って筆を滑らせる。墨のにおいは、かつて局長だった近藤がこの局長室で仕事をしていた様子を思い出させてくれるから好きだった。
 仕事に手をつけてからどれくらいの時間が経ったろうか、継続していたはずの土方の集中力は、ずしんと地鳴りのように響いた音に遮られた。
「なんだ!?」
 咄嗟に刀を手に取って部屋を飛び出す。土方の耳が正しければ、音は庭先から聞こえてきた。
 今この屯所は人がほぼ出払っていることを知って、賊が乗り込んできたのかもしれない。かつて実際にあったことだ。それならば、土方がひとりでここを守るまで。あの日の近藤がそうしたように。
「……近藤さん」
 片魂の宿る腕に触れると、近藤が背中を押してくれたような気がした。
 奥まった局長室からいくつかの角を曲がり庭へ出ると、そこには賊などではない、もっと異形の存在がいた。

「じゃ、僕は別ルートで回るから。あとはよろしくー」
 ひらひらと手を振って、返事を待たずに見回りの集団から抜け出す。そんな沖田をどう思っているのか、隊士たちは声に出しては、はい、と素直に返してきた。
 このような大人数で見回って対応できるのは、大通りや道路に面した店での出来事だけだ。もちろんそれを取り締まるのも仕事だが、本当に見つけて解決しなければいけない出来事はもっと暗く狭く、人の目の届かないところにある。
 ――というのを土方への言い訳に用意して、沖田は裏路地を適当に散歩していた。表を歩いていちいち煌の相手をするのは面倒だったし、万が一単独行動中に事件に遭遇しても打ちのめす自信はある。新選組は完全実力主義で、沖田はその副長と一番隊組長を兼任しているのだ。
 この先の小道を出れば団子屋があるからそこで休憩かな、などとサボタージュの計画を立てていた沖田の聴覚が微かな声を拾い、足を止めた。
 その道はちょうど茶店の裏で、店に必要な道具が乱雑に積まれている。昼でも暗く、また積み上げられたものの影で通りからは見えなくなるため、小競り合いにはうってつけの場所だ。耳を澄ませると、小さいが脅すような強い声と、こちらも小さいが恐怖しきった情けない悲鳴が聞こえた。
 沖田は短く溜息をついて歩を進める。団子屋へ行くためには、この道を通らなければいけない。
「ねえ」
 わざと普段よりも低い声を張って注意を引きつける。あぁ? と唸って振り向いた、おそらく脅す側の男が、沖田の姿を認めて飛び上がった。
「僕は新選組の沖田総司っていうんだけど、知ってる?」
 とびきりの愛獲笑顔を見せながら刀の鍔に手をかける。男はひぃと鳴きながら後ずさり、道の反対側へと駆け出した。
「どうせ捕まるんだから無駄なことしないでよ。あ、そっちの人も話を聞くから残っててよね」
 土方が作った無駄に量の多い鍛錬メニューをこなしている沖田から、一般人が逃げられるはずがない。あっという間に追いついた沖田は脚を払って男をうつ伏せにし、肩を踏みつけて動きを奪った。みしりと骨が鳴ったのは男の耳にも届いただろう。
「刀の錆になりたいなら抵抗してくれてもいいけど。使わないと腐っちゃうしね」
 男はぴたりと動くのを止めた。

 全身が総毛立つのを感じながら、土方は努めて呼吸を落ち着けた。
 庭にいたのは人間ではなかった。輪郭こそ人間に近いが、全身が土のような黒さをして、顔は歪で醜い。体格が人間よりひとまわりほど大きく手足も太いため、力が強いであろうことはすぐにわかった。爪が尖っているのも見える。手にはなにも持っていないが、存在そのものが武器のようであった。
 そんな化物が庭に立ち、ゆらりと首を巡らせている。視認できるのは三体。あの視界に入ったら襲われるだろうという確信があった。
 刀を両手に構えて一歩踏み出したのと同時に、一体の化物――巨苦が土方へ向いた。鈍く光る赤い瞳と目が合う。
 予想通り巨苦は腕を大きく振り上げながら土方へ向かって走ってきた。遠慮のない敵意が全身から溢れている。
 これが人間ならばあるいはまだ歌によって救うことができたかもしれなかったが、そうは到底見えない。歌で救えず、こちらを攻撃してくるのなら、土方にできるのは斬って捨てることだけだ。
「どこが弱点かは知らんが、頭を落とせば終わるだろう」
 独りごち、刀を握り直す。
 勢いをつけて振り落とされる巨苦の腕から逃げるように腰を落とし、そのまま体重を前に移動させて地面を滑る。背後に回った土方は地から跳ねるようにして飛び上がると、巨苦のうなじにあたる部分を斬りつけた。
 半分繋がったままの喉から、ぐおお、とざらついた声が唸る。それを聞いて、残り二体の巨苦が戦闘の気配に振り向くのがわかった。
 もう一度同じ箇所を目がけて刀を振るうと、泥の塊のような頭部が地面に落ちた。その上に折り重なるようにして胴体も倒れる。
「やったか……?」
 大きく深呼吸しながら振り返る。残りの二体も同じようにすれば倒せそうだと顔を上げた土方の視界いっぱいに黒い影が揺らめいて、ひゅうと息を呑んだ。巨苦が目の前にいるわけではない、まだ距離はある。
「増えた、だと……?」
 こめかみを汗がつうと滑る。
 三体いたうちの一体を倒したのだから、後は二体だと思っていた。
 だが眼前には、十を超える数の巨苦が立ちはだかり、その眼に土方を映していた。

 大通りに出たら見回り中の隊士の集団と鉢合わせたため、沖田は捕物の成果物を引き渡した。つまらない腰抜けの男がどうなろうと興味はない。
 予定通り団子屋で団子を食べ、ついでに土方と夕方の自分用として、団子を持ち帰るために包ませた。屯所からは少々離れているが、ここの甘味を土方も気に入っていることは知っている。
 市中見回りとしてはまだ戻る時間ではないが休憩とでも言えばいいだろうと、団子を片手に悠々と屯所の門を潜る。だが一歩踏み入れた中の気配の異様さに沖田の勘が警笛を鳴らした。
「誰だ、……土方さんっ!?」
 戦闘の空気、そして今の屯所には土方ひとりが残っていることを思い出して、一気に血の気が引いた。誰がどういう経緯で入り込んだかは知らないが、土方と刀を交えているのならそれは沖田の敵だ。
 気配を追って走った先、角を曲がった一番広い庭で、土方とそれは戦っていた。
「巨苦……まさか、どうしてここに」
 土方は知らないだろうが、沖田はその存在を知っていた。
 井伊にまつわる忌まわしい過去の中で、見せてもらったことがある。湿気と土埃にまみれた地下室で、実験として行われた化物同士の戦闘を見た。醜いとしか表しようのない容姿は井伊の趣味とは思えなかったが、実際に戦う様子を見て、なるほど暴力を振るうためだけの生き物の姿だと納得したことを覚えている。
 沖田は坂本たちと共に井伊を葬った。巨苦は井伊の呪術によって生まれたものであるから、井伊と共に消えたものだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。あるいは彼の怨念が、地下室からここへと巨苦を呼び寄せたのかもしれない。
 どうでもいい。沖田にとっては、いま巨苦がいること、土方が応戦していることがすべてだ。

 土方はひたすらに、攻撃を避けては巨苦の首を斬り落とすという動きを繰り返していた。見誤らなければ十分に可能な動作だ。
 ひとりでの応戦は、できないことではない。現にこれまで対峙した巨苦はすべて倒している。爪に裂かれ隊服こそ破れているものの、身体に致命傷を負ってはいない。
 こんなふうに存分に真剣を翳すのは久しぶりで、血が沸き立っていることも否めなかった。疲れを感じないのは興奮状態にあるからだ。
 びゅう、と刀が空気を震わせ、またひとつ巨苦の首が地面に転がった。
 まだ戦える。――だが、数が多すぎる。
 一体どこから湧いているのか、巨苦は倒しても倒しても全滅しなかった。気づくとやや遠くに、あるいは土方の背後に、両脇に現れているのだ。既に二十体は倒したはずだが、目の前には五体の巨苦がいた。今までの様子だと、これもまた増えるのだろう。
 屯所から人が出払っていてよかったと思う。平和が訪れた反動で今の隊士たちは実戦経験が浅く、ましてや人外の群れを前にして平静に戦い勝利できるかというと怪しいところがある。彼らが力不足なわけではなく、この状況が異常なのだ。
「……総司」
 ただひとり、ここにいて共に刀を振るってくれたら心強いのにと願わずにはいられない者もいたが。

「土方さん……」
 庭全体を視界に収められる位置から様子を伺っていた沖田が、呆然と呟く。その声を拾う者は誰もいない。
「……かあっこいい……」
 うっとりとした響きも風に紛れて消えた。
 沖田は土方が刀を振るう姿が好きだ。彼が人を斬っている様子を見ると背筋を快感が駆け巡る。厳密にはいま相手しているのは人間ではないが、この際些細なことだった。
 土方が刀を振るい獲物を斬る姿が好きだ。大きな身体を驚くほど速く軽やかに動かすのも、長い脚が一瞬で距離を詰めるのも、長い腕とつながったような剣先が少しの躊躇いもなく振り下ろされるのも、長めの黒髪がばさばさと舞って乱れるのも、額に顔に首筋に汗が浮き出るのも、大きな口で呼吸するのに合わせて肩と胸が上下するのも、その口端がときおり上向いて笑みの形を作るのも、自身を奮い立たせるような雄叫びも、群青色の瞳がぎらぎらと殺意に光るのも、そのすべてが沖田を刺激して悦ばせる。
 ぞくぞくと震えながら、手を刀の柄にかける。加勢しなければと思うものの、今の土方の様を見つめ続けていたい気持ちもあった。
 数の上では明らかに不利なはずだが、状況としては負けてはいない。二本の刀で同時に二体を仕留める姿などはこのままひとりで勝利するのではとすら思えた。
 いつでも飛び出せる姿勢をとって目を光らせる。巨苦は倒されてはどこからともなく現れて、完全にいたちごっこの様相だった。おそらくあの地下室にいた巨苦の群れが次々とここへ転送されていて、そのすべてを倒さなければならないのだろう。
 不意に土方の背後に影が増え、丸太のような腕を無造作に振り切った。爪が隊服を大きく裂いて背中が露わになる。振り向いた土方の顔をめがけてふたたび腕が動いた。
「土方さん!」
 弾かれたように走り出す。
 攻撃を避けきれなかった土方の頬に傷が走り血の筋が浮かぶ。抜刀して向かってくる沖田の姿を認めた土方が、総司、と呼ぶのがわかった。

 土方さん、と鋭く叫んだ沖田が駆けてくる。願望が生んだ幻かと思ったが、沖田の声に気づいて寄ってきた巨苦を彼は二体手際よく倒し、首の落ちる音がして、これは現実だと思い改めた。
「総司、なぜここに」
 土方の頬から血が垂れているのを見て、沖田はぎりと奥歯を噛む。沖田が見ていたよりもずっと前から彼は刀を振るっていて、身体に負担が蓄積されているのだ。そうでなければあの程度の攻撃を土方が避けられないはずがない。今や上半身のほとんどが剥き出しになり、よく見れば黒いズボンもところどころ裂けている。
「ああ……土方さん、そんな、」
 悲しみに満ちた声で嘆く。土方へ向いたまま腕だけを動かして、横から迫ってきた三体目を倒した。地面に崩折れたそれは泥人形のように動かない。
 その泥人形を踏み台にして飛び上がり、土方へ近づこうとしていた巨苦を両断する。四体目。
「とにかく、まずはこいつらを片づけましょう」
 そう言って沖田はまた走り出す。勢いを殺さずに巨苦の間を駆け回って刀を振り、次々とその巨体を薙ぎ倒してゆく。
「そう、だなっ!」
 土方も両の刀を構えて敵陣に飛び込んだ。巨苦が現れる頻度は減っている。土方の隣には沖田がいる。戦闘の終わりは近い。

「土方さん、伏せて!」
 叫ぶや否や沖田の刀が信じられない素早さで頭上を掠めた。土方の反応が少しでも遅れていたら首がふたつ落ちるところだった。膝をついた姿勢ではあはあと大きく呼吸を繰り返す。
 そうして沖田の刀が空を斬り裂いたのを境に、あたりはしんと静まり返った。巨苦はもう現れず、ただ首と、首のない胴体があたりに折り重なっているのみ。下の方で押し潰された巨苦はもはや形を成さずざらついた砂のようになっていて、放っておけばいずれすべて土に還ることがわかった。
「土方さん!」
 沖田が刀を放って駆け寄った。土方の正面に膝をつき、全身を確認する。
「助かったぞ、総司」
「助かった?」
 沖田は一度きっと睨むと眉尻を下げ、かぶりを振った。両手をそっと土方の頬へ這わせる。乾きかけていた血が白い手袋に滲んだ。
「どこがですか。こんなふうにされて……顔も身体も、こんなに」
 首から胸へ撫で下ろす。衣服を裂かれ切り傷こそ負っているものの命に別状はないし、土方の作った薬を使えば数日で治る程度の傷であることは沖田にもわかるはずだ。
 だが沖田はひどく悲壮な顔をして、鼻先を寄せる。
「かわいそうに、こんなに汚されてしまって」
「…………は?」
 今度は土方が訊き返す番だった。確かに無傷ではないが、汚されたわけではないし悲嘆に暮れる必要はどこにもない。
 落ち着け、と言おうとした土方の肩を、屯所一の握力で沖田が掴んだ。
「でも大丈夫ですよ、僕がぜんぶきれいにしてあげますから。安心してください」
 大丈夫じゃないのはお前のほうじゃないのかという言葉は、屯所一の握力で沖田が腕を掴んで歩き出したため遮られた。絶対に振りほどけないわけではないが、ちょうど緊張が解けて疲労が襲ってきたのと、沖田の様子がおかしいのでひとまずはそのままにさせておく。
 沖田は土方を引きずるようにして局長室に上がり込んだ。擦った墨が硯の中で乾いている。そういえば書類仕事の途中だったのだ。
 勝手知ったる部屋の奥の襖を開け、敷いてあった布団に土方を転がした。
「おい、なんなんだ」
「言ったじゃないですかきれいにしてあげるって」
 肘をついて起き上がろうとした土方の腰を跨いで座る。うまく体重をかけないようにしているらしく、土方に負担はかからなかったが、そういう問題ではない。
「俺は別にどこも」
「ねえ、もう黙って」
 優しくしかし有無を言わせずに肩を布団へ押し戻し、唇を重ねる。未だ状況を飲み込めていない様子の土方に目を細めて、沖田は頬の傷をちろりと舐めた。
「土方さんはなにもしなくていいですからね」
 艶めいた声、ふたつの宝石の中で紫炎が欲望に揺れている。ああそういうことか、傷がどうとか汚されたとかいう話ではなくただこうしたいだけなのだと合点すると、土方は瞼を下ろして無抵抗を示した。

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